サイレント富裕層の台頭
1.資産格差の度合
日本は格差社会に入って久しいと言われるが。現実はそういう単純なものではない。今世界では、上位1%の資産総額が全体の4割弱を占めている。逆に下位50%の資産は全体の2%と言われている。これは貧富の差が激しい発展途上国を含めての数値だが、先進国だけに絞ったOECD資料では、上位1%の国内の富に占める比率は、米国42%、ドイツ24%、英国20%、フランス19%、日本11%
上位10%の比率は、米国79%、ドイツ52%、英国52%、フランス51%、日本41% となる。
この数字を見る限り、米国の資産格差は臨界点に近づいており、国が分断化されているという議論についてあながち誇張したものではなさそうだ。一方、日本の格差は想定より大きくはない。さらに、これら数値は野村総研が毎年発表する資産ピラミッドとほぼ近い値なので信頼性もあるだろう。
2.富裕層の実態
ステレオタイプの金持ち像は立派な家に住み、生活も派手で豪遊しているイメージである。それは芸能人や成金に代表されるような高所得者像を描写しているに過ぎない。しかし、こういった人たちは総じて貯蓄が多くない。
逆に、質素でつつましく生活している人が裏では1億以上の資産を保有していることが少なくない。日本では、所得格差はあっても、手取りベースでの格差は圧縮されているため、このような逆転現象が起こる。ネットでも、株式等などで1億円以上を保有している人のブログが結構数あるが、そのほとんどは一般人以上の慎ましい生活をしている。このように、世間的な富裕層像と実態に何らかの乖離が横たわっているようだ。
3.社会的勝組=富裕層という誤解
統計値から見ても、近年格差が拡大しつつあるのは事実である。しかし、マスコミはそのターゲットをビジネスエリートに焦点を当てている。挙句には大企業社員や公務員を上級国民としてこき下ろしている記事もある。この構図の原型は、受験戦争の勝者→一流大学⇒一流企業→幹部社員→上級国民であり、そこには、庶民を犠牲にわが世の春を謳歌している姿を面白おかしく描いている。日本社会は、大学受験時に擦り込まれた洗脳が、一生にわたってコンプレックスとして尾を引いているようだ。
4 富裕層はどこにいるのか
これを具体的に暗示するのがドラマの変遷である。昭和初期までの富裕層像は華族等の有閑階級を題材にした優雅な生活の描写であった。戦後は、財閥解体や華族制度の廃止などもあり、超一流企業や官僚、医者などのエリートを題材に優雅な世界を描写していた。だからこそ、大学では今もって医学部がダントツで難易度が高い。医学部は上級国民の登竜門と信じ込んでいるからだ。
そして、最近は外資系金融やコンサルティング、そしてベンチャー企業を上場させた創業者などに焦点が移り始めている。
しかし、これらの共通するのは「社会的勝組=富裕層」という誤解である。実際は、上記の通り、なんの変哲もない一般人が億の資産を保有しているケースも少なくない。まさにサイレント富裕層というものであるが、前述の通り、世間的が求める富裕層像は、いつの時代も社会的に立場の高い人やビジネスエリートと結び付けて、高所得者=高資産保有という図式を描きたがるようだ。
5 サイレント富裕層の台頭
日本は間違いなく、サイレント格差の時代が到来している。それは、所得と資産の大小が比例していないからだ。さらに、富裕層の基準に満たす人でさえ、最近は豪邸でなく賃貸住まいだったりする。なので街並みを綺麗に着飾る立派な家に住んでいる人が資産という点の富裕層とは限らない。さらには、日常生活においても旅行や趣味もなどにかかる費用を出来るだけ安く済むように計画を立てたりするので、カミングアウトをしても周りから信じてもらえないなんてことも起きてしまう。
これが日本特有の資産の分配結果なのかが不明だが、アメリカでも「となりのミリオネア」という本を読む限り、日本と似たようなものだ。米国だとそれ以外に一般サラリーマン間での401成金も数多くいる。どうも、いたる所でサイレント富裕層が増殖しているようだ。
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