日本の80年後半バブルを投資家視点で再検証
1.バブル経済の産声 80年代中頃から、日銀はプラザ合意に二極化相場は豊かによる急激な円高不況を抑制するために、公定歩合を戦後最低の金利である2.5%まで引き下げたことが発端でバブル経済がスタートしました。 初めは、株式市場が経済指標とリンクしない状態で独自に上昇していたことから、「不景気の株高現象」と言われていました。 ただ、この高騰は過去の経験則とは明らかに異なるもので、特に国際競争力の高い銘柄を中心に史上高値を連日にわたって更新するということからスタートします。 当時の四季報には、「この円高不景気の最中、株式市場だけが活況を呈している。これも何らかの株価の先見性を暗示しているのでしょうか?」旨の記載があります。明らかにそれまでの経験則による動きと異なるものであったことが伺えます。そして、代表的な暴騰例がNTTの上場です。 2.NTTの上場 NTTは1987年2月9日に株式公開されました。その売出し価格は一株119.7万円でした。しかし、あまりにも買いが殺到し、初日には値が付かず、翌日に160万円で初値がつきます。それ以降も買いは止まらず4月には1株318万円の空前の値を付けます。そのように暴騰するNTT株は社会現象にまでなります。 また、個人株主はその当時160万人とも言われ、個人投資家からみた政府系企業への信用度の高さも物語っています。しかし、その後は徐々に値を切り下げ、バブル崩壊後の92年は売り出し価格の半値以下である50万円を伺うところまで値を下げています。その頃の記事には、今度は個人株主団体がNTT株に関する損害賠償請求を国に申し立てていたりしています。 3.相場の過熱 このように相場の過熱は徐々に社会現象になってきました。1987年の日経は1万9千円台弱からスタートして、その後は順調に株価を切り上げ1987年10月には2万6千円を伺うところまで上昇しています。 しかし、米国発のブラック・マンデー大暴落により、世界中の市場が調整に入ります。(尚、この時も世界大恐慌への発展が懸念されましたが、欧米相場はその後に立ち直りを見せます。)日経も2万1千円台まで調整しましたが、日本市場は、その後、欧米を凌ぐ独歩高の様相を呈し、翌年の1988年に引き継がれます。 4.不動産バブルも発生 そして、この頃に巷では地上げ屋が社会現象になります。カネ余りの