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日本において富裕層はどこにいるのか?

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 (世界有数の平等国家)  日本の税制は世界でも類を見ない社会主義的な性質を持っており、日本政府はそれをさらに強く推し進めている。そのおかげで日本には、他国のような一部の大富豪が国の大部分の富を占めるようなことにはなっていない。しかしながら、富の格差というのは雑草と同じように想像以上に強い。日本においても現実問題として格差はそれなりに拡がっている。例えば、東京都心部で一軒家を持つことはサラリーマンである限り不可能に近いと言えるが、実際にはそれなりのサラリーマンが一軒家を購入している。国の平等政策にも関わらず、そのズレはどこから出てくるのだろうか。 (旧富裕層の没落)  富裕層のイメージとして、古くからの資産家や名家を思い浮かべる人も多い。しかし、今の日本では代替わりにおいて膨大な相続税を課せられるので、次世代まで富は続かない。これは戦前から続く名家だけでなく、一般人であるが高度成長期に成功してそれなりに贅沢な生活をしてきた層でも言える事であるが、高級住宅地において代々に渡って住み続けている例はそれほど多くない。著名人をみても、かつては超一等地に豪邸を構えていた森繁久彌、加山雄三、そして梅宮達夫、石原慎太郎etcなどそうそうたる面々の屋敷は今や売払われている。さらに、多額の金銭面での相続は意外と少なく、残された立派な屋敷や骨董品は売却しても大した額にならないのが実情である。社会的成功者はその人の活躍に応じてセレブな生活を体現しても、その人の没後は過酷な相続税などの要因で子供や孫の代まで引き継がれるということは今の日本においては非常に困難である。 (新富裕層の出現) 旧名家や社会的成功者が没落する一方、賢い一般人から富裕層が生まれている。その実態として、バブル崩壊以降は賃金水準の高い大企業ほど頻繁に早期退職者制度を実施し、社会に不安を与えているにも関わらず、超多額とも言える割増し退職金(一時金)が得られ、かつ賃金水準をそれほど下げずに転職できた人。それ以外に、IPOによる持ち株の成金。勤務先株価の暴騰による莫大なストックオプション。高賃金の外資系企業を渡り歩くビジネスマン。最後は、企業の大小関係なくアベノミクス相場で資産を増やせた層の中から、自らの不安解消のために大きな支出を控えながら蓄財し、不動産や株式などの投資に積極的な一部の人達が該当する。  一方、高度成...

「メキシコの漁師」に見る人生と労働の皮肉

 (ファーストリテイリングの入社式)  ファーストリテイリングの入社式に関する日経記事があった。柳井正会長兼社長は「新しい報酬体系で初の新卒社員になる。世界中で活躍してもらい、付加価値のある高い利益を生むビジネスを作り出す。そのフロントランナーになっていただきたい」とエールを送った。この会社は2025年より新卒社員の初任給を33万円にした。全体の新入社員数は約1300人を予定しており、新入社員の代表は、「プレッシャーもあるが、その分期待をしてくれているということだと思う。その期待をモチベーションにして頑張っていきたい」と意気込みを話した。  この会社に勤めるということは、会社の好業績を支えるための歯車になることを意味している。この激務な会社で働いている間は、この会社に全てを捧げるような生活になるのは間違いない。つまるところ、社員は柳井指揮官が率いる軍隊と相違ない。  こういったものを見ていると、リベラルが平等平等と叫んでも、こういった会社への奉仕は、厳しいビジネス競争の打ち勝つためというお題目の合法的な奴隷制度なのかもしれない。  しかし、こういった企業があるから日本の国富は先進国に留まれるのだ。だから、日本に取っては、一定数以上、このような企業は存在しなくてはいけない。 (「メキシコの漁師」にみるビジネス社会への皮肉) 「とても魚釣りが好きな漁師がいた。漁師は好きな時間に起き釣りをし、子供や友達と楽しく遊ぶ毎日を過ごしていた。そこに、アメリカの観光客を運ぶ小さな漁船がメキシコの小さな島に着いた。船から下りると、旅行者人の一人がメキシコ人漁師に尋ねた。「すごいね、どれくらい漁をするとこれだけ大量に釣れるの?」「いや、昼のちょっとした時間、海に出て漁をしただけだよ」  それを聞いた旅行者はビジネスの好機ととらえ「漁をする時間をもっと増やして、もっと多くの金を稼いだらどうだい」というと、漁師は「なんでそんなことしなくちゃいけないの?。これで十分生活が成り立っているよ」と言った。すると旅行者は、「それなら、余った時間は何しているんだい?」と聞いた。漁師は「朝はゆっくり起きて漁に出る。その後は子どもと遊んで、女房とシエスタする。 夜になったらバーで友達とギターを弾きながら歌をうたって。これで一日は終わる」と説明した。 今度は旅行者がビジネスマンの立場から漁師に言った...

今後20年で生き延びられるだろう大学の(辛口)推測

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  少子高齢化による18歳人口の減少から、大学受験者の減少が危惧されているが、現在のところ女性の四大進学が大幅に上昇したことから何とか体裁を保っている。しかし、一定以上の学力を保持している層が大きく減少していることから、大学側は一般入試での偏差値低下を防ぐべく推薦入試に力を入れるようになった。その結果、上智や関学のように一般入試率が50%を切る大学が現れ、さらには、私立最高峰の一角である早稲田が推薦率を60%まで引き上げる公言をするに至っている。  一方、中堅以下の私立大学に至っては、推薦入学を大学の定員確保に利用し、いわゆるBF大学を増殖させている。 (軽量すぎる私立の一般入試)  受験業界では、国立大学が圧倒的に優位である。まず、試験問題のボリュームが全く異なり、難関と言われる国立大学に合格するためには、6教科9科目の難しい共通テストで7割以上の点数をとり、二次試験においても比較的難しい論述問題を解かされる。一方、私大の科目数は多くて3教科、今となっては、2教科や1教科すら常態化している。総合的な学力という点では、私立は国立に太刀打ちできない。そういう点では、難関国立大学からみたら、多くの私立大学は大学と呼べるものではない。 (私立の3教科入試こそ総合選抜)  国は、欧米に見習って受験者の能力の多角的に評価するという観点から総合選抜などの推薦入学を推進している。しかし、国立大学からすると、私立大学の入試自体が特定の科目に特化した推薦入試とも言えなくない。5教科でみるのではなく、得意とする1~3教科で勝負する選抜入試とも言える。とは言え、早慶はもとより、MARCHなどの上位私立大学は上位国立とそん色ない活躍をしている人も少なくない。平たくいえば、国語的な論述能力と社会科目全般に強ければ、社会の至るところで活躍できるという証明に他ならない。5教科全てに対して長けている必要はないということだ。 (早慶の少子化戦略)  今となっては、早慶ともに一般入試率が50%台である。約半数を推薦の対象にするとなると当然であるが、学生の人的リソースの低下を招くのは必須である。しかし、マンモス大学である早稲田は、たとえ6千人の非一般試験の学生を確保しても、残り4千人に対し学力の高い学生を集めれば、1学年あたりほんの1~2%の成功者を生み出せることに自信を持っているのであろう。1...

金持ちほど無益なトラブルを上手に避けるものだ

(お金のない人の特徴)  お金のあるなしの判断は収入に比例するのではなく、資産規模に比例する。お金のない人は、言い方を変えると資産を蓄積できない人から始まり、計画通りにお金を使う事が出来ない人、浪費癖のある人とグレードが上がっていく。こういった人は、大抵の場合、どんなに高収入であったとしても、お金の量に併せて自分たちの生活をグレードアップさせてしまうように頭が出来ている。だから、手元にお金は残りにくい。  このタイプの人が他人なら冷静に見ることもできるが、親族にいたら要注意である。お金のある時は気前よく他人に奢ってくれるなどの優しい面もあったりするが、反対に、その人がお金のない時にはお金持っている親族に何かと頼り始め、その人と一緒に 運気も マイナス方向に引きずり落されていく。 (辛抱強くないとお金持ちになれない)  「金持ち喧嘩せず」という諺がある。そもそも多くの金持ちは、人間関係において、自分の意見を通したり、感情を表に出すことで不要なトラブルを起こすような事を好まない。それがどれだけ自分自身にとって無益な行為であるかを知っているからだ。  社会生活における強い人は、腕っぷしが強いとか声が大きいという人ではなく、どんな局面に対しても冷静に物事を進めていけるタイプに他ならない。つまるところ「辛抱強く。打たれ強い」人を指す。そして、どんな仕打ちをされても、その人の悪口などを一切しないクールさを持ち合わせている人でもある。  お金持ちがこういう人だけとは限らないが、お金持ちは金をたくさん持つことで、社会的な不安や社会生活に横たわっている様々なしがらみ(束縛)は少なく出来る。また、心に余裕を持つことで、社会に横たわる様々な不条理への免疫力も高くなる。それがトラブルなどの不運につながる事柄への退避能力を高めており、結果として幸運をつかみやすくなってしまう。 (お金のない人ほど心の逃げ場に窮する)  お金のない人は、社会的な不安や社会生活に横たわっている様々なしがらみに対しての逃げ場が乏しく、不安や抑圧にさらされやすい。それは年収の大小では測れない。なぜなら年収が1000万円、2000万円でも、業績悪化などの理由で会社からリストラされたりすることで年収ダウンすれば、一挙に生活水準が下がってしまうからだ。このため、常に漠然とした不安に慄いたり、満たされない環境下での生活をおく...

高齢者就業促進が新たな富の勝組を創出

   高齢者が受取る一人当たりの年金平均額は16万弱である、その手取りは14万弱。最近のインフレによる物価高でこの額だと生活が厳しいと感じる人も増えている。それでも、政府は年金の給付負担を和らげるため、65歳以上の高齢者の就業を促進している。しかし、そうした流れによって新たな勝ち組が出現しようとしている。 (65歳以上の就労数の増加)  高齢者(65歳以上)の就業状況は、政府資料によると、550万人超(正社員:130万人程度)。65~74歳人口」は1,740万人(男性831万人、女性908万人)であり、3人に1人は何らかの仕事についている。これが65~70歳だと半数以上が職に就いている。この試算から言えることは、今の日本には高齢者といっても働く場所に事をかいていないことを示している。 (悠々自適な高齢者) 年金を受け取れる年齢になっても未受給の高齢者が250万人もいる。この中には、大企業役員や団体理事など1000万円を軽く超える社会的成功者だけでなく、そのほとんどは職種状態によらず労働収入と企業や個人年金、株式や不動産収入などで満足な生活ができる層である。 一方、仕事をしながらの年金受給者は300万人いて、その中で、いわば年金の壁(仕事+年金で50万以上の収入)に該当する人が50万人いる。これら層は現役並みの月30万円以上の労働収入を得ていることになる。  つまるところ、双方合わせて少なくとも300万人はお金に困らない高齢者であり、65歳~70歳の人口が800万程度を踏まえれば30%半ばが該当することになる。  (したたかな高齢者) これの示す事は、 バブル崩壊後から現在まで、多くの企業で人件費の高い50代をリストラし、一見不安を煽る話となっているが、その多くは多額の割増退職金を得るだけでなく、再就職などで賢く生きている。 特に、プライドの高くない現場側の技術者は非常に強い。これら高齢者は、その分野において基幹的な仕事をしてきた人で、その高度なノウハウを会社側も手放せず、定年後も有利な条件で雇用を延長し、70歳になっても現役を続けるケースが続出している。また、高度なスキルを保有しているがゆえに、再就職においても有利な条件で働くことが可能になる。高齢者の収入格差は現役世代と異なり、これまで築き上げたスキルやキャリアに依存され、収入額の逆転は非常に困難である。 ...

FIRE民の蓄財能力も「親ガチャ」で決まる

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  〇小室圭にみる日本社会の多様化  戦後の日本は、日本国憲法では以下に定められているように、本当の意味で階級社会からの解放に成功した。 第14条 すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。 とはいえ、このような平等が根付いたのは戦後50年経過したバブル期を境にした頃であり、そういった権利を最大限に活用するもの現れた。その最たる例が、天皇家一族と結婚した小室圭であろう。戦前まで天皇家は神様の子孫として扱われ、日本人はその存在に対し畏敬の念にて崇拝していた。このため、天皇家の血を引くものは選ばれた人としか結婚できないと日本人は思い込んでいた。しかし小室圭は違った。彼の目には天皇家は血統付きの人たちに過ぎず、自分はそういった人たちと結婚する権利があることに疑いを持たなかった。戦後80年で日本の階級意識がここまで激変したことを物語る一例であった。 〇才能まで憲法で平等化できない  憲法上で平等を謳っても才能という点での平等は法律で規定する範疇ではない。このため、人は生まれた時点でほかの人と同じスタートラインに立っているのではなく、それは親から引き継いだ遺伝という才能と生活環境に大きく左右される醜い現実というものが横たわっている。これは、いつの時代も変わらない普遍的なテーマである。このようなことが今になってクローズアップされるようになったのか。戦前までは「親ガチャ」は当たり前であり、いい悪い関係なく、自分の生まれた階級の範囲内で一生を送ることに疑いを持たなかった。しかし、高度成長期からバブル経済までの数十年間において、日本は一時的に1億総中流社会を味わうことができた。その崩壊による勝ち組と負け組の開きからこのキーワードが生まれたと言えなくもないであろう。 〇すべての人が「親の資質」という資産に呪縛されている  これは私自身の主観も入っているのだが、社会的地位や金融資産に関わらず、バランスの取れた両親のもとで生まれた子供は総じて均整の取れた人格を持ち、社会をうまく渡り歩いていることが多い。たとえ社会的地位が高くても、両親の性格にそれなりの難がある場合、子供もそれなりに難がある性格だけでなく、難のある人生を歩んでいることが多い。そういった...

「五公五民」時代における賢い人生の歩み方

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( 「五公五民」の重税時代突入 ) 30年以上に渡って、サラリーマンは 収入が増えても、その分だけ税金も増えるため手取りが思うように増えなくなった。それでも、バブル崩壊による デフレ経済下で、大半の商品を安く購入できたので、重税の苦しみを軽減することができた。 しかし、2021年頃から事業者側が消費者に躊躇なく値上げすることを覚えてしまい、我々庶民は重税とインフレのダブルパンチを食わされている。そんな庶民の苦しみを知らずか、政府は執拗にステルス増税を仕掛けてくる。まさに江戸時代の農民への 「五公五民」 と変わらぬ、サラリーマン大重税時代が到来してしまった。 (国民負担率の世界的な位置づけ) 日本国民の税負担は今や五公五民となってしまったが、世界を見渡すと西欧諸国においては五公五民どころではない負担率がザラであり、日本が突出して高い国とは言い切れない。これら西欧諸国は成熟化した先進国であり、社会性民主主義の福祉国家である一面が強い。一方、米国などビジネスを優遇する国は消費を喚起する目的から国民負担率はそれ程高くない。 つまるところ、ビジネス環境の柔軟な国は総じて低く、成熟して国全体が一種の共同体みたない国は総じて税負担が高い。日本の今後の立ち位置を考えるとき、西欧諸国型、自由競争の米国型のどちらにも属しておらず、まさに「二兎を得るもの一兎を得ず」のようなグラグラ感がそこにある。 (重税からの束縛に逃れられない) 日本は深刻な少子高齢化の真っ最中であり、世界一の債権国といえども膨大な国債発行や政府債務を放置できず、政府はこれ以降も執拗なステルス増税を続けていくのが目に見えている。 日本は、いまや五公五民、いや六公四民を強いられる時代に突入し、江戸時代の小作農民と何も変わらなくなった。東大卒でエリートサラリーマンでさえ、お金に関してはその束縛から逃げ切ることはできないまで政府の債務は極限まで追い込まれている。 (五公五民時代を意識した資産運用) 我々はそういった現状に嘆くのではなく、できるだけ早い時期に一定以上の資産を貯めることに注力すべきである。資産運用という表現は非常にあいまいであるが、できるだけ相場と向き合って試行錯誤をするべきである。 そういった試行錯誤を続けていれば、資産運用のテクニックがついてきて、次第に資産は増えていくものだ。それでも、政府はそういう人たちを...

富裕層(億以上の資産)になってかつ意識系を低くできればこの世界は桃源郷に代わる。

  〇生活水準とストレスの逆相関  私たちの生活は年を追うごとに便利になって、結果として10年前、20年前より生活の水準が上昇している。しかし、その一方で日常生活の満足度は年を追って低下する逆比例を起こしている。これは、物事が 便利になるにつれ、競争社会が国民全体に行き渡り、国民全体が常に相対的な地位や他人との優劣を強いられ、国民全体でストレスためるようになったからである。。 〇理想的な社会の実現 もっとも理想的なのは、ガソリンスタンドやコンビニのアルバイト程度でもしっかりと子育てが出来るなどローワーな中流が実現できる社会だ。それは米国の50年代グラフティの情景に通じるものがある。そういった社会なら、人々は安心して暮らせるだけでなく、子供への過剰な教育も必要なくなる。意識系の高さへの傾斜も一部の人たちに限られる。これを実現するのは難しいが、こういった生活の根底にある生きる事への意識を低さ、気楽に生きられる社会の実現こそが今の時代に必要なことである。だからこそ、多くの日本人が多くの人が意識系を低くして生活している東南アジアに疲れた心の浄化を求めるのであろう。 〇億の資産を保有しながら意識系を低くすれば桃源郷の現れる  逆説的になるが、日本ほど平等な国はない。世界は、日本人が驚くほどの格差社会である。日本より貧しい国ほど、貧富の差は大きく、富める者は日本人が到底届くことが出来ないほどの贅沢な暮らしをしている。西欧人でさえも、高い税収で大した手取りがあるわけではない。日本と比べ物にならないほどの質素な暮らしをしている。その反面、余暇を大切にして、強い外貨を武器に長期のバカンスを楽しんでいる。イタリア、フランス、ドイツなどのブルーワーカーのように仕事を割り切って人生を楽しむ姿勢。それでも社会で生活する一定の権利だけは確保しようとデモなどで政府に抗議し、生きるための分厚い社会保障を確保している。 そういった観点から日本を見つめなおすと、それなりに良い暮らしをしていて、社会保障だって充実している。しかし、日本人には目に見えない同調圧力という監視社会のような生き苦しさに縛られている。その心の縛りを切り破るくらいの蓄財が必要になる。普通の人では努力次第で達成できるような額ではない。しかし、それだけの蓄財し、プライドを捨てえ意識系を低くすれば、本当の桃源郷に入り込めるのかもし...

日本に漂う閉塞感の正体

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  これは私自身の勝手な思い込みなのかもしれないが、日本中に言いようのない閉塞感が漂っているような気がしてならない。それは年を追うごとに強くなっているようでもある。  人は無意識に以心伝心で相手の心と通信しているものだ。そのため、言葉を交わさなくても周りの人たちの不安な気持ちは空気感として伝わってくるものだ。 1. 経済は先進国 労働環境は後進国以下 コロナ禍によって、世界中でテレワークが拡がり在宅ワークが一般的になり始めたが、最近の通勤ラッシュ状況を見ている限り日本人の勤勉さは筋金入りであることを改めて感じさせら、この国がかつては世界一の経済大国になりかけた先進国民の姿なのかと疑いたくなる。帰りの電車でも、神奈川、埼玉、千葉の郊外に向かう電車に乗るサラリーマンの哀愁漂う姿。特に、夜8時から10時に乗る列車内は、夜も遅いのに電車は込み合っている。そこには、仕事疲れというよりは35年ローンや子供教育費の重圧に耐えながら、ストレスを抱えながら仕事にしがみ付こうとするサラリーマンの切ない哀愁が充満している。 とかく日本では、「周辺の空気を読む」こと、「同調圧力に従う」ことを美徳とする人が少なくない。その弊害からか有給休暇ですら人事評価に悪影響を与えるのではと心配し消化をためらっている。これでは、日本におけるワークライフバランスは、絵に描いた餅だ。

隣の芝生に振り回されずに好きなことを極めよう 

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  初版 2023.3.11 (旧名:隣の芝生に振り回されない生き方こそ最良の生き方) 1.隣の芝生に惑わされない 人はなぜか、隣の芝生が青く見えるようである。どうもこれは人間の本能のようです、人は常にどこかで桃源郷があると信じて疑わない。だから他人に対して勝手というべき様々な妄想を抱いて喜怒哀楽を繰り返している。ドラマや週刊誌、映画,そしてインフルエンサーに出てくるような装飾され、誇張されたカッコ良い生活をしている人が常にどこかにいると信じて疑わず、そういった人たちへの憧れや羨望を抱こうとするように出来ている。        2.隣の芝生の幻想例  ①政治家  政治家は社会的な上位の階級に属する代表的な職業だ。こんなことをいうと語弊があるかもしれないが、今の政治家ははっきりいえば苦労の割には見返りが少ない。一昔前なら、貴族の位を得られ、豪邸に住み様々な利権から得る膨大な収入得ることができたが、今では億ションにすら住めない、逆に豪華な生活をしていると賄賂を疑われお縄!となってしまう。仕事面では、4方から様々な意見を集約し意見調整を図りながら一つの指針を作り上げるという相当な労力と精神的な負荷を伴っている。正直、政治家という職業が好きでないとやってられない。 ②旧来型のエリート 大企業社員、医者、官僚などエリート職業も年々旨みがなくなっている。一昔前まではエリートとして大企業に入れば、それなりに出世し、それなりの報酬も得て、さらには子会社で役員級の役職に就いて定年退社する。今はそんなことはない。世間的にはそれなりに高収入を維持しているが、高給の分だけ税金は多く引かれ、手取りだとちょっと散財すればすぐに消えてしまう程度で、子供関係の教育費、旅行、社内交際費(飲み代等)、費用効果のない住居用不動産購入etc。で給料を使い果たしていまう。都心のタワーマンションな到底おぼつかないほど、学歴エリートは資産を残せていない。 ③セレブと言われる成功者  セレブと言われる超高所得者(芸能人やスポーツ選手、ベンチャー企業の創業者、外資系金融や大手弁護士事務所の幹部等)が該当し、私たちは、雑誌やテレビで芸能人やスポーツ選手などのセレブな生活や豪邸報道に対し、私達は羨望のまなざしとなる。しかし、そこには成功者ならではの魑魅魍魎とした見栄の世界...

お金持ちのサラリーマンこそ最強

〇サラリーマンの悲哀 サラリーマンの愚痴や悲哀は古今東西問わず普遍的なテーマでもある。そんなストレスから、サラリーマンを飛び出して自由になりたいと思う人は少なくない。 実際、自営業は完全な実力主義であるが、サラリーマンは個人的に実績を出しても、それがグループ、部署、会社の実績にすり替えられることは日常茶飯事である。いつの間にか何もしていない上司の功績にすり替えられて、上司だけが出世し、功績を上げた本人がなんら人事的な恩賞を与えられない。そして気の合わない奴と長時間の仕事を強いられるなどのう精神的苦痛も日常茶飯事である。 〇起業は思ったほど楽ではない  一方、自営業はサラリーマンと違い力いっぱい働けば驚くほどの高給を得ることもできるメリットがある。といっても自由で夢のような生活をおくれるとは限らない。自営業は、他人から仕事を貰わなくては生活が成り立たないので、発注者には絶対服従に近い関係になりがちで、それを拒否すれば、発注者側に足元を見られて次から仕事の発注を打ち切られる事もあり、周りが思うほど楽とは言えない。 〇サラリーマン生活を逆手に取る サラリーマンが苦しいと思うのは、勤めている会社に様々な要求をするからである。給与、昇進、人間関係などすべてのことを会社の望んではいけない。サラリーマンは大企業になるほど給与は毎月安定的に貰え、都会の綺麗なオフィスで仕事が出来て、様々な福利厚生などの特典もついて、上手に利用すればその分だけ潜在的な収入になる。電車の定期券は土日のプライベートな事にも利用できる。こういった費用も、自腹だと意外と少なくない出費である。それだけでなく、世の中のいろいろなスキルも学び磨くことができる最高の環境である。苦しいと思うのは企業に対して過剰な期待をかけているからだ。逆手にとれば様々なり利点が見えてくる。 〇サラリーマンに必要なのはプライドを捨てる事 サラリーマンは、程度問題はあるが、大企業になればなるほど仕事の失敗や損失で生活が破綻することはない。あるのは人事評価がある程度下がることぐらいで、生活は保障されている。しかし、会社は常に社員の効率的に働かそうと競争心を駆り立てる様々な施策を打ち立ててくる。代表的なのは「出世」という飴玉である。 頑張り過ぎず。いい加減になり過ぎず。周りとの調和を保てばよい。同僚や先輩で真ん中程度の成績の人をお手本にするの...

アザケイ小説から日本社会の疲弊を読み取る

  この小説は、人々が薄々感じているがあまり語らないことを赤裸々に描いていると短編小説です。この小説から読み取れることは、普通に生きることのハードル年を追って高くなってしまい、意識高い系の高い人たちにまで及んでしまっているという日本社会の深刻な疲弊である。あざケイ文学から、こういった競争社会の負の歪を見せつけられたような気がしてならない。   ☆「ふぞろいの林檎たち」の現代版    この小説の前提にあるテーマは、一見社会的な勝者に見える人たちの虚像というべきものである。これは明らかに作者のレトリックで、 40 年前に「ふぞろいの林檎たち」というドラマと比較すると面白い。「ふぞろいの林檎たち」では学歴競争敗者の社会的な抑圧や挫折感を描いて反響を呼んだ。アザケイ文学は、「ふぞろいの林檎たち」の勝ち組の変遷を描いたと言えるであろう。そこには、バブル崩壊以降の日本株式会社という名門企業群の衰退によるエリートサラリーマンの幸福度の激減が描かれている。日本の子供たちは、旧来型のエリート像を追い求めるように受験競争をさせられる一方、その後は大学入学時と卒業時のイメージの乖離、一流企業に入社時とその後の生活イメージの乖離が続き、いつまでたっても思い描いていたイメージ像に届かず絶望する。そんな実態が浮かび上がってくる。   ☆必要条件を十分条件に勘違い。  人生 100 年時代にたかが 18 歳の受験の結果で人生の結果が決まるなんてナンセンスなのだが、これら優等生は一流大学に入ればその後の人生も悠々自適に送ることができると、特に地方出身の受験勝者は信じている。実際、一流企業などの就職数や役員も大学ランキングではトップクラスである。そんな情報を得て自分達もいつかはこのような地位まで上り詰められると思って社会に出る。まさに必要条件と十分条件を勘違いしているのだ。十分条件である泥臭さ、それは会社で奴隷のように重労働し、学歴云々隔たりなく周りにはいい人を演じ、上司に好かれるような態度を貫いていくことで少しずつ役職の階段を上り続けていく結果でしか役員昇進への光は差してこない。まさに苦労に苦労を重ねたうえでつかむ勲章なのだが、これら優等生は、まるで「課長島耕作」のような漫画タッチの軽さで人生を謳歌できると信じ込んでいる。そして社会に揉まれ...

Fireに乗れた人と乗り遅れた人(ライフスタイル探求)

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1.FIREムーブメントの台頭 FIRE がこれほど若い人たちにとって人気なのは、ネット環境などの仮想空間の充実で他人と関りが少なくなっている中で、旧態依然の日本株式会社という日本社会の同調圧力に息苦しさを感じているからにほかなりません。 日本企業は、いまだに高度成長期の悪しき労働環境を引きずっています。それなりの企業に入っても職場環境や人間関係で幻滅させられます。今の若者の多くはストレスを溜めながら社会的な地位を守るより、ストレスを溜めない自由な生活を求める傾向があります。 2.アベノミクスと米国の株高が、にわかFIREを増加させた。 FIRE民には、リーマン・ショック後のアベノミクス恩恵か米国の株高に乗った人が多い。実際、2010年代の相場は歴史的に稀に見る投資における好環境であったことが下記でもわかります。 2008年:6,819円~2021年:30,714円  リーマン・ショック後の日経平均              2009年:6,500ドル~2021年:36,832ドル  リーマン・ショック後の米国ダウ 1974年:3,355円~1989年:38,915円 (参考)日本の80年代バブル もし、2012年にGAFAに投資したら10倍近くの儲けを獲得できるし、今流行のインデックス投資をすれば、それだけで数倍に膨れ上がります。つまり、この時期に危険を恐れず果敢に投資した人は、実力以上のリターンを得て、その一部はFIREを実践している人もいると推測されます。なので、原資を1500万程度として、米国のハイテクや日経やS&Pのインデックス投資をしたら資産を5千万円までに増やせることは十分に容易であったと言えます。  しかし、次の10年がそうなるとは限りません。逆に2010年代のような相場環境はもう当分来ないと疑った方が賢明かもしれません。 3.FIRE生活のイメージ(金銭面)  FIREを成し遂げる条件は、一生涯においてお金を困らないような蓄財した後、資産運用や自分の好きな仕事でのほほんとした生活をおくれるようにすることです。  これは相当ハードルが高いのですが、アメリカの超優良銘柄に投資すれば5千万円程度の資産でも十分に成り立ちます。あとはストレスのたまらない程度の毎月の出費で...