GHQが再構築した日本社会
日本は太平洋戦争に敗れ、その傷跡は社会の至るところに残された。しかし、その一方でGHQ(連合国軍最高司令部)は、日本の非軍事化と民主化を目的に、法の下の平等を柱とした大規模な改革を断行した。主な施策は、日本国憲法の制定、農地改革(地主制の解体)、財閥解体、教育改革、華族制度の廃止、財産税の導入、そして天皇家の整理である。これにより、日本社会は世界でも類を見ない「平等社会」へと転換することになる。 1. 財閥解体:支配層の交代と企業再興 GHQは戦前の日本経済を支配していた主要財閥を解体した。これにより、経済を実質的に支配していた財閥一族は没落の道を辿ることになる。解体対象は、三井・三菱・住友・安田の四大財閥をはじめ、大倉、浅野、古河、渋沢、野村などの中堅財閥、さらに富士産業(旧中島飛行機)、日産、日立製作所、東京芝浦電気といった主要コンツェルンにまで及んだ。 興味深いのはその後の変遷である。これらの企業は、解体前に勤めていた中堅社員や技術者の手によって再興され、現代においても名門企業としての地位を保ち続けている。「血筋」による支配から、学閥を中心とした「組織運営」へと、日本社会はシフトすることになる。 2. 農地改革:地主制の崩壊 1947年から1950年にかけて実施された農地改革は、日本の農村構造を根本から覆した。約193万町歩の農地が地主から買い上げられ、475万人の小作人に払い下げられた。 当時の急激なインフレーションにより、地主に支払われる買上金は実質的に紙屑同然となり、農地はタダ同然の価格で小作人へ移転した。この結果、小作地割合は46%から10%に激減し、戦前の地主・小作人制度は崩壊。自作農主体の農村へと変貌した。ただし、林野解放が行われなかったため広大な山林を保持し続けた地主もいたが、その多くも農地を失った困窮から後に山林を切り売りし、かつての優位性を失っていった。 3. 財産税の導入:富の徹底的な再分配 1947年に一度限り導入された財産税は、富の再分配と戦後復興の財源確保に凄まじい威力を発揮した。課税対象は資産10万円(現在の数千万円規模)以上で、最高税率は90%に達した。 当時の10万円は、現在の野村総合研究所による資産分布における「アッパーマス層(資産3,000万円以上)」以上に相当すると推計される。この苛烈な課税により、当時の富裕層・準富裕層の...