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7月, 2026の投稿を表示しています

AIバブルの結末 ― 技術革命は続くが、株価は別の道を歩む

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 このAIブームは今後どのような結末を迎えるのだろうか。 私が最も可能性が高いと考えるのは、「AIそのものは社会インフラとして定着する一方で、現在のAI関連株に織り込まれている過度な期待は大きく修正される」というシナリオである。 (現在のAIバブルの盲点) 株式市場の米国AI企業に対する評価には、AI需要が半永久的に拡大し、ビックテックが世界市場の大部分を獲得し、高い利益率をもぎ取る。という前提が織り込まれている。 これは、投資家がGAFAMが検索、通販、SNS、そしてクラウドという具合に業態を拡げ、過去10年以上にわたり驚異的な成長を続けてきたことの延長と位置付けている証だ。 そのため、多くの投資家は「今回も彼らが勝者であり続ける」と考えている。また、現在の株価は2000年のドットコムバブルほどPERが高くないことも強気相場を支えている。 (2000年ドットコムバブルを振り返る) 2000年のドットコムバブルを振り返ると、当時の市場は「インターネットが世界を変える」という期待に沸き、多くのIT企業の株価が急騰した。しかし、期待値を支えに過大とも言える設備投資をし、挙句には絵空事のような事業に対しても将来を夢見た投資家からの多額の資金が流れ込むようになった。エコノミストはそんな状態をその当時は否定すらせず、「ニューエコノミー」としてもてはやした。その後のFRBの金利引き上げなどによってバブルは崩壊し多くの企業価値は失われた。 一方で、インターネットそのものは消滅するどころか社会基盤となったが、IT業界の主役はマイクロソフトを除けば株価は長期低迷を余儀なくされ、主役の座はドットコムバブル銘柄からGoogle、Amazon、Appleなどにバトンタッチされた。このように今のAIバブルに当てはめた場合、現時点の覇者が、たとえNVIDIA やGAFAMのような鉄壁な事業と経営戦略を有している企業群であっても、10年後の覇者であるとは限らないかもしれない。 (中国勢が突き刺すバブル風船) しかし、その前提を崩しかねない存在が中国勢である。中国企業は「十分な性能を持つAIを圧倒的な低コストで提供する」という戦略を採り始めている。中国が得意とするのは、最先端技術の独占ではなく、新興国市場を中心にシェアを確保し、世界経済における発言力を強めることである。 もし中国がアジア、...

日本のインフレ転換は過剰な金融緩和だけが原因ではない

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 (日本がインフレ基調に変化した要因) 日本が長く続いたデフレからインフレへ転換した背景には、コロナ禍以降の世界的な金融緩和と、それに伴うグローバルな物価上昇が大きく影響している。これまで日本では「値上げは悪」という意識が強く、企業も価格転嫁に慎重であった。しかし、コロナ禍以降に世界中でエネルギーや原材料価格が上昇し、あらゆる商品の値上げが常態化したことで、多くの日本人が「値上げはやむを得ないもの」と受け入れるようになった。この心理的変化は、金融政策だけでは説明できない重要な要因であり、長年続いたデフレマインドを和らげる契機となった。 また、同じ時期に進行した円安も無視できない。円安によって訪日外国人旅行者が増加し、特に東京、大阪、京都などの観光地では消費が活発化した。その結果、これまで価格競争を重視してきた店舗やサービス業の一部が、より高い価格設定でも商品やサービスを販売できる環境を得た。これは日本経済全体のインフレを説明する主因ではないが、日本国内に「多少高くても売れる市場」が現れたことは、企業の価格設定に少なからぬ影響を与えたと考えられる。 こうして振り返ると、デフレからインフレへの転換には、金融緩和や円安といった経済的要因だけではなく、人々が値上げを受け入れる心理的な変化が必要だったと言える。いくら大量の資金を市場に供給しても、人々が値上げを認めず、企業が価格転嫁をためらう状況では、物価はなかなか上昇しない。デフレマインドの解消とは、金融政策と国民の意識変化がかみ合って初めて実現するものである。 (インフレ社会へのハードル) しかし、日本が今後も海外のようなインフレ社会へ向かうかといえば、それは別問題である。日本人は将来への不安が強く、収入に応じた生活を心掛けるだけでなく、老後や不測の事態への備えとして貯蓄を重視する傾向がある。そのため、賃金上昇を大きく上回るような値上げが続けば、人々はより安価な商品やサービスを求めるようになるだろう。 実際、高価格帯の商品やサービスが増えれば、その隙間を埋めるように低価格を武器としたビジネスが新たに生まれる。ディスカウントストアやプライベートブランド商品の拡大、リユース市場の成長などはその典型例である。市場経済は一方向に動くのではなく、高価格化への流れが強まれば、それに適応する形で「安さ」を売りにする事業もまた活況...

宇宙の本質と人間の認識の限界

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 広大な宇宙に対して、人間が観測し理解できている領域は、ほんの一部に過ぎない。それは、蟻が地球全体を理解しようとすることに似ている。仮に高度な知性を持つ蟻が「地球は球体である」と推測できたとしても、それを自らの経験だけで完全に実証することは困難であろう。 この構図は、人間と宇宙の関係にも当てはまる。人間は、空間・時間・因果関係といった認識の枠組みを通して世界を見ている。言い換えれば、私たちが認識している宇宙は「人間向けに翻訳された宇宙」であり、宇宙そのもの(カントのいう「物自体」)は、全く異なる姿を持っている可能性がある。 私たちが認識する宇宙とは、人間という生物が理解可能な範囲で切り取った一断面に過ぎないのかもしれない。そう考えると、「時間や空間そのものが、人間固有の認識形式なのではないか」という問いに行き着く。 私たちが当然のものと考えている「過去→現在→未来」という時間の流れでさえ、宇宙の本質ではなく、人間の認識様式の一つに過ぎない可能性がある。 ________________________________________ 人間の脳の限界 人間の脳は、地球上で生存するために進化してきた。そのため、私たちが直感的に理解しやすいのは、三次元空間、数十年規模の時間、人間の身体のサイズからみた中間的な大きさの物体などである。 一方で、原子レベルの極小世界、銀河規模の巨大構造、高次元空間、無限といった概念は直感的に把握することが難しい。人間にとって理解しやすい宇宙像が、そのまま宇宙の真実であるとは限らない。 ________________________________________ 宇宙の本当の姿は別のものかもしれない 宇宙の本質は、時間でも空間でも物質でもない可能性がある。あるいは、人間が用いる「粒子」「物質」「時間」「空間」といったあらゆる概念を超えた存在なのかもしれない。 歴史を振り返ると、ニュートン力学は地球上の物体運動を極めて正確に説明した。しかし、光速に近い速度の世界やブラックホール周辺、量子の世界では十分に適用できない。 だからといって、ニュートンが間違っていたわけではない。単に適用範囲が限定されていただけである。 統計学者ジョージ・ボックスは、 「すべてのモデルは間違っている。しかし、いくつかのモデルは有用である」 という有名な言葉を残...