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石破ショックにみる総裁選と株式市場

  前回は岸田総理就任時について書きましたが リンク(相場の事は相場に聞け 岸田内閣の評価 )  今回は石破新総裁について思うところを書いてみます。 (石破総裁誕生)  私は、今回の総裁選について何の興味を持っていませんでした。  でも、小泉は役不足。終盤に向けては高市早苗が追い上げてもしかしたらと思い、石破は自民党員に嫌われすぎるのが問題。でも彼が総裁になれば、旧来型の自民党政治である株式市場より国民の生活に政策の目を向けてくるだろうとぼんやりと考えていました。  今の自民党が、今のように金融市場に気を遣うようになったのは、米国の政治事情を取り入れた安倍政権の時からであ、いわゆる強烈な金融緩和策をすることで富めるものを富ませ、最終的には街角の人たちにトリクルダウンを起こす。そんなシナリオを描いていたが、実際にはトリクルダウンの効果以上に格差のほうが大きく拡がってしまった。 (岸田政策との共通点)  岸田政権は、本来は、石破政権とおなじ方向の政策の舵取りを試みたが麻生氏や安部派が政権運営で主流を握っている中では中途半端な対応しかできなかった。現にその時の私のブログでは、岸田政権になることに株式市場がネガティブな反応を示していると書いた。  石破政権は、岸田政権のもつ自民党の保守本流の政策をさらに推し進めるとみてよい。さらに、麻生氏も安倍派の勢力も弱まったこともあり、あとはマスコミを味方につければ良いだけである。  一方、市場はアベノミクスを継承する高市氏が総理になると思い株価は大きく値を上げた。もし、高市氏が総理になっていたら、日経平均は4万。来年に向けては過去最高値を伺う展開になるであろう、日銀の金融緩和出口戦略も実質的にストップさせられるのは必須だ。  どっちが良いのかはわからないが、感情論としては、石破氏は自分の正義を貫き通したがゆえに安部派に嫌われ、自民党内でも長い間、冷遇され続けた。それを多くの国民はみていた。そしてマスコミも。そういった点ではマスコミは石破氏を叩きにくいであろう。 (経済政策)  経済政策においては、誰をブレインにするのかは今のところ不明であるが、財政健全化と金利がある状態への回帰を堅持しながら、株式市場の動向よりも地方の有権者の声を聞きながら政策を進める可能性が高い。こうなると、これまでのように株式市場が右肩上がりになることの想定は難し

FRB金融政策、0.5%の大幅利下げの利下げ局面に突入

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 9月18日にFRBは、0.5%の大幅利下げ決定をした。これはインフレ率が、21年の10%弱から2.6%と大幅に低下した事と「雇用の最大化を支える」という名目であるが、私自身は大統領選挙において民主党の追い風になることを踏まえた政治的圧力も感じている。なぜなら、トランプは大統領選が終わるまで政策金利を変更するなと叫んでいたのと対照的な行動に出たからである。  このことで、トランプが大統領になったら、この件をトリガーとしてトランプはFRBに相当な圧力をかけてくる可能性は高い。  私は米国の高インフレが70~80年代の米国経済のようなインフレ経済への変換のトリガーになると思っていた。実際、インフレ率10%弱の頃は、1980年代前半のボルカーの高金利政策を取り上げるメディアも少なくなかった。さらにサマーズの下記発言もそれに同調するものだと私は感じていた。  「私(サマーズ)は世界経済がグローバル化することと生産性の改善から世界経済は長らくはデフレ基調で推移すると考えていたが、バイデン大統領が計画する2兆億ドル近い景気刺激策は、世界経済をデフレからインフレ基調に転換させた。あきらかに政策は行き過ぎている。これからは、インフレ率は平均2%に戻ることはなく、4%程度で推移するであろう。」  と述べていた。私もこの意見を信じていた。しかし、米国経済のインフレ率が想定以上に収束し、サマーズもこの持論を撤回し、パウエルの金融政策を称えるまでになった。  つまり、著名な経済学者の経済予測も結局のところ過去の経験則に対する警告の域に過ぎないということだ。これは深くは調べていないが、いつの時代もその当時の最高峰の知性を持った学者などが警告するメッセージは意外と当たっていない。言い方を変えれば、現場の政策担当者はこういった事を踏み台にして高度な政策運営をしているという事に他ならない。今回のサマーズの発言の変遷の理由は、これまでの経済学の研究は、過度な金融緩和が引き起こす未知の経済事象にまで及んでいないということであろう。つまるところ、米国の政府高官の政策担当者は、実際の経済運営は経済学の理論の先を行っており、政策者はこういった警告を踏まえながら様々な経済統計情報をそれぞれのチームの視点で分析したのを政策担当者間で擦り合わせながら、未知の領域で経済運営を行っているということであながち間違いはな

投資視点で地球温暖化を考える

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 投資視点で地球温暖化を考える  日本の夏は、年を追うごとに熱くなって、次第に地球温暖化が私たちの生活に深刻な影響をもたらすようになってきた。これ以上に地球温暖化が進行したら、私たちの生活はどのようになるのか? そんな事を投資家目線で考えてみた。1.地球温暖化は誰にも止められない。 地球温暖化の元凶となる二酸化炭素排出量の国別ランキングは以下の通り。 上記を見る限り、脱炭素問題は国連気候変動枠組条約締約国会議(COP)で解決する次元の話ではないということだ。この協定では、なんと中国やインド等の新興国に対する温室効果ガス排出量に対して厳しい制限か課せられていない。  これではこの条約の効果などないものに等しい。ランキングを見る限り、この問題は中国と米国、インドやロシアが連携して取り組むべき課題であって、これら国々が10%、いや20%の炭素排出量を減らせば、その他の国々も追随し、問題解決に向けて前進をするであろう。   しかし、現状は全く逆だ。世界は経済面での事情でインドを中心とした途上国の発展を望んでいる。  そうなると、地球の温暖化は今より酷くなるのは明白だ。私たちは、そろそろ熱くなる地球を意識しながら生活する必要があるのかもしれない。 2.温暖化の危機な予兆 ①地球の温度上昇  2015年に採択されたパリ協定では、世界平均気温の上昇を産業革命以前より1.5℃以内に抑えるという目標が設定されたが、この目標はあっさりと破られた。  世界では、暖冬と夏の猛暑が当たり前にようになってしまった。この傾向がさらに加速するのは明白で、日本やヨーロッパの夏は、40度以上、インドや中東では50度以上、砂漠などでは60度などの猛暑になるのであろう。それと同時に、世界中で熱中症による死者が大幅に増加し、日本や西欧ではこれまでなかった熱帯性の伝染病が流行するようになる。 ②海面上昇の危機  海面は、1900年以降17㎝上昇した。現在は毎年3.6mmずつ上昇していると言われている。2050年までに25~30cm上昇との予測があり、この辺までくると世界中で水面に浸る地域が増えてくるので、様々なことで深刻な問題が生じてくる。日本においても、大雨による床下浸水、台風による深刻な洪水被害が多発するようになるであろう。 3.投資家が意識すること  順当にいけば、次なるバブルはAI関連になる。しかし、

政府が推進するインフレ・賃金上昇の脆弱性

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1.高度成長期のインフレ・賃金上昇の好循環  高度成長期のインフレは、収入と物価が連動していた。大学卒の初任給は毎年のように上昇し、年収も増えていった。例えば昭和45年入社の初任給は4万円弱。昭和50年入社は9万円弱。平均年収を見ると、昭和45年は94万円、昭和50年は203万円であった。わずか5年で年収が2倍に膨れ上がった。 住宅もこの頃は首都圏でさえも1千万円台が多かった。このため、若いうちに住宅を購入すれば、自分の年収に反比例するようにローン返済が楽になった。それだけでなく、購入した不動産価格が数倍、場所によっては十倍近くに跳ね上がった。まさに理想的なインフレ・賃金上昇の好循環であり、真面目に生きていれば報われる夢の時代だった。 2.バブル終焉と日本経済の成熟化  このような好循環も80年代バブル終焉とともに終わりを迎える。日本経済は成熟化とともにデフレを迎えることになる。年収に至っては1997年の500万円をピークに緩やかな下降を描いた。その一方、社会保障料が段階的に引き上げられ手取りベースでは相当な落ち込みを強いられることになった。  さらにGDP推移と賃金推移に目を向けるとGDP上昇に賃金上昇が追いついておらず、その恩恵は労働者ではなく企業利益(株主)に向かうようになった。これはアベノミクス以降に顕著となった。結果として、これら企業業績の好循環は投資家の懐を潤すことになり、それら層を中心に1億円以上保有する世帯が100万を超えるまでに膨れ上がった。 3.政府が夢見るインフレ・賃金上昇循環の脆弱性  政府は、この失われた30年を回避すべく、インフレ経済への移行を図っている。インフレ経済に移行できれば、貨幣価値の棄損により深刻な政府債務や社会保障費に対する実質的な負担を軽減することが出来る。一般人においても、住宅ローンなどの借金負担が軽減される等のメリットがある。  一方で、インフレは物価上昇を伴うので、賃金も同時に上昇しないと多くの家庭で生活が逼迫される。とはいえ、賃金上昇については、グローバル化の進展により欧米並みの利益水準を求められる企業にとって、事業利潤をダイレクトに労働者に振り向けられないこと。さらに、安易な賃金上昇はコスト競争力を低下させ、企業の海外移転を加速させてしまう結果となり雇用不安を引き起こすことにもなる。  現状では、日本経済がマクロ的

エムスリーに見る個別銘柄投資の難しさ

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 (株式市場の花形である成長株投資)  株式市場をけん引するのは、未来に輝く成長株である。こういった銘柄は、時には10倍どころか100倍程度にまで化けてくれる。10万円を投資すれば1000万円、100万円を投資すれば1億円。まさしく投資家が夢見る儲け話である。一方、成熟した優良銘柄は成長期待が乏しいため、配当面での魅力はあるものの、業績に関わらず5年いや10年を経過しても株価は思うように上昇してくれない。 (エムスリーの大暴落)  エムスリーは、株式市場のスター銘柄であった。株式の時価総額も5兆円を超えるなど米国の優良ハイテク企業の日本版という位置づけで、輝かしいテンバガーを記録した。しかし、そのエムスリーの株価が最高値の8割下落となり、ソニーが経験した2000年のITバブル崩壊時の10分の1の大暴落のような事態を招いている。 とはいえ、エムスリーの業績は株価の変動ほど悪くはない。単に株式市場がこれ以降輝かしい成長を見込めないと判断した結果に過ぎない。 このように特定分野で圧倒的な強みがあって、財務や収益面でも経営者の非凡な才能を発揮しても、国内需要の頭打ちなどで事業成長性に陰りが見え始めれば、市場は非情にもその銘柄を大暴落させ、株価を地面に叩きつけてしまう。 (個別銘柄に対する長期投資の難しさ)  未来永劫に株価が右肩上がりを続ける事は難しい。それは優良株でも同じである。東芝などは伝統や技術力において申し分のない優良企業であったがボロボロになり、さらに永遠の優良配当株と謳われた東京電力でさえ、原発事故以後は永遠の無配当株となった。ましてや、成長株になると優良銘柄のような安定した事業基盤がないので、上昇しすぎた株価に対し、投資家がどのようにして逃げるかの出口戦略を迫られてしまう。 これは簡単なようで非常に難しい。株価のピークなど誰もわからないからだ。大抵の場合、自分が売却した後も株価は上昇し続け、数倍の値段をつけた後にピークを迎えることがザラである。その時の悔しさが次の成長株投資で失敗を招いてしまう。今度は、前回の経験から売る機会を逃し、最悪は塩漬け状態になってしまう。  エムスリーを例にとっても、株価が下落しているからといっても5000円や7000円で購入したら、取り返しのつかない塩漬け状態となってしまう。成長株においては、誰も妥当な株価水準などわからない。 (投

FIRE民の蓄財能力も「親ガチャ」で決まる

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  〇小室圭にみる日本社会の多様化  戦後の日本は、日本国憲法では以下に定められているように、本当の意味で階級社会からの解放に成功した。 第14条 すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。 とはいえ、このような平等が根付いたのは戦後50年経過したバブル期を境にした頃であり、そういった権利を最大限に活用するもの現れた。その最たる例が、天皇家一族と結婚した小室圭であろう。戦前まで天皇家は神様の子孫として扱われ、日本人はその存在に対し畏敬の念にて崇拝していた。このため、天皇家の血を引くものは選ばれた人としか結婚できないと日本人は思い込んでいた。しかし小室圭は違った。彼の目には天皇家は血統付きの人たちに過ぎず、自分はそういった人たちと結婚する権利があることに疑いを持たなかった。戦後80年で日本の階級意識がここまで激変したことを物語る一例であった。 〇「親ガチャ」の出現  全ての人が小室圭かといえばそうではない。小室圭の母親は全ての日本人が平等感を味わえたバブル時代の日本人像である。その後は昔ながらの血統証付き一族の平民化が一層進むとともに、米国の実力主義に影響された金融面での格差が、新たな階級論になるまで拡大しており、世代間での逆転、そして新たな階層の固定化を招き始めている。  例として、ある人は、中学から慶應に入り一流企業に入社した。そして親もそれなりにお金持ちであり、相続も期待できる。それに比べ、自分は公立中高であり、大学もMarchクラスにも入れず、そのためブラックめいた三流企業しか入れず人生を苦労している。そして親にいたっても老後貧乏の真っただ中にいる。相続など到底期待できない。それより自分が親を援助しなくてはいけないほど金銭面でひっ迫している。  この手の格差は日常茶飯事であり、日本ではこういった状況を容易に打破できない社会に入りつつある。これに対し、世間ではこれに呼応するように「親ガチャ」というキーワードを発するようになった。 〇才能まで憲法で平等化できない  憲法上で平等を謳っても才能という点での平等は法律で規定する範疇ではない。このため、人は生まれた時点でほかの人と同じスタートラインに立っているのではなく、それは親から引き継

サイレント富裕層の台頭

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  1.資産格差の度合  日本は格差社会に入って久しいと言われるが。現実はそういう単純なものではない。今世界では、上位1%の資産総額が全体の4割弱を占めている。逆に下位50%の資産は全体の2%と言われている。これは貧富の差が激しい発展途上国を含めての数値だが、先進国だけに絞ったOECD資料では、上位1%の国内の富に占める比率は、 米国42%、ドイツ24%、英国20%、フランス19%、日本11% 上位10%の比率は、 米国79%、ドイツ52%、英国52%、フランス51%、日本41%  となる。  この数字を見る限り、米国の資産格差は臨界点に近づいており、国が分断化されているという議論についてあながち誇張したものではなさそうだ。一方、日本の格差は想定より大きくはない。さらに、これら数値は野村総研が毎年発表する資産ピラミッドとほぼ近い値なので信頼性もあるだろう。 2.富裕層の実態  ステレオタイプの金持ち像は立派な家に住み、生活も派手で豪遊しているイメージである。それは芸能人や成金に代表されるような高所得者像を描写しているに過ぎない。しかし、こういった人たちは総じて貯蓄が多くない。  逆に、質素でつつましく生活している人が裏では1億以上の資産を保有していることが少なくない。日本では、所得格差はあっても、手取りベースでの格差は圧縮されているため、このような逆転現象が起こる。ネットでも、株式等などで1億円以上を保有している人のブログが結構数あるが、そのほとんどは一般人以上の慎ましい生活をしている。このように、世間的な富裕層像と実態に何らかの乖離が横たわっているようだ。 3.社会的勝組=富裕層という誤解  統計値から見ても、近年格差が拡大しつつあるのは事実である。しかし、マスコミはそのターゲットをビジネスエリートに焦点を当てている。挙句には大企業社員や公務員を上級国民としてこき下ろしている記事もある。この構図の原型は、受験戦争の勝者→一流大学⇒一流企業→幹部社員→上級国民であり、そこには、庶民を犠牲にわが世の春を謳歌している姿を面白おかしく描いている。日本社会は、大学受験時に擦り込まれた洗脳が、一生にわたってコンプレックスとして尾を引いているようだ。 4 富裕層はどこにいるのか  これを具体的に暗示するのがドラマの変遷である。昭和初期までの富裕層像は華族等の有閑階級を題材にした