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アメリカは世界経済におけるブラックホール(世界の潮流)

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 〇世界経済のからくり  世界経済は、米国、広義でいえば欧米に都合の良いように誘導されている。欧米諸国は、自国の経済に貢献できるように時代のトレンドを誘導している。新興諸国の著しい発展も、実は欧米諸国の手のひらで展開されているに過ぎず、欧米諸国が低迷している時の調整弁にすぎない。何故なら新興国で製造される主力製品の消費者は欧米諸国であり、欧米人がより自分たちの生活を快適にするために提供されているに過ぎないからだ。そして、これら新興国が欧米に対抗するまでに発展していけないように産業構造を設計しているというオチさえついている。 さらに、西欧諸国は通貨レベルを高く設定することで国富は維持され、新興諸国がどんなに発展しても容易に近づけないようにしている。このため、西欧諸国が深刻な不況で国民の生活が困窮しても、これら西欧諸国の低所得層は新興諸国の中流層以上の富を保有していることになる。それが発展途上国から見た西欧人が自分たちよりワンランク以上も上の国家であるというプロパガンダイメージを描いてしまう礎になっている。 〇アップル製品などに見る欧米経済の実態 まさにこの構図の代表的な例がアップルだ。彼らの製品は中国などで安く製造した後にアップルのブランドをスタンプして世界中で高く売りさばいている。欧米諸国はこのようにブランドを牛耳って破格の利益を吸い取っている。しかし、発展途上国がその反対の構図を作るのは構造上難しいと言わざるを得ない。例として、インドにアップルのようなハイブランドの会社が誕生することができるのか。それは不可能だ。人々が洗練されたセンスのある製品やブランドを構築するためには、欧米諸国で長期間にわたって技術力の習得や商品センスを磨く修行をする必要があるからだ。そういったスキルを自国に持ち込んで欧米を凌駕する製品を販売しても、欧米諸国はルール変更というべき、次のトレンドに移行させることで。既存のブランドを陳腐化させる。そして、新しいトレンド技術を他国ライバル企業に対しシャットアウトすることで、次のトレンドの優先的な立場を独占することになる。 〇アメリカンドリームという魔法  そういった欧米主体の経済構造を後押しするのがアメリカンドリームである。米国政府は、才能が有りながらも自国で活躍できない人に一角千金と名声というアメリカンドリームを提供し、彼らに活躍の場を与え続けてい

22世紀 非婚化の向こうに恋人(ヒューマノイド)の時代がくる(:時事情報の分析)

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 〇出生率低下は自然の流れ  日本だけでなく世界中で出生率が低下している。これは女性の高学歴化と米国的なリベラリズムの浸透と時期が重なる。そもそも高学歴女性は、キャリア実現と出産適齢期の20~40歳が重なってしまう。さらに、高学歴がゆえに結婚相手のハードルを自動的に高くして恋愛の機会損失を作りあげている。結果として女性の独身比率を高めている。しかし、女性の社会進出は年を追うごとに高まっており、この現代文明が破綻しない限りこの流れを止めることはできないであろう。 〇マッチングサイトの弊害  男女間の恋愛が難しくなり、パートナーをマッチングサイトに頼るようになったことで結婚難を助長してしまった。マッチングサイト上に記載するスペックが出会いの足切りとなるという機会損失が起こしている。出会えばお互いに気心が通い合いそうな人に対しスペックのかけ違いで出会う前から拒否をしてしまうということが繰り返される。さらに、「結婚が一生に一度だけする大切なもの。だから結婚する相手は後で後悔しないように慎重に選ばなくていけない」気持ちで相手を選んでいたら、スペックと相性の両方を求めることになり、いたずらに月日を重ねるのは目に見えている。 〇自由恋愛が浸透していない地域だけが人口増という皮肉  伝統的なアラブ諸国のように、街中で女性が容姿を表立って見せてはいけない。又は、結婚相手は親族や親せきが決める文化が残っている地域は、今まで通りに結婚し、それなりに子供を儲けている。そういった意味では、イスラム圏の少子高齢化は相当先になる可能性が高い。このように伝統的な慣習に縛られている地域だけが現在においても人口を維持できている。限りなく科学を発展させ古いしきたりの壁を崩し続けている現代人にとっては、これは大きな皮肉である。そして、あの米国でさえ、移民がたくさんの子供を産み。2世3世になると少子化に落ち着く。そのため、人口を増やすために常に子供をたくさん産む新しい移民を大量に受け入れることになる。それで人種論を展開しているのは皮肉なパラドックスにしか見えない。 〇あのインドにも非婚化の波 日経の記事に、「インドで1億人がアプリ婚活 人生の選択AI頼み」という見出しがあった。これを読む限り、我々の想像以上にインドにも先進国と同じような結婚難や少子高齢化の波が水面下で進んでいるようだ。これでは、インドは発展

金融緩和が引き起こす「株式市場の活況と街角景気との著しい相違」(世界の潮流)

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〇実態経済との乖離 日経平均がバブル期に迫る高値を続けている。その一方で、足元の景況感への影響は限られたものである。どうもこの株高は実体経済と結びついていないようだ。一体誰のための株価上昇なのか。これほどの株高でさえ、一獲千金を得て六本木や銀座で豪遊するなどの浮世離れした人が現れてこない。非常に不思議な株高だ そもそもアベノミクス以降、株高と景況感が一致しなくなった。アベノミクス前までは日経2万円を超えるだけでも、庶民はそれなりの好景気を甘受できたものである。アベノミクス以降は株価がどんなに上がっても庶民に向けて富は流れてこない。逆に、将来不安は日増しに増大している。だから政府はいつまでたっても異次元の金融緩和を止めることができない。 〇過剰な金融緩和が株価の閾値だけを切り上げている。  しかし、これは日本だけではなく世界中で起きている現象である。先進国はどこも深刻な経済状況であるにも関わらず、その国の株価への下落圧力は小さい。アベノミクスで株価は幾度となく、バブル崩壊以降の最高値を更新しているにも関わらず、日々のニュースは、不安一色である。少子高齢化による人口減少社会、政府の増税圧力、低賃金労働者の増加、人生100年時代のお金の不安。など暗いニュースを上げたらきりがない。私たちは、このようなニュースを毎日見ながら、一方で一部の超優良銘柄の好調な決算を背景にバブル崩壊後の高値を幾度ともなく繰り返す金融市場の活況のニュースを同時に見ている。このように経済ニュースと金融市場には相当な乖離が生じてしまった。  なぜ、そうなったのか。これは間違いなく金融緩和の副作用である。金融緩和で市場にジャブジャブに垂れ流した過剰なマネーが庶民にまで届かず、金融市場界隈を徘徊しているからである。 〇金融市場と街角景気の乖離は当面続く  金融緩和は株価の閾値を引き上げる一方、インフレも引き起こした。サマーズの指摘通り、金融緩和の副作用を取り除かない限りインフレ率2%の時代には戻らないように、日本のこれら乖離についても同じことが言えるのであろう。なぜなら、日米欧の中央銀行は、市場から買取りすぎた国債を市中に還流することは到底できない。つまり、これでは市場に膨大なマネーが漂流していることになり、不景気による株価押し下げ要因を阻害してしまっている。  当ウェブサイトの情報は、個人的な私見を述べた

アザケイ小説から日本社会の疲弊を読み取る(世界の潮流)

  この小説は、人々が薄々感じているがあまり語らないことを赤裸々に描いていると短編小説です。この小説から読み取れることは、普通に生きることのハードル年を追って高くなってしまい、意識高い系の高い人たちにまで及んでしまっているという日本社会の深刻な疲弊である。あざケイ文学から、こういった競争社会の負の歪を見せつけられたような気がしてならない。   ☆「ふぞろいの林檎たち」の現代版    この小説の前提にあるテーマは、一見社会的な勝者に見える人たちの虚像というべきものである。これは明らかに作者のレトリックで、 40 年前に「ふぞろいの林檎たち」というドラマと比較すると面白い。「ふぞろいの林檎たち」では学歴競争敗者の社会的な抑圧や挫折感を描いて反響を呼んだ。アザケイ文学は、「ふぞろいの林檎たち」の勝ち組の変遷を描いたと言えるであろう。そこには、バブル崩壊以降の日本株式会社という名門企業群の衰退によるエリートサラリーマンの幸福度の激減が描かれている。日本の子供たちは、旧来型のエリート像を追い求めるように受験競争をさせられる一方、その後は大学入学時と卒業時のイメージの乖離、一流企業に入社時とその後の生活イメージの乖離が続き、いつまでたっても思い描いていたイメージ像に届かず絶望する。そんな実態が浮かび上がってくる。   ☆必要条件を十分条件に勘違い。  人生 100 年時代にたかが 18 歳の受験の結果で人生の結果が決まるなんてナンセンスなのだが、これら優等生は一流大学に入ればその後の人生も悠々自適に送ることができると、特に地方出身の受験勝者は信じている。実際、一流企業などの就職数や役員も大学ランキングではトップクラスである。そんな情報を得て自分達もいつかはこのような地位まで上り詰められると思って社会に出る。まさに必要条件と十分条件を勘違いしているのだ。十分条件である泥臭さ、それは会社で奴隷のように重労働し、学歴云々隔たりなく周りにはいい人を演じ、上司に好かれるような態度を貫いていくことで少しずつ役職の階段を上り続けていく結果でしか役員昇進への光は差してこない。まさに苦労に苦労を重ねたうえでつかむ勲章なのだが、これら優等生は、まるで「課長島耕作」のような漫画タッチの軽さで人生を謳歌できると信じ込んでいる。そして社会に揉まれて十分条件というもの存在が分かるように

国際的地位が低下しても西欧諸国は世界経済を牛耳る胴元  (世界の潮流)

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初版 2022.09.24 1.国別GDPランキングの長期推移 最近は、数百年前までの世界経済力ランキングも発表されるようになった。どこまでの精度かは不明であるが、これらの資料は、超長期的な視点での経済ランキングを予想するうえで重要な示唆を与えてくれる。世界国別の経済力の変遷を辿ってみると、以下の通りとなる。  1800年頃: 1位 中国 2位 ヨーロッパ 3位 インド   1870年頃: 1位 ヨーロッパ 2位 中国 3位 インド 4位 アメリカ これをみる限り、世界経済はヨーロッパ諸国とインドと中国で占められ、国別の経済力ランキングは古今東西において大きな変化はないということがわかる。この延長上で考えれば、この先の100年でインドの地位が中国同様にリバウンドするのは必然的な流れだ。最近は、少子高齢化や人口ランキング動向で先進国の衰退を指摘するレポートが散見されるが、トルコやインドネシア、そしてアフリカ諸国が、今後50年間に西欧諸国を追い抜くというシナリオは上記水位の延長上でみると想定しにくい。 2.為替レートを牛耳る西欧諸国 そもそも為替レートはなんなのかということだ。一般的に為替レートは総合的な国力を意味する。しかしながら、為替レートの価値基準は欧米的価値基準に沿って成り立ってと言えなくもない。西欧諸国の通貨を基軸として周辺の国々通貨価値が決まっていく。そのため、胴元である西欧諸国の為替が相対的に高くなるのは当然の成り行きである。さらに、為替レートは面であり、地続きであるということ。例として、デンマークの為替はデンマーク単独の評価ではなく、西欧諸国の一員というプレミアが為替レートに付加されている。  こういった視点で見ると、スペインやノルウエ―、アイスランド、スウエーデンなどは大した産業もないのになぜか通貨や所得水準が高いのも合点がいく。スペインなどは東南アジアのタイと同じようにシエスタなどでのんびりした国でも、れっきとした先進国である。このように、西欧諸国以外の国は、胴元とそれ以外という点で後れを取らざるを得ない。つまり、西欧諸国の国民と同程度の為替レート(国富)で同水準のライフスタイルと生活水準を謳歌するには、欧米諸国の数倍働かなければ追い付けないという厳しい現実がそこにある。 3.文化と価値観を牛耳る西欧諸国  西欧諸国の為替レートの優位性は、歴史的な視