日本に漂う閉塞感の正体(雑感)

 

これは私自身の勝手な思い込みなのかもしれないが、日本中に言いようのない閉塞感が漂っているような気がしてならない。それは年を追うごとに強くなっているようでもある。

 人は無意識に以心伝心で相手の心と通信しているものだ。そのため、言葉を交わさなくても周りの人たちの不安な気持ちは空気感として伝わってくるものだ。 

 この日本に漂う閉塞感は100年前に比べ驚くほど国民全体が平等かつ裕福になり、情報化社会の到来によって無意識に高尚な人生感の渦に溺れさせられている。

今の時代、周りと比べながら自分自身の位置づけをする風潮がマスコミやネットなどから植えつけられるようになってしまった。

 特に、日本人は1億中流意識が強いので、日本人であるがゆえの目に見えない縛りも影響している。企業のマーケティング戦略もそういった人の心理を逆手にとったものであり、周りからみては最低限に恥ずかしくないような、そんな雰囲気を強制させられているといっても過言ではない。

 戦前までの日本は歴然とした階級社会であり格差社会であった。しかし、多くの人は格差社会を受け入れていた。自分の置かれた状況がどんなに過酷であったとしても、鬱や引きこもりになることはなかった。戦前の鬱とか引きこもりは、インテリ大学生などなるもので、あえて名前は挙げないが小説家などにもそういう部類の人は少なくなかった。

 

 日本の閉塞感は、日本人の多くが様々な情報に埋没し、インテリ化したからであろう。常に、様々な情報媒体により競争を煽られたり、まるで自分が人生の負け組であるかの錯覚に陥らされていること。高学歴→一流企業→高収入などのアッパーミドルになることが理想的な生き方だというなパラドックスに洗脳させられている。戦前の日本にタイムスリップしたらわかるであろうが、戦前の多くの人々は貧しかったが、そうであるがゆえに開き直りのように生活していた。結婚も難なく出来たし、後先を考えずに子供もたくさん作っていた。そして育てられなくなると、子供を奉公にだしたり、身売りまでしていた。今なら考えられないことが100年近く前までは当たり前のように行われていた。

 つまるところ、閉塞感は情報過多が引き起こす洗脳的な副作用といえなくもない。法的には強制できないが、情報提供のあり方を見直して多くの人たちが生きやすい社会を作るということも必要になってくるのであろう。実のところ、楽しいも苦しいもうれしいも悲しいもその人が自分の価値観に照らし合わせて勝手に作っているものである。今の時代はその価値観を情報化社会によって洗脳されすぎているのだから。

 

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