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総合商社の銘柄分析 

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    総合商社は、戦前・戦後と続く日本を代表する企業である。他名門企業の多くがバブル以降に脱落し斜陽になりかけているのを尻目に、今もって王者の地位を守り続けている数少ない名門企業である。そして総合商社は、かつての仲介業から新規ビジネス領域に果敢に挑戦するベンチャースピリットを兼ね備えた投資会社に変貌しようとしている。企業の経営リソースを最大限に発揮させるためにも、総合商社は世界を股にかけたビジネスイメージと日本最高峰の給与水準を流布することで、日本屈指の優秀な人材の確保に務め続けている。 〇日本経済を背負ったコングロマリット  そういったイメージと裏腹に、旧態依然のような偏向的な大学閥の社員採用。そして日本株式会社の激務、熾烈な社内政治。どう見ても、旧態依然とした日本特有のエリート体質の染みついた社風でもある。総合商社は、10近くのカンパニーを抱える超コングロマリットである。これらカンパニーのほとんどは戦前の財閥の流れを汲んだまさに日本国の番頭のような事業であり、各々のカンパニーがそれなりの利益をはじき出せている。そういった点では、ほとんどの事業が成熟しているが会社の経営としては盤石すぎるくらいに盤石である。とはいえ、株式市場は、総合商社に対して大きすぎる事業規模と成熟性を理由に低PERの評価を与えている。当然と言えば当然である。 〇資源ビジネスが強い三菱商事、三井物産の凄み  ここ20年程度は、資源高に支えられて総合商社は未曽有の利益をはじき出した。これを一本足打法のように危険視する見方もあるが、投資対象として妙味が十分にあることを物語っている。鉄・銅・石炭・石油・天然ガスなどはその需要が上がることはあっても下がることはない。需要の波があるかもしれないが、資源市況如何で大儲けできるビジネスを持っている強みは相当なものである。 一般に、一つのビジネスを会社の基幹事業までに成長させることは至難の業である。餅屋は餅屋を脱却できない。だからこそ投資家はコングロマリット企業を評価しない。それは総合商社も同様で、コンビニやファッションブランドなどで成功しても商社の経営を引っ張るだけの利益水準には程遠い。それだけでなく、時代とともに人の趣向が変化してビジネスモデルが衰退化することさえ危惧される。さらに、次から次へと儲かるビジネスを発掘し純な時だけ経営に関与するなどの都合の良い

投資家から見た日経平均のバブル越えについて

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     私自身、日経平均がバブル最高値近くに上昇するなど予想だにしなかった。この反省点として、自分自身が物知り顔してエコノミストを真似るように日々の経済情報を分析して、見当違いの仮説を立てていたことに他ならない。とはいうものの「最も危険なことは、時代のトレンドに陶酔する」「高度成長期の投資事情から現在に通じる投資法を学ぶ」などで大局的な視点で投資を考えることはしてきたつもりだ。 やはり、相場は、長期時間軸で見ると「浮き沈みを繰り返しながらゆっくりと長期トレンドに沿って、一定方向に進んでいく」というのは、紛れもない法則に違いない。この領域になると、経済分析ではなく、我々生命のもつ特定の周期論と重なってくるのであろう。今回は、日次、月次、年次の経済情報の相場分析と株式市場のベクトルは長期軸では必ずしも一致していないことを深く痛感させられることになった。 (長期トレンドから見た投資法) 今回の上昇相場の始点を遡ると、やはりアベノミクスが相場の転換点であったのは間違いない。その間には、2016年、2020年と何度かトレンドの転換を思わせる状況下もあったが、それでも長期軸でトレースをすると日経は上値を切り上げてきた。しかし、この流れは、違った視点でみれば、あの奇跡的な上昇をみせた高度成長期と変わるものではない。例として1974年~1975年の新聞を斜め読みしてみれば、経済欄の記事は暗いニュースや経済危機的な論調のオンパレードであり、その数年後に福田内閣は大量に赤字国債を発行して景気を刺激させることでこの流れを食い止めることになる。そんな混沌とした状況の中で10年後にバブル経済が起きるなど誰も想像することすら出来なかった。つまり、1975年の世相や経済記事に流されて、悲観的な投資をしていたら大儲けをすることが出来ず、逆に、悲観的なニュースに惑わされず馬鹿になるくらいに日本の将来を信じて10年程度ほったらかすくらいの投資をした人が大儲け出来た。  とはいえ、この長期トレンドの転換期である1989年から1990年以降になると、楽観的な人が大損を喰らうことになる。そして、アベノミクス以降は、楽観的に日本株を持ち続けていた人が勝ち組に代わる。投資をする場合、長期トレンドとの擦り合わせが非常に大切なことが分かる。 (有名な格言を参考にする)  日経がどこまで上がるかは当然であるが誰にも

為替レートと政策金利から債券投資を考える

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  資産運用においてリスク分散は大切で、株式相場が低迷しているとき、元本保証でかつ利息が確約されている債券投資は魅力的に映ってしまう。さらに、外国債券については、金利動向だけでなく為替レートを組み合わせることで,利回りにレバレッジをかけることが出来る。これらを上手に利用すれば、債券でもそれなりの運用ができてしまう。 1.外債投資 1.1 日本国のファンダメンタル等から見た為替レート 為替レートの動向を当てるのはそう単純ではない。一見、円安局面一色にみえても、数年後には円高になっていることも少なくない。逆もしかりである。日本円は、ファンダメンタルの物差しを変えれば、円安にも円高にも振れてしまう要素を持ち合わせている。 ①世界一の債権国と未曾有の金融緩和 日本は世界一の債権国であることを忘れてはいけない。そしてIT分野を除けば世界有数の技術大国でもある。通常なら円高圧力がかかるはずだが、現状においては無視され続けている。 これは、デフレ退治という大義名分でアベノミクスによる未曾有の金融緩和を行った結果であり、ドル円は日本の国力に比べ安すぎる水準で放置されてしまった。さすがに10年近くも放置したことにより、発展途上国並みの物価水準になるなどの副作用がでている。しかし、日銀にとっては、この金融緩和政策終了宣言ことこそ最大の関門で、日銀の国債保有額は、植田日銀総裁になってからも、2023年3月末の576兆円から11月594兆円に増加している。 ②基軸通貨国である米国の強み  日本は世界一の債権国。一方、米国はダントツ世界一の債務国。さらに、米国国債の債務膨張も加速的に進んでいくことが予想されている。これだけなら為替レートは限りなくドル安水準に進んでいくものである。しかし、為替レートの動向はファンダメンタル的な要素だけでなく米国政府の意向も無視できない。米ドルは世界の基軸通貨であり、今のところ世界有数の信用力の高い通貨でもある。そういった強みを生かして、米国当局が、米国経済をより適切な方向に誘導するために為替レートを調整している。為替動向は個々のファンダメンタル以上に米国政府の政治意向が見え隠れしている。 2.インフレ基調の復活 ①米国の政策金利引き上げ 中国が世界のサプライチェーンの重要な役割を担い始めたころから、世界中人々が品質の良い製品を比較的安い値段で手に入れられるよう

投資家視点での経済・金融政策の向き合い方 

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1.経済・金融政策の著しい進化 〇この100年の間に株式市場には様々な経済変動(大ショック)があった。古くは1929年の世界大恐慌から、日本のバブル崩壊、ITバブル崩壊、リーマン・ショック、そしてコロナ禍危機。米国相場は大恐慌を除けばほぼ右肩上がりに推移してきた。これは米国の政府関係者及び経済学者が、これら発生要因をとことん研究し、大恐慌と同じことが起きないように対策を立てたことに他ならない。 〇一国の経済は国家としての発展期を除けば、「企業の供給>消費者の需要」に収束してデフレ圧力にさらされてしまう。これは株式市場から見ると相場の低迷を意味する。これに対して、中央政府は金融政策や財政政策をすることで消費者の購買意欲や企業の需要意欲を喚起しながら適度なインフレを誘導している。 〇現在では、経済学上で論じられる拡張期―停滞期、もしくは需要と供給間の景気サイクルは、どんな景気停滞に陥りそうになっても、米国の優良企業は毎期のように増収増益を繰り返していることで市場関係者の不安を吹きとばし、自社の株価、さらにはダウ、S&P500指数の底上げし、景気循環サイクルを平坦化させるループを続けている。 〇今の金融技術なら1929年の世界恐慌は、間違いなくちょっとした暴落で済んだであろう。80年代の日本の不動産バブルも今の金融技術を駆使すれば、長期に渡る経済低迷を避けることができて失われた経済にならなかった。リーマン・ショックは、米国政府の世論に押されたゆえの失策であるが、その後のFRB議長の前例のない金融政策によって貨幣の流動性を死守し、さらには需要喚起の点から世界中が協力して大規模財政政策を実施することで大恐慌を回避させた。コロナ禍という未曾有の疫病による世界経済のクラッシュ危惧に対しても、リーマン・ショックを克服したノウハウを応用したことで、欧米諸国の当局はそれを跳ねのけてしまうノウハウすら身につけてしまった。   こうなると、次なる惨事は、必然的に過去の事例に当てはまらないケースに限られてしまう。実際、「第三次世界大戦を思わせるような戦争」、「巨大隕石による地球への壊滅的な打撃」等くらいしか大恐慌を引き起こすトリガーが見当たらなくなっている。 2.経済報道と株式市場の著しい乖離 株式市場は、実際には経済活動で生じる余裕資金(余剰マネー)で成り立っている。これは現場感覚に落とせ

投資家にとって「最も危険なことは、時代のトレンドに陶酔する」事

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  1.必衰の理  投資家に限ったことではないが、私達はその時代の持つ雰囲気に飲み込まれ、それが永遠に続くような錯覚に陥ってしまう。しかし、そのほとんどは10年後には全くのまやかしであったことに気が付く。それだけでなく、その時代に最高のトレンドを謳歌した人たちは、その後に目を覆うばかりの衰退や禍根を経験する。  物事は常にある方向に向かって変化し、それがピークに達するまでに続く。しかし、流行はピーク時ではなく、ピークを過ぎて少し下降気味になった頃に盛り上がることが多い。そのため、極端な例だと流行した翌年には見事に流行が廃れてしまうケースも少なくない。そこには「盛者必衰の理」の如く、世の中の儚さが渦巻いている。 2.土から生まれ土に帰る  投資に関する流行を追い求める愚かさの実証として、バブル時代に焦点を当てながら、以下の3例を挙げてみる。 ①株式投資(日本の重厚長大系)  バブル期には、日本を代表する会社群である新日鉄、三菱重工、日本製紙(本州製紙)、三菱化学、みずほ銀行(日本興業銀行、第一勧銀、富士銀行)、シャープ、三洋電機、東洋紡、沖電気などの株価は全て4ケタ台を記録した。その当時は、ジャパンアズナンバーワンとしてこれら企業群がその後に斜陽になることなど誰もが想定することはなく、日本の未来はバブル期以上に輝いているものであると信じていた。しかしながら、これら銘柄の株価は30年を経過した現在においてもバブル最高値に遠く及ばないだけでなく、数分の一程度の株価で一進一退すらなっている。増配株の優等生であるNTTですら最盛期の数分の一の株価に留まっている。 この当時、製造大国、又は電子立国日本という風潮に浮かれて日本株式会社を購入した投資家のほとんどは大損する羽目になってしまった。 ② リゾートマンション投資  「リゾートマンション投資」は、どちらかというと大企業幹部などの社会的ステータスの高い中流層が中心になって、都心に住宅を持ちながらも別荘用としてリゾートマンションを購入することがステータスとなり流行となった。当然であるが10年後にはこれら不動産は2倍近くに値上がりすることを期待していて、まるで小貴族を体現するかのような行動をとっていた。まさに陶酔の極みである。それが30年後には無価値に近い暴落をしたことで、甚大な損害を被ることになる。  例えば、リゾートマンシ

2023年の投資を振り返って (運用状況)

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  今年取引したのは、ベライゾンを 32 ドルで購入しただけである。購入理由は、配当貴族の獲得。購入ベースの利回りは、 8.3% でかつ、これ以降の増配も見込める。 購入時は、為替レート変動による利益の目減りを防ぐため、外貨 MMF からスイッチング。  当然だが、ベライゾンに対して 100 ドルなどの大幅な上昇など期待していない。でもある程度であるが株価値上がりは期待できる。  私自身としては、非常に安定した投資だと思っている。   昨年は、同様の例として、インテル、3Mなどが売られ過ぎたが、インテルは配当貴族でないのでパス。3Mは競争が激しい化学メーカーであること。売上や収益がここ5年で伸び悩み配当性向が切迫していることからパスした。 その点、 AT&T とベライゾンは川下のソフトウエア企業買収で規模拡大を狙ったが失敗し、 AT&T に至っては、株主に多大な損害を与えてしまった。とはいえ、 AT&T 、ベライゾンの通信事業はほぼ独占状態。株価の大幅な上昇は見込めないが、安定配当は期待できる。    高配当株なら相場から離れても四半期ごとに自動で配当金が振り込まれる。しかし、株価上昇の期待はできない。のだから買い時が必要になる。私はアルトリアを55ドルで購入した。これは明らかに購入タイミングの失敗であった。程よく待って40ドル近辺で購入するくらい相場環境を待つ必要があった。  そう考えれば、間違いなく「待つことも相場、いや投資である。」    キャピタルゲインを狙うなら成長株であり、調べれば調べるほど、 GAFAM の強さを痛感させられる。しかし、実のところこれら企業の収益は広告とクラウド。意外と大したことはない。このため、これら収益が天井圏にくるまえに CHATGDP などで花火をあけて、未来の収益の柱として次なる覇権を狙っているのが感じ取れる。しかし、配当が少ないので投資に躊躇してしまう。    24年に対し相場の予想など一切考えるつもりはない。あるのは、明らかに売られすぎの局面を迎えた時に機動的に購入できる準備だけはしておきたい。   当ウェブサイトの情報は、個人的な私見を述べたものにすぎません。このため、当ウェブサイトに掲載された情報によりなされた判断及び一切の行為は、閲覧者の自己責任にお

富裕層(億以上の資産)になってかつ意識系を低くできればこの世界は桃源郷に代わる。

  〇生活水準とストレスの逆相関  私たちの生活は年を追うごとに便利になって、結果として10年前、20年前より生活の水準が上昇している。しかし、その一方で日常生活の満足度は年を追って低下する逆比例を起こしている。この原因はビジネス競争の激化で自分たちの生活への不安感が増大しているとも言われるがそれは現代に限ったことではない。それより私たちは戦後の高度成長期から社会から提供される情報量が膨大になり、国民全体で社会的な相対的な地位や他人との優劣を強いられる競争社会という強迫観念にかられている。だから、結婚でさえ、他人から少しでも羨ましがられるような伴侶を見つけることに血眼になり、結果として自分自身を追い込んでしまっている。 〇現代社会が結婚や子育てを阻害している ついこの前までは、自分がどんな境遇であろうが多くの人は結婚し子供を育てていた。昭和初期の大恐慌では自分の娘でさえ身売りに出す家庭が少なくなかったが若者が結婚をためらったり少子化になったりということはなかった。一昔前までは、よほどの階級でなければ子供は産んでもその後の人生は子ども任せだったし、身売りされたとしても、今のように親を怨む子供はほとんどいなかった。というより、社会的な階級が強固で自分自身の人生に疑問を抱く事すら出来なかった。 ところが、行動成長期を通して、日本国民全体に平等感が得られるようになり。すべては自分自身の努力次第で社会的地位と金銭を獲得できるようになり、ほとんどの国民が結婚は仕事を通して安定的な中流生活を送れるようになってからするものだという高尚な価値観を共有するようになってしまった。いったん産んだら、子供に適切な教育や家庭環境を与え、大学までの学費を面倒見なくてはいけない。それが出来なければ親ガチャ。毒親。というように子供も親に対する要求が限りなく高くなってしまった。 〇理想的な社会の実現 もっとも理想的なのは、ガソリンスタンドやコンビニのアルバイト程度でもしっかりと子育てが出来るなどローワーな中流が実現できる社会だ。それは米国の50年代グラフティの情景に通じるものがある。そういった社会なら、人々は安心して暮らせるだけでなく、子供への過剰な教育も必要なくなる。意識系の高さへの傾斜も一部の人たちに限られる。これを実現するのは難しいが、こういった生活の根底にある生きる事への意識を低さ、気楽に生き