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〇株式投資の不確実性と野村克也の人生訓

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  株式市場の不確実性の本質を語る上で、野村克也の人生訓 「勝ちに不思議の勝あり、負けに不思議の負けなし」の名言を噛みしめながら、長期投資家と株式の不確実性を考えたい。 (ビギナーズラックは「勝ちに不思議の勝あり」の代表例)  ビギナーズラックは初心者が受ける幸運ということだが、初心者に絞ると意味が狭くなるので、一般的には「嬉しい誤算」「棚ぼた」「偶然の産物」等にも言い換えができる。つまり、期待していた以上の幸運が得られたという意味になる。人生には、こういった嬉しい誤算で人生が思わぬ方向に好転した人もいる。しかし、ビギナーズラックは、いい意味で使われるのではない。実際、このような運に対して、気持ちを引き締めて物事に打ち込めるのか、それとも自分の実力と勘違いしたり、強運の持ち主だと感じるのかでその後の人生は大きく変わってくる。 (織田信長による運のコントロール)  織田信長は戦国時代を終焉に導き、天下統一の礎を築いた名将である。そのキャリアをスタートするのが「桶狭間の戦い」の奇跡的な勝利で、まさに「勝ちに不思議の勝あり」であった。織田信長の凄いところは、これ以降の戦いにおいて「桶狭間の戦い」の二番煎じはしなかった。織田信長本人の資料は少なく、彼がどういった思想や知的水準で天下取りをしたかは学者によって意見はバラバラになる。しかし、一見破天荒な逸話や豪快な手法を用いている割には、用意周到に勝利の道筋が見えてから相手に攻め込んでいる。美濃(岐阜)の斎藤道三を負かすのに7年近い歳月を費やした。武田信玄の存命時は信玄を怒らすことはしなかった。運任せのような事は最小限に抑えていた。彼は天才であったが、自分の運に胡坐をかいて、「勝ちに不思議の勝あり」を何度も実践しようとはしなかった。 (投資における「勝ちに不思議の勝あり」)  今度は本題である投資の世界に話を移すと、相場の流れや企業のファンダメンタルに造詣のない投資初心者が購入した銘柄が、プロを凌駕する好成績を収めることがある。「勝ちに不思議の勝あり」を得た投資家は、二番煎じのように同じ投資手法で購入し更なる利益を得ようとする。しかし、大抵の場合はそれが裏目にでて相場の洗礼を受けてしまう。なぜこのようなことが起きるのか。相場の流れは常に上下右左と常に変転するからである。例として、①1980年後半の日本の不動産バブル、②2...

ロボット業界の今後

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 (安価な製造拠点の枯渇)  安価で程よい品質の製品というのは、安い賃金で長時間労働いわば植民地主義的な構造に行き着く。先進国は、高い労働賃金だけでなくワークライフバランスが浸透し長時間労働を前提とした就労も望めない。どうしてもコスト面で割高になるので、安い賃金の国での製造に依存しなくてはいけない。しかし、今の時代は植民地時代と異なり製造を請負った国が繫栄し富を蓄える。実際、中国は製造工場になることで世界第二位の経済大国になった。製造拠点はより安価なベトナムやミャンマー、インド、バングラデッシュなどに移転し始めている。しかし、そういった安価な製造拠点も近い将来には底をつく。 (人手不足社会がロボット産業を誘発)  世界中で少子高齢化が進行している。人の寿命は年を追って長くなり、人口動態における体力のある若年層の比率が低下している。そうなると製造業の担い手不足に陥ってしまう。先進国ではサービス業などは年齢不問でなんとか雇用を確保し、3K職場は人口動態とは関係なく敬遠される。今のところ、これら仕事は移民に代替してもらっているが、移民に頼りすぎると深刻な民族問題に陥ってしまう。さらに、気候変動により真夏に外で仕事をすることも身体的に厳しい時代が到来しそうだ。このため、その代替としてロボット導入が期待される。 (ロボットの登場スタイル) ロボットは人間の代替であるが必ずしも人間の形状をしなくてもよい。要は機械が人間の作業を代替する延長でよいのである、それは工場作業においては顕著であり、工場の無人化構想はこれから一つの革新的なテーマになるのは間違いない。そして、次に人とのかかわりのロボットであり、いわゆるヒューマノイドロボットである。これの行き着く先はドラえもんであろう。しかし、ドラえもんのような完成された人型ロボットの登場までには相当期間の技術的革新が必要とされる。このため①工場の作業員を代替するロボットから始まり、 ②危険な作業を代替するロボット、③コンビニ スーパーなどの従業員ロボット ④家庭用ロボットというふうに、それぞれの段階でのノウハウを高めていく事になると推測される。まさにロボット自体が用途別の提供となり、それぞれの分野でそれぞれの強みを発揮するという形態に集約するのであろう。 ロボットは当然高価なものになり、短期的に見れば人件費の方が安くも見えるが、人...

人生100年時代のFIRE(セミリタイア)論

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 この100年での人々の寿命は大きく伸びて、人生100年時代が現実味を帯びてきた。このため、FIRE(セミリタイア)をするにしても、人生100年時代を念頭にその枠組みを設計していくことが必要になっているようだ。 1.実感年齢の著しいシフト 人の寿命は、日を追うごとに伸びている。たとえば、50歳という年齢は、わずか百数十年前の明治時代ならば人生の終盤に差し掛かった老人であり、生ける時間も残り少なかった。しかし、100年以上を経過した現代で、50歳でも見た目は30代という人はざらにいる。60代は年金給付年齢のスライドにより何らかの仕事に就く人が大半となり、最近は70代でも元気に働いている人たちが増えた。ローリングストーンズなどは80歳近くになってもライブツアーで不良極まりない激しいロックを歌い続けている。一般人でも80代になると体力は落ちるが、旅行などのレジャーなどを楽しんでいる人達も増えてきた。人生100年時代と言われる中、自由に体を動かせる年齢、いわば健康年齢の閾値が上がっている。そういう観点からは50歳までは青年期と定義づけてもあながち間違いではなくなってきた。 2.給与年齢と生活年齢の乖離  健康年齢がこれだけシフトすると60歳でも20年から30年近くは様々な事を楽しめる。そうなると、人生を楽しむためにはお金とどのように向き合っていくのかは非常に重要なテーマになる。当然であるが、年をとるにつれ条件の良い仕事は名誉職など以外は殆どない。給与収入のピークと言われる50代と言っても人生100年時代の場合、人生の半分しか通過していない。しかし、60歳以降になれば、現役時と比べたら惨めなくらいに半分又はそれ以下の収入しか稼げなくなる。このような状況にも関わらず十分な貯蓄を出来ないまま60才を迎えている人は多い。そうなると、遊びたくてもお金がなく、いくつになっても不足分を補うために条件の良悪に関わらず仕事をしなくてはいけない。それではあまりにも悲しい。このため、現役時にFIREやセミリタイアなど考えることは明らかに人生における重大な機会損失である。もし、仕事が合わなく尋常ではないストレスに苛まれるなら、給与などの条件をいく分下げても自分の居心地の良い会社を見つけるまで転職を繰り返し、60歳まで持ちこたえ資産を貯めて、次のフェーズに備えるのも立派な人生設計の一案である...

21世紀的幸福論(地方生活、3世帯家族)

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日本では。より収入の高い職業についてより良い生活が叶えられるように、馬車馬のように競争社会で闘い続ける人生を多くの人が強いられている。その結果、医師や総合商社マンのような高収入な職業に就いた者が人生の勝ち組として憧れの的になる。一方、大多数の人たちは、十分な収入が得られず、日々お金と格闘し老後不安を抱える人生を強いられている。しかし、そういった現状の価値基準を少し発想を変えれば、違う世界が表れてくる。例えば、両親のリソースを借りられるならそれを最大限に利用すればお金に対する束縛から逃れられる。都会に未練がないなら地方で豊かに暮らす。21世紀にはそんな発想転換も必要なのである 1 地方過疎化の裏側にある豊かさ  少子高齢化による地方過疎化は、産業衰退や街のゴーストタウン化など深刻な問題を生じさせている。しかし、下記は総務省のデータである。これを見る限り、地方都市の世帯当たりの平均収入はそれほど低くない。信憑性の高い統計から読み取れる事として、過疎化は進んでいるものの、物価面などを考慮すればば都会と地方間での収入格差はそれほど著しいものではない。一部の県においては都心より明らかに裕福であるという実態すら浮かび上がってくる。 これの意味する事は、地方では製造業中心に海外移転が進み市街地が衰退している。とはいえ、地元でそれなりの仕事に就いている人たちの生活水準はそれなりに高いということだ。 2 地方の知られざる現実   これら統計値において特筆すべきは富山県であり、都道府県の世帯当たりの所得ランキングで4位という順位を記録している。日本海側の北陸という過疎地にも関わらず、首都圏と同等の所得を得ているのだ。富山県のホームページには、これら理由として富山県は地元を地盤とする中小製造業が多い事。3世帯同居し、嫁、両親(祖父、祖母)も一緒に働くことで世帯収入を膨らましている。地方は都会に比べて不動産や生活費が安い。それなりの収入が得られれば、高い生活水準を得られることも可能だ。 3 地方での生活を逆手に取る  核家族世帯では、これまでは夫が働いて、妻がパートや専業主婦のスタイルで家計は夫の収入の一本足打法のようなものであった。このため、夫の会社へのしがみ付きは相当なものとなる。都会では、一生かけて購入したマンションも2世帯が住むには狭すぎて、子供はゼロベースで人生を歩むことを延々と...

遺伝子が人間の未来を支配

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 1.人は常時面白可笑しく、そして楽天的に生活できない  人は、常に不安に駆られることで未来に対する不確実性や周辺から身を守るようにできている。これは人というより生命が地球上で40億年に渡って絶滅しないように培ってきた知恵であり、1万年程度の進化しかない人間の遺伝子にはどうしようもできない本能(機能)でもある。この本能の厄介なところは、科学技術が著しく向上し、安全に生活できるようになった現代人にとって、不安が日常生活におけるリスクテイクと重なり、不必要な事に対して異常なくらい振り回されている。しかし、この機能を取り外したら人間は間違いなく絶滅に向かう。それだけ細菌などのウイルスや地球上の森羅万象は人の叡智を遥かに超えたところにあり、不安というものに駆られなければ人は適切な防御ができないからだ。こういった事情を垣間見れば、遺伝子は不安を煽る機能を取除くことは決してしない。人間は常時面白可笑しく、そして楽天的に生活することは不可能であることを理解しなくてはいけない。 2.オスとメスのそれぞれの生存戦略 ①オスによる弱肉強食戦略  政治家の縄張り争いは、猿山のボスザル争いと大きく変わりない。動物のオスは優れた遺伝子を誇示しようと争いをし、それに勝ったものだけは遺伝子を残すことができる。つまり、メスと交尾をすることができる。そうでない遺伝子を持つオスは、子孫を残すことができない。オスにはそういった弱肉強食がオスの行動原理であり、つい最近まで、争いに勝ったオスの一族は王族などの支配者になり、その周辺の貴族などの既得権益層と共に酒池肉林の贅沢な生活をする一方、圧倒的多数の民衆は過酷な労働を余儀なくされるだけでなく、ろくな食べ物を得ることも出来なかった。 ②メスの戦略による能力平準化作用  一方、メスは優秀なオスを誘惑するフェロモンをどれだけ出せるかで勝負する。オスはメスの能力よりもそのフェロモンに騙されるといって良い。このフェロモンと動物的な優秀さは比例しない。例えたら、超高収入のビジネスマンや医者を目当てにモデル並みの超美人が近づいて結婚することは多い。その場合、母親の遺伝子を継いだ子供は総じて優秀ではなくドラ息子になってしまう。逆に容姿は劣るが頭の良い女性は競争社会で優位性を獲得していない男と結婚することが多いが、母親の血を引き継いで子供がとてつもなく優秀になること...

ヒューマノイドとの恋愛の現実味(近未来予想)

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  1 . 結婚が遠くなり果てた SNSの普及によって、若い層になればなるほど、コミュニケーション能力も低下し、男女の恋愛がそもそも困難になった。会社や公の場所での求愛行動も一歩間違えばセクハラになってしまう。昭和と違い私生活において男女の交際のチャンスは激減している。  そもそも男女の恋愛はロマンチックとは程遠く、お互いの見栄と社会的な拘束の側面が強い。恋愛における「付き合う」という行為は、双方がとにかく異性と付き合いたいという衝動にすぎず、いわば恋愛をしていることに対する他人へのマウンティングや自己陶酔の側面が強い。ところが今の時代は、 ただひたすら 自分本位な気持ちが先行し恋愛がスムーズに出来なくなった。結婚相手に対しては、スペック偏差値、容姿、自分の性格の合う人などの要求を臆面もなくしてくる。これでは、相手側も疲れ果てて、途中で頓挫する。 そういった点では、スポーツやなんかで成功した者や総合商社などの超一流企業に勤めている人は、相手側からみた基礎的なスペック条件が満たされるので、純な気持ちでの交際に発展し、結婚までスムーズに進む可能性が高い。 2.「一生独身」という選択肢  ほんの50年前なら30歳前の女性が独身でいると、それだけで世間的に非常に肩身の狭い生活をおくったものだ。このため、適当な人をみつけてとにかく結婚しなければいけない社会的圧力が強かった。男の方は、40歳近くなって独身でいるとどこかに問題や欠陥があるのではと勘繰られたりした。結婚するということは、適齢期になったら当たり前にしなければならない儀式に近かった。ところが今の時代、女性が社会進出化したことで結婚が社会通念上の義務ではなくなり、選択肢の一つに変化した。このため、男女とも自分の理想の相手を求め続けてしまい、かつてのような妥協を忘れてしまった。そのようなミスマッチのまま年齢を重ねていくうちに結婚を半分あきらめ、一生独身でも良いという気持ちに変化し、独身が増え続けている。 3 . ヒューマノイドによる恋愛革命  男女とも本当はいつの年齢になっても恋愛や結婚はしたいのである。ただし、それは自分自身に都合の良い条件つきだが。そんな事が近未来では現実のものになってしまうかもしれない。それはヒューマノイドロボットの誕生である。自分好みの顔、スタイル、そして性格にカスタマイズする。そうなると、...

家系消滅の時代と「Die with Zero」

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 (家系消滅の深刻さ) 由緒ある家系とそうでない家系。かつて人々はそんなことでマウンティングをしていたが、今の少子高齢化によって家系の良悪に関わらず子供がいない事で自分の代で家系が途切れる危機にさらされている。どんなに社会的に優越的な立場にいても自分の血を引き継ぐ子孫がいないのは深刻な問題である。これは人生後半になればなるほど当事者に重くのしかかって、「土から土に戻る」境地に苛まれてしまう。そういった意味ではすさまじい勢いでの少子化の進行により、あと10年、遅くても20年もすれば、次世代に子孫を残せない老人が大半を占める現状を踏まえ、次世代に向けて子孫を残せている人達が本当の意味での勝ち組であると称される日もそう遠くもない。 (「Die with Zero」時代の到来)  生物である限り、永遠はなく、全ては線香花火のように寿命の制限下で踊らされている。人生の後半になれば自分自身の残してきた財産の後始末が必要になってくる。自分自身のお金を引き継ぐ子孫がいないなら、お金だって残しても意味がない。自分自身の貯めた資産は命が尽きるまでに使い切ろうという事になり、瞬間風速で億越えの富裕層に到達しても、しまいには有名な「Die with Zero」で人生の終焉を迎えることになる。そういった人たちが徐々に増え始め、多数派になることも否定できない。 逆に、子供や孫がいれば、自分の家系が末永く繫栄するための頑張りができる。だからこそ、子孫のために資産を残さなければならない気持ちにもかられる。そういった点では資産の残し方という点でも二極化された社会に突入する。 (「金持ち3代、貧乏5代」も消滅)  中国には「金持ち3代、貧乏5代」の諺がある。科学的にもこの循環説はまちがっていないと想定されるが、これだけ少子化が深刻化した昨今においては、この過程の中で家系が消滅することを心配しなくてはいけない。 「一代目が財をなし金持ちになると、その子ども(二代目)は親の姿を見て育つので努力の価値を知っている。しかし、自分の子(三代目)にはそんな苦労をさせたくないと過保護に育てるし、また、三代目は生まれながら金持ちの子どもでスタートするので努力することを知らない。それが災いして家を潰す。その子どもは家が没落しているので貧乏で育つ(貧乏初代)、次の子は生まれながらの貧乏(貧乏2代目)。その子どもも...

日本に漂う閉塞感の正体(その2) 不安遺伝子の呪縛

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 日本に漂う閉塞感の正体 ( https://investment-v3.blogspot.com/2022/04/blog-post_16.html )を書いているうちに、日本人のこのような行動を促しているのは別の要因があるのではないかと感じた。日本人の行動はあくまでも結果であり、原因ではないという事である。 (遺伝子学からの考察)  不安感を直接抑制する物質はセロトニンであり、人はセロトニンを多く持つ(L(ロング)型楽観遺伝子)と、少なく持つ人(S(ショート)型不安遺伝子)に分かれる。 「S」型遺伝子保有は、日本人80%、韓国79%、中国人75%、台湾人70%、スペイン人47%、アメリカ人45%、南アフリカ人28%という調査報告があり、人種で不安の許容度が大きく異なる。さらに、不安遺伝子「SS」型を日本人は68%で、アメリカ人は5人に1人、逆に、アメリカ人は楽観遺伝子「LL」型遺伝子を3人に1人が保有し、日本人は2%弱に留まっている。日本人は遺伝子学的にも不安を抱えやすい民族であることが言える。この事は同じ出来事に遭遇した場合、日本人は「深刻」に考え、米国人が「偶然の出来事に過ぎない」と考え、アフリカ人は「これが悪い出来事なの?」程度の開きがある事を示唆している。 (単一民族の島国であるがゆえに強制される空気感) 日本人は、とかく空気感を重視する。それは、単一民族国家であることに要因があるのであろう。つまり、国全体は村社会でどこに逃げても同じ考えの人達しかいない。海外と異なり逃げ場に苦慮するのだ。さらに、諸外国のように自分達と全く異なる言語や習慣を持つ民族と常に争いごとを繰り返し、他民族の支配下におかれたこともないので自分たちの意見をはっきりいう事の大切さを奥のほうに追いやった。しかしながら、日本人のような単一民族が、これまで他国に攻められることが殆どなく、国の統治者が同一民族であることを踏まえると、本来ならおおらかな性格になるべきであるがそうなっていない。村社会の掟が他国と比べて想像以上に酷であったことの証であろう。 (不安遺伝子の多い理由) 日本人が不安感を強く抱くのは、遺伝子学から見れば古代の日本人の祖先のつらい記憶であり、それが現代人に引き継がれていると言える。では、このつらい記憶はいつの時代のものだろうか。今の人類の原型はアフリカで生まれ、そこ...

情報社会の代償 隣の芝生という厄介な存在 

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  初版 2023.3.11 (旧名:隣の芝生に振り回されない生き方こそ最良の生き方) 1.隣の芝生は人間の本能 人はなぜか、隣の芝生が青く見えるようである。どうもこれは人間の本能のようである。人は常にどこかで桃源郷があると信じて疑わない。だから他人に対して勝手というべき様々な妄想を抱いて喜怒哀楽を繰り返している。ドラマや週刊誌、映画,そしてインフルエンサーが煽り立てるような装飾され、誇張されたカッコ良い生活をしている人が常にどこかにいると信じて疑わず、そういった人たちへの憧れや羨望を抱こうとするように出来ている。        2.隣の芝生の幻想例  ①政治家  政治家は社会的には上流階級に位置する職業で、まさに隣の芝生である。しかし、そんな隣の芝生も今となっては、はっきりいえば苦労の割には見返りが少ない。一昔前なら、貴族の位を得られ、豪邸に住み様々な利権から得る膨大な富を得ることができたが、今では億ションにすら住めない、逆に豪華な生活をしていると賄賂を疑われお縄!となってしまう。仕事面では、4方から様々な意見を集約し意見調整を図りながら一つの指針を作り上げるという相当な労力と精神的な負荷を強いている。もはや、政治家という職業が好きでないとやってられない。 ②旧来型のエリート 大企業社員、医者、官僚、外資系金融や大手弁護士事務所の幹部等などのエリート職業もアッパーミドルの代表的な職業で庶民とは一線を画している。一昔前まではエリートとして大企業に入れば、それなりに出世し、それなりの報酬も得て、さらには子会社で役員級の役職に就いて会社人生の余生をおくる。まさにアッパーミドルの典型例のような人生であるが、今はこのような天下りが出来なく、給与面でも、天下りが減った分、人生後半の高給生活が遮断され、年を追って旨味が享受できなくなった。 ③セレブと言われる成功者  セレブと言われる超高所得者(芸能人やスポーツ選手、ベンチャー企業の創業者)なども隣の芝生の典型例である。これら人たちの共通点は実力主義の環境下で自分の力量を頼りに成功者と言われる地位まで上り詰めた事である。私たちは、雑誌やテレビで芸能人やスポーツ選手、事業の成功者などのセレブ生活や豪邸報道に対し羨望のまなざしを抱いてしまう。しかし、そこには成功者ならではの魑魅魍魎とし...

TSMCの日本進出から垣間見える日本人の西欧人化

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 (日本企業の相対的な地位の低下)  つい最近まで、日本企業における日本人従業員の給与は東アジアでダントツに高かった。成熟した高所得国である国が経済発展を続けるためには、新陳代謝を繰り返しながら新技術で世界を席巻し続けるか、生産性の向上に活路を求めざるかのどちらかしかない。それは官僚化するオールドエコノミーに依存せず、アントレプレナーを育てて新たな産業を作り続けることにある。日本はこういった循環が停滞している間に、中国や韓国、台湾は日本の得意とする分野に猛追し、そして追い越すまでになった。 (TSMCの日本誘致)  そのような現状を打開する手がかりとして、TSMCの熊本工場進出が出てきた。日本国民の性格上、韓国、台湾、中国の大企業が自らの戦略で日本に工場を建設して一大製造拠点にするとしたら、マスコミを含め多くの日本国民は拒否感を抱くであろう。この案件は米国主導の安全保障問題から始まったサプライチェーンの再構築の一部であるが、日本政府側も約1兆円以上の巨額の補助金を付けるなど、TSMCに対し強烈なアプローチをして熊本誘致したことには違いない。  日本政府から見ると、日本には優秀な技術者がたくさんいる。没落しかかっている日本の製造業に対し、世界一の半導体メーカーから成功の手ほどきを学んでもらう。TSMCから見ると日本の潜在的に優秀な技術者を発掘し、企業競争力をさらに高めていく。そんな思惑が見え隠れする。 (日本とは異なる労働文化)  実際に工場を建ち半導体製造がスタートすると、そこには日本とは全く異なるドラスチックな世界があった。賃金は欧米企業水準の高給であるが、労働体系は、ブラックどころではない労働環境+米国流の実力主義がハイブリットされていた。スキル有無に関わらず根回し文化で年功序列の社員を大切にする日本の企業文化などは存在しない。  このように勤勉と言われた日本でさえも、TSMCからは日本人は思ったより能力が低く働きも悪い。という声も聞こえてくる。この違いこそ、中国や台湾などの企業が日本を押しのけて世界を制覇してきた源泉であり、日本においても西欧に追いつき追い越せと寝る間を惜しんで働いた高度成長期の残像を垣間見ているようだ。  (米国政府のしたたかさ)   米国政府は、そんなTSMCに最先端の半導体工場を強制的に作らせている。しかし、T...

新興国のアッパーミドルは一般の日本人より金持ちな時代!

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 今の日本は、この20年にかけてジャパンプレミアムが剝げ落ちてしまった。これの意味するところは、庶民にとっては日本国内だけでなく、海外にも逃げ場所がなくなってしまったことである。これからは、上手で賢い生き方をしないと世の中を楽しめなくなったということだ。一方、アッパーミドルは国籍を問わず、かつてのジャパンプレミアムのような生活を楽しめるようになった。世界が均一化するにつれて、人々の生活レベルも国を超えたところで均一化され始まっている。 ①  物価水準の瓦解  20年前は日本が景気が悪くても、アジア諸国にいけば贅沢な生活ができたものである。端的に言えば、月10万円あれば東南アジアでは日本の30万円~50万円相当の生活ができ、竜宮城を思わせるような生活も夢ではなかった。しかし、日本円はどんどん弱くなり、今となっては、アジア諸国でも10万円程度の価値になり果て、南国の酒場やレストランで外食を楽しむということすら贅沢となってしまった。 私などは、屋台で食べることはできない。さらに汚いとこに住めないので、このレートだと日本以上に出費がかさむので南国移住など到底不可能である。日本円の強い時期をしっている者にとっては、本当に寂しい限りである。 ②  高級品に対するプレミアムも瓦解  とはいえ、日本人はデフレの最中でも、ディズニーは活況で、飛行機もANAやJALのプレミアムカードを多くの人が取得し、そして高級ホテルの会員にも手をだしている人も少なくない。コロナ前には、豪華クルーズ旅行も流行りだしていた。このように並べると、デフレと言いながら多くの人はピンポイントではあるもののそれなりに贅沢を楽しんでいた。   これらの価格はジャパンプレミアムというべきか比較的手ごろな値段での取得や楽しむことが可能であったためである。しかし、コロナ後のインフレ加速でこういった分野の値上げも著しくなり、庶民には次第に遠くのものになりつつある。  つまり、バブル崩壊後の円安政策で日本円の価値が長期にわたって下落し、結果として、バブル期までに日本という国家が獲得したプレミアムの大部分が剥げ落ちてしまった。これを一言でいえば、衰退である。 ③ 国単位で豊かさを図ることが出来ない時代  金融緩和とIT技術の進歩によって、先進国、新興国を問わず、実労働収入や金融資産運用などで深刻な格...

結婚を促進するには戦前の階級社会復活しかない

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  婚活市場も、ここ20年でデジタル化へと大きな変貌を遂げた。その結果、就職の学歴フィルタの如く、相手のスペックを見て足切りを行いながら見合いをするということが当たり前になってしまった。ドウモ  そして、自分のスペック偏差値を顧みず、自分のスペックの偏差値1 0程度高い相手を見合い相手として選んでいにも関わらず、男女とも自分はスペック偏差値50の「普通の人」を選んでいると思い込んでいる。まさに脳内ミスマッチの典型例だ。 (結婚相手に求めるミスマッチの常態化)  女性は、男性に一定以上の学歴と年収などの生活力を最低限の基準として求めながら、さらに一定程度の容姿スペックを求めてくる。  男性は、女性に対し若さと可愛らしさ、そして物事に対する従順な優しさを求めてくる。  単純にいうと、これらレベルはドラマに出てくる脇役俳優や女優レベルである。主役ほどイケメンや美女ではないが、一般社会では上位に位置する容姿である。それは美男美女が出演するドラマの中だからこその普通を勘違いしている。 そして、いつかはそんな人と巡り合えるのではと勘違いを続けながらいたずらに年を重ねているのである。 ( 自分自身ぼスペック偏差値を客観的に見れない)  そもそも、サラリーマンで標準以上の年収を得られる人は少ない。自分が標準以下の年収なら、男性の方も相手のスペック偏差値を下げるべきである。しかし、スペック偏差値を下げても実際は60程度までしか下げていない。このため、いつまでたっても相手側の女性から拒否され続けてしまう。それは女性も同じで、自分自身が思っているスペック偏差値と相手側から見たスペック偏差値に乖離があることを絶対に認めようとしない。  その一例として、この厳しいビジネス競争社会で女性側が希望する専業主婦が男性にとってどれだけ重荷になるかという事を理解していない。男性が人生をかけて相手を大事にして、守ってあげるという事は相当な覚悟が必要になる。ところが相手側の女性が、高度成長期の親世代を前例にそれを当たり前としか思っていない。 もし、それを望むなら、男性側はその見返りとして、女性に若さと美貌を求めてくるのはある意味当然であろう。 (エンターテイメントが浸透したことの弊害)  でも妥協できないのもわからないではない。テレビやネットを観れば、そこら中にイケメンや美女にあふれている。福山雅...

女性の社会進出が少子高齢化の源泉

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初版 2022.10.14 (旧タイトル;少子高齢化と財政破綻) 1.生涯未婚時代の到来 1980年代までは、日本だけでなく世界中で人口爆発が社会テーマとして危惧されていた。ところがバブル崩壊を境に 年を追って 、日本人は結婚をしなくなり、そして子供を産まなくなった。今となっては生涯にわたる独身者も珍しくなくなった。何とか結婚に辿り着けたとしても、今度は子供を持たない世帯が激増している。結果として、出生数は政府予想を大きく下回り、日本は少子化の一途を辿っている。        https://www.mhlw.go.jp/content/12601000/001093650.pdf 2.少子化対策の絶望感   こういった状況下において、政府も少子化対策を打っているが、効果らしい効果はほとんどない。とはいえ、お隣の韓国や中国、そしてシンガポール、香港、台湾などは日本以上に深刻な少子化に陥っている。さらに、東南アジアで発展著しいタイなども同じように少子化に陥っている。これは、この100年に起きた女性の高学歴化による社会進出による歪であり、ライフスタイルを一変させるような革命的な対策を打たなければ、この流れを止めることは困難であろう。 3.女性の高学歴化と社会進出が生み出す歪 少子化の原因は女性の社会進出に対しての旧来以前の社会構造のギャップにある。それら理由を羅列すると ・女性の高学歴化による社会進出が顕著になったことで、彼女らの自己実現が出産適齢期と重なっている。このため、出産時期を逸してしまう。 ・女性の結婚に対する認識も大きく変化し 、女性が結婚する事が社会的な義務でなくなった。このため、結婚は人生における選択肢として、夫となる男性を選ぶようになった。 ・結婚して子供を持ちたいと思っても、 今の社会構造では子育てにおいて20~40代の女性に多大なる負担を強いている一方、会社側の勤務形態や政府の支援などの社会的ケアがあまりにも脆弱すぎる。このため、子供を育てるには相当な覚悟を必要され、それが結果として子供を産まないという選択を取ってしまう。  実際、共働きで子供を育てるには、約20年近くに渡って戦闘と変わらない人生を背負うことになる。例えば、0~5才位までは子供の病気との闘いなど24時間臨戦態勢で睡眠すら満足に取れないこともザラである。また、仕事と家事の両立で自分自...

日本に漂う閉塞感の正体

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  これは私自身の勝手な思い込みなのかもしれないが、日本中に言いようのない閉塞感が漂っているような気がしてならない。それは年を追うごとに強くなっているようでもある。  人は無意識に以心伝心で相手の心と通信しているものだ。そのため、言葉を交わさなくても周りの人たちの不安な気持ちは空気感として伝わってくるものだ。 1. 経済は先進国 労働環境は後進国以下 コロナ禍によって、世界中でテレワークが拡がり在宅ワークが一般的になり始めたが、最近の通勤ラッシュ状況を見ているとライフワークバランスは形だけにすぎず、本当に先進国民の姿なのかと疑いたくなる。帰りの電車でも、神奈川、埼玉、千葉の郊外に向かう電車に乗るサラリーマンの哀愁漂う姿。特に、夜8時から10時に乗る列車内は、夜も遅いのに電車は込み合っている。そこには、仕事疲れというよりは35年ローンや子供教育費の重圧を背負いながら、ストレスを抱えて仕事にしがみ付こうとするサラリーマンの切ない哀愁が充満している。

Fireに乗れた人と乗り遅れた人

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1.FIREムーブメントの台頭 Fireがこれほど若い人たちにとって人気なのは、ネット環境などの仮想空間の充実で他人と関りが少なくなっている中で、旧態依然の日本株式会社という日本社会の同調圧力に息苦しさを感じているからにほかなりません。日本企業は、いまだに高度成長期の悪しき労働環境を引きずっています。それなりの企業に入っても職場環境や人間関係で幻滅させられます。今の若者の多くはストレスを溜めながら社会的な地位を守るより、ストレスを溜めない自由な生活を求める傾向があります。しかし、FIREを安定的に成し遂げるのは数億円の資産が必要であり、実際のところ、セミリタイアが現実的な解でもあります。 2.アベノミクスと米国の株高が、にわかFIREを増加させた。 FIRE民には、リーマン・ショック後のアベノミクス恩恵か米国の株高に乗った人が多い。実際、2010年代の相場は歴史的に稀に見る投資における好環境であったことが下記でもわかります。 もし、2011年にGAFAに投資したら10倍近くの儲けを獲得できました。今流行のインデックス投資をすれば、それだけで数倍に膨れ上がりました。つまり、この時期に危険を恐れず果敢に投資した人は、実力以上のリターンを得たことになります。まさにFIREを目指す人にとっては最高の環境であったと思います。一番簡単な方法としては、単純な積み立て投資を2011年頃から始めた場合、米国のハイテクや日経やS&Pのインデックス投資をしたら資産を3~4倍強に増やすことが出来、さらに円安で1.5倍まで膨らますことが出来たので、投資総額が1500万円なら、7~9千万円までに資産を増やすことは可能でありました。実際に、株式投資でにわかFIREを成功させた人たちは、その殆どにおいてこういったトレンドに上手く乗れた人ではないでしょうか。  しかし、次の10年がそうなるとは限りません。逆に2010年代のような相場環境はもう当分来ないと疑った方が賢明かもしれません。 3.セミリタイア生活のイメージ(金銭面)  FIREを成し遂げる条件は、一生涯においてお金を困らないような蓄財した後、資産運用や自分の好きな事をすることでのほほんとした生活をおくれるようにすることです。これは数億円の資産を必要とされハードルは相当高いのですが、アメリカの超優良銘柄に投資すれば5000万円程度の資産でも、...