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ベトナムと高度成長期の日本の比較 

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(1)ベトナムという国の輝き  日本人は、どこかで東南アジアに望郷の念を抱いている。彼らの容姿はどことなく日本人と似通っているようで気質がちょっと違っている近くも遠くもある距離感。そしてバイクの騒音など日本がかつて経験した高度成長を思わせるような躍動感に包まれた懐かしい社会。そんな東南アジアにも近代化の波が押し寄せて、成熟化の波が押し寄せている。今となっては東南アジアに街も日本の都会と変らなくなっている。そんな中でベトナムは残り僅かな成熟化までの段。日本人の望郷の念を楽しめる国の一つである。 (2)ベトナムと日本の比較  かつてはタイやマレーシアが日本の高度成長期と同じ雰囲気を漂わせていると言われていたが、次第に「中所得国の罠」に陥って先進国入りには至っていない。先進国とは別の方向で成熟化に向かっていった。そうしているうちに、今度はベトナムが日本の高度成長期に似ていると言われるようになった。その真意を探るべく、それを見比べるために、高度成長期の日本とベトナムの比較表を作ってみた。   これをみる限り、高度成長期のベトナムと日本を重ね合わせるには無理がある。そもそも、高度成長時代の日本はベトナムやタイのような発展途上国ではない。 日本のGDP水準は、 順位入替要因 GDP順位 1950年 第7位 1955年 インドを抜く 第6位 1960年 カナダを抜く 第5位 1966年 フランスを抜く 第4位 1967年 イギリスを抜く 第3位 1968年 ドイツを抜く 第2位 1980年代後半 米国に近づく 第2位 であり、マスコミは「欧米に追い付け追い越せ」と発展途上国気取を煽っていたが、日本は戦後一貫して経済大国であった。ベトナムとは前提が全く異なるのである。  では、ベトナム経済が爆発的に成長してGDP総額が世界10位以内に入れるかという事だが、私はそういった見解に懐疑的である。これから20年を経過しても、ベトナムは先進国企業の生産拠点であり、ベトナム発の世界ブランドは席巻するとは思えない。そういう視点で眺めていくと、ベトナムは、タイやマレーシアの経済成長を参考にしたほうが精度の高い予測ができそうだ。 (3)ベトナムの未来予想  ベトナムの経済成長が今後どのような方向に進んでいくかについて、以下を参考にして

ハイテク銘柄バブル崩壊の兆しの現象を検証 220423

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  今年の世界相場は、高インフレが起因の金融引締め圧力、そして中国のゼロコロナ維持によるロックダウン、と相場の下押し圧力に事欠きません。  幸い、ダウやナスダック等のインデックス指数は、そんな中でも持ち堪えており、大きな下落には至っておりません。日本においては、円安進行という神風でこれら下落分を相殺しているだけでなく、逆に資産が増えている投資家も少なくありません。  しかし、相場の変調はこれから説明する通り地中深く静かに進行しています。そのトリガーは、どうもハイテクバブルを起した新興 IT 企業のようです。 1.  ネットフリックス、ペイパル  これら銘柄は綺麗にバブル崩壊のチャートを描いています。この分だと会社の業績に関わらず、過去に多くのバブル銘柄が歩んできた株価の長期低迷の軌跡を歩むことになりそうです。 2 .   メタ、エヌペディア   これら銘柄は、 GAFA の一角と半導体の盟主というある意味大物です。しかし、株価は冴えません。メタに至っては GAFA の一員と言えども、事業範囲の狭い事が禍いしているのか、ネットフリックスやペイパルと同じ立ち位置で扱われているようです。一方、エヌペディアは高すぎた PER の是正が絡んでいるようです。 3.アップル、アマゾン   王者の風格が漂っているのか、株価への影響は殆どと言ってありません。アマゾンは昨年度から成長鈍化が決算に表れていますが、株価への影響は今のところ軽微です。次決算も期待薄ですが、株式分割と自社株買いの発表のおかげで下値圧力がありません。アップルに至ってはすこぶる堅調です。 これら企業は世界中で最も英知の集まった超超優良企業です。なので、今後の動向は簡単には予測できません。 4 .   まとめ   上記の通り、局所的ですが IT バブル銘柄の崩壊は始まっています。世界は深刻なインフレ下にあり、世界中の中央銀行が金融引き締めに動いています。これは新興 IT バブル企業にとっては大きなマイナス要因です。今後は、何処まで裾野が拡っていくかが焦点です。  この辺も踏まえ、ハイテク企業の今後の決算等の動向を注視していく必要があります。 追記)当時、私は、チャートを眺めながら2000年前半のITバブル崩壊を意識していた。つまり、IT銘柄は相当な期間をかけて調整局

投資家視点の戦後経済(2) 1950年代  戦後初の株式ブーム

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70年前の日本は今の日本とだいぶ異なっているのが分ります。今の日本は、よく言えば成熟し大人になった。悪く言うと高齢化社会となって活気がなった。この頃の活気にあふれた日本はある意味幸せな時代だったのかもしれません。 1.戦後初の株式ブーム(1951~1953)  1951年7月には朝鮮戦争が休戦状態に入ったことで、実態経済は再び調整局面に入った。それでも、株式相場は下げ相場に転換することなく上昇基調を維持し、同年10月には170円台、翌年には多くの業界で生産過剰が表面化し操業短縮に陥ったにも関わらず、4月に200円、10月に300円と株式相場は暴騰した。その頃の状況は、下記の 「昭和29年 年次経済報告」にて垣間見ることができる。 ~抜粋~ 「動乱勃発後海外需要の増加に刺激されて繊維、機械、金属、化学、製材など関連産業部門の生産が急激に上昇し、1年後の昭和26年6月には動乱前よりも4割も上回るに至った。しかし、海外需要は26年春頃から後退に向かったため、かかる異常な増産は26年春頃から夏にかけて急増した輸入原材料の到着とも相まって、国内市況を圧迫することになった。ことに、高値買付を行った油脂、ゴム、皮革などの新三品や、輸出不振に陥った繊維品などは価格の著しい反落を招いたが、夏と年末に行われた滞貨融資や救済融資で食い止められ、国内市況全般への波及が防止された。その後も化繊、ソーダ、薄板、ゴムなどにみられる操短、綿紡の価格調節あるいは鉄鋼の建値協調などの市況安定措置がとられ、また滞貨融資も必要に応じて行われた。 しかし、消費の実勢は鈍化したとはいえなお上昇を持続しており、経済の他の部門例えば金融、財政、商品市況など既に現れつつある景気後退現象はまだほとんどみられない状況である。」         上記経済報告書の通り、1953年には、株式相場はいっそう白熱して、2月4日には474円を付け、1950年7月の最安値から、ほぼ2年半で5倍強の上昇をした。 1945 年から 50 年頃までの日本経済は、極端な供給不足による未曽有のインフレ圧力に襲われ、市場メカニズムによる需給調整が機能しなかった。このため、政府は統制的手段で需給の調整を図った。その後、政府は市場メカニズムでの需給調整に切り替えるべく、ドッジラインで諸統制を解除した。このように終戦直後の成長経済は、統制に頼った経済