投稿

8月, 2024の投稿を表示しています

エムスリーに見る個別銘柄投資の難しさ

イメージ
 (株式市場の花形である成長株投資)  株式市場をけん引するのは、未来に輝く成長株である。こういった銘柄は、時には10倍どころか100倍程度にまで化けてくれる。10万円を投資すれば1000万円、100万円を投資すれば1億円。まさしく投資家が夢見る儲け話である。一方、成熟した優良銘柄は成長期待が乏しいため、配当面での魅力はあるものの、業績に関わらず5年いや10年を経過しても株価は思うように上昇してくれない。 (エムスリーの大暴落)  エムスリーは、株式市場のスター銘柄であった。株式の時価総額も5兆円を超えるなど米国の優良ハイテク企業の日本版という位置づけで、輝かしいテンバガーを記録した。しかし、そのエムスリーの株価が最高値の8割下落となり、ソニーが経験した2000年のITバブル崩壊時の10分の1の大暴落のような事態を招いている。 とはいえ、エムスリーの業績は株価の変動ほど悪くはない。単に株式市場がこれ以降輝かしい成長を見込めないと判断した結果に過ぎない。 このように特定分野で圧倒的な強みがあって、財務や収益面でも経営者の非凡な才能を発揮しても、国内需要の頭打ちなどで事業成長性に陰りが見え始めれば、市場は非情にもその銘柄を大暴落させ、株価を地面に叩きつけてしまう。 (個別銘柄に対する長期投資の難しさ)  未来永劫に株価が右肩上がりを続ける事は難しい。それは優良株でも同じである。東芝などは伝統や技術力において申し分のない優良企業であったがボロボロになり、さらに永遠の優良配当株と謳われた東京電力でさえ、原発事故以後は永遠の無配当株となった。ましてや、成長株になると優良銘柄のような安定した事業基盤がないので、上昇しすぎた株価に対し、投資家がどのようにして逃げるかの出口戦略を迫られてしまう。 これは簡単なようで非常に難しい。株価のピークなど誰もわからないからだ。大抵の場合、自分が売却した後も株価は上昇し続け、数倍の値段をつけた後にピークを迎えることがザラである。その時の悔しさが次の成長株投資で失敗を招いてしまう。今度は、前回の経験から売る機会を逃し、最悪は塩漬け状態になってしまう。  エムスリーを例にとっても、株価が下落しているからといっても5000円や7000円で購入したら、取り返しのつかない塩漬け状態となってしまう。成長株においては、誰も妥当な株価水準などわからない。 (投

FIRE民の蓄財能力も「親ガチャ」で決まる

イメージ
  〇小室圭にみる日本社会の多様化  戦後の日本は、日本国憲法では以下に定められているように、本当の意味で階級社会からの解放に成功した。 第14条 すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。 とはいえ、このような平等が根付いたのは戦後50年経過したバブル期を境にした頃であり、そういった権利を最大限に活用するもの現れた。その最たる例が、天皇家一族と結婚した小室圭であろう。戦前まで天皇家は神様の子孫として扱われ、日本人はその存在に対し畏敬の念にて崇拝していた。このため、天皇家の血を引くものは選ばれた人としか結婚できないと日本人は思い込んでいた。しかし小室圭は違った。彼の目には天皇家は血統付きの人たちに過ぎず、自分はそういった人たちと結婚する権利があることに疑いを持たなかった。戦後80年で日本の階級意識がここまで激変したことを物語る一例であった。 〇「親ガチャ」の出現  全ての人が小室圭かといえばそうではない。小室圭の母親は全ての日本人が平等感を味わえたバブル時代の日本人像である。その後は昔ながらの血統証付き一族の平民化が一層進むとともに、米国の実力主義に影響された金融面での格差が、新たな階級論になるまで拡大しており、世代間での逆転、そして新たな階層の固定化を招き始めている。  例として、ある人は、中学から慶應に入り一流企業に入社した。そして親もそれなりにお金持ちであり、相続も期待できる。それに比べ、自分は公立中高であり、大学もMarchクラスにも入れず、そのためブラックめいた三流企業しか入れず人生を苦労している。そして親にいたっても老後貧乏の真っただ中にいる。相続など到底期待できない。それより自分が親を援助しなくてはいけないほど金銭面でひっ迫している。  この手の格差は日常茶飯事であり、日本ではこういった状況を容易に打破できない社会に入りつつある。これに対し、世間ではこれに呼応するように「親ガチャ」というキーワードを発するようになった。 〇才能まで憲法で平等化できない  憲法上で平等を謳っても才能という点での平等は法律で規定する範疇ではない。このため、人は生まれた時点でほかの人と同じスタートラインに立っているのではなく、それは親から引き継

サイレント富裕層の台頭

イメージ
  1.資産格差の度合  日本は格差社会に入って久しいと言われるが。現実はそういう単純なものではない。今世界では、上位1%の資産総額が全体の4割弱を占めている。逆に下位50%の資産は全体の2%と言われている。これは貧富の差が激しい発展途上国を含めての数値だが、先進国だけに絞ったOECD資料では、上位1%の国内の富に占める比率は、 米国42%、ドイツ24%、英国20%、フランス19%、日本11% 上位10%の比率は、 米国79%、ドイツ52%、英国52%、フランス51%、日本41%  となる。  この数字を見る限り、米国の資産格差は臨界点に近づいており、国が分断化されているという議論についてあながち誇張したものではなさそうだ。一方、日本の格差は想定より大きくはない。さらに、これら数値は野村総研が毎年発表する資産ピラミッドとほぼ近い値なので信頼性もあるだろう。 2.富裕層の実態  ステレオタイプの金持ち像は立派な家に住み、生活も派手で豪遊しているイメージである。それは芸能人や成金に代表されるような高所得者像を描写しているに過ぎない。しかし、こういった人たちは総じて貯蓄が多くない。  逆に、質素でつつましく生活している人が裏では1億以上の資産を保有していることが少なくない。日本では、所得格差はあっても、手取りベースでの格差は圧縮されているため、このような逆転現象が起こる。ネットでも、株式等などで1億円以上を保有している人のブログが結構数あるが、そのほとんどは一般人以上の慎ましい生活をしている。このように、世間的な富裕層像と実態に何らかの乖離が横たわっているようだ。 3.社会的勝組=富裕層という誤解  統計値から見ても、近年格差が拡大しつつあるのは事実である。しかし、マスコミはそのターゲットをビジネスエリートに焦点を当てている。挙句には大企業社員や公務員を上級国民としてこき下ろしている記事もある。この構図の原型は、受験戦争の勝者→一流大学⇒一流企業→幹部社員→上級国民であり、そこには、庶民を犠牲にわが世の春を謳歌している姿を面白おかしく描いている。日本社会は、大学受験時に擦り込まれた洗脳が、一生にわたってコンプレックスとして尾を引いているようだ。 4 富裕層はどこにいるのか  これを具体的に暗示するのがドラマの変遷である。昭和初期までの富裕層像は華族等の有閑階級を題材にした

投資視点で新鋭の学者(成田祐輔)の対談を聞いてみた

  1.舘ひろし 〇デジタル分析の限界  残念ながら、成田は舘の発言を理解出来なかったようである。例を上げると、舘は渡から「俳優は演技が上手くなりすぎてはいけない」と指導されたとのこと。これはまさに、俳優は演技の上手有無ではなく、存在感で勝負するものだということである。確かに名優は演技というより、そのほとんど唯一無二の存在感で評価されているし、その存在感の輝きやオーラだけで名作になってしまうのも少なくない。石原裕次郎の「嵐を呼ぶ男など」石原裕次郎の魅力だけで名作になったようなものである。だからこそ、そのオーラを獲得すべく、私生活を犠牲にして破天荒な生き方に終始する。今は。そういった破天荒さを世間が容認しなくなった為、凄みのある俳優が出現し難くなったことを嘆いている。それを成田は一生懸命論理的に解釈しようとするから話がかみ合わなくなっている。 〇浜田宏一の達観  成田氏は学者としては異色ではあるが、彼の本領はすべての事象をデジタルに収めることであり、今時点ではそこまでの境地には達成していないように見える。逆に、アベノミクスのブレインを担った浜田宏一は、自身が世界的な経済学者であるにも関わらず、経済政策運営という点での自分は単なるブレインという小者に過ぎないことを認め、学問をという素地に程遠い安安倍総理という存在を尊敬していた。  一流学者が作る政策を世に広めるには俳優のようなオーラのある人の力が必要ということであり、そのオーラという正体に学問的な境地も含め話し合えればよかったかと思ってしまった。  投資家から見れば、これはファンダメンタル分析の限界を表しており、アナログ要素の重要性を示唆しているように見える。 2.古館伊知郎との対談  こちらは非常に中見のある対談であった。まずは、メディアにおいて、ネットチンピラの台頭によりテレビの影響力が低下しているという事実。ネットメディアにはテレビに登場できないような、ヤンチャすぎる奴から前科者、そしてホリエモンやひろゆきのようヤンチャなインテリ軍団が、政治や社会批判や世の中の闇などにズケズケと迫りこんでくる。暴露系Youtuberに至っては逮捕すら恐れずに動画を配信している。一方、テレビは様々な規制に縛られている。視聴者への刺激という点でどう見ても勝てるはずがない。  古館は、久米宏のニュースステーションはニュース報道ではなく

日銀利上げに垣間見る潮目の変化

イメージ
  日本の金融政策は一つの転換期に入ったようだ。アベノミクスから続いたマクロ的な金融政策が終焉を迎え、格差の少ない社会を目標とした政策に移行しているように思える。  ここでキーになるのが、日銀の政策会合である。 7月31日に、植田日銀総裁は金利を0.25%に引き上げた。しかし、これは日銀の判断というよりは、その数日前から政府要人から金利引上げ容認発言が目立っていた。政府としての判断を日銀がくみ取ったというのが正しいのであろう。 〇7月31日の日銀決定事項については、まず金利引上げについて 「利上げといっても金利の水準、あるいは実質金利で見れば非常に低い水準での少しの調整ということなので、景気に大きなマイナスの影響を与えるということはない」 と判断し、さらに 「現在の実質金利が極めて低い水準にあることを踏まえると、今回示した経済物価の見通しが実現していくとすれば、それに応じて、引き続き、政策金利を引き上げ、金融緩和の度合いを調整していくことになる」  と述べ、政策金利について中立金利を1%視野に入れている様子でもあった。   さらに、これに併せて、国債の購入額も6兆円から3兆円に減額することにした。つまり、金融政策を少しずつ正常に戻していくことを宣言したものといえる。   〇株式相場暴落の摩訶不思議。  米国相場の動きをみると、トランプが大統領選に勝利することを意識し、ビックテックに偏った経済構造に訂正が入ると予想し、それを織り込む動きとなっていた。ビックテック株の調整は想定の範囲内で進み、日経はそれにつられながら値を下げていた。しかし、日銀の金利引上げにより円高が加速してしまった為、投資プログラムによる弱気が弱気を生み、パニックを起こして大暴落となってしまったというのが現実解であろう。ある意味、今回の利上げタイミングが非常に悪かったと言える。しかし、日銀が利上げをしなくても、米国側は今年度中に間違いなく政策金利を引き下げてくる。それと合わせてトランプ大統領もドル安政策にうってくるだろう。そうなるとその時に日本株は大規模な調整局面に突入することになる。たとえ、ハリス大統領になるとしても政策金利引下げ分だけは円高に振れ、日経の下押し圧力なるのは間違いない。 〇1億総格差のない社会  最近しきりに感じること。岸田政権の政策は社会主義的な思想が強いということである。どんな状

結婚を促進するには戦前の階級社会度復活しかない

イメージ
  婚活市場も、ここ20年でデジタル化へと大きな変貌を遂げた。その結果、就職の学歴フィルタの如く、相手のスペックを見て足切りを行いながら見合いをするということが当たり前になってしまった。  その足切りラインは、自分のスペック偏差値を顧みず、結果的にはスペック偏差値65を境に見合い相手を選んでしまっている。さらに悪いことに、男女ともにそんな行動に対し、スペック偏差値50の「普通の人」を選んでいると思って疑っていない。まさに、自分自身のスペック偏差値を見合い相手に求めるスペック偏差値にミスマッチを起こしているのだ。 男女間に漂う求める結婚相手のミスマッチ  女性は、男性に一定以上の学歴と年収などの生活力を最低限の基準として求めながら、さらに一定程度の容姿スペックを求めてくる。  男性は、女性に対し若さと可愛らしさ、そして物事に対する従順な優しさを求めてくる。  単純にいうと、これらレベルはドラマに出てくる脇役俳優や女優が演じる一般人役像である。主役ほどイケメンや美女ではないが、合格点に達するレベル。それを普通と定義する。しかし、脇役であれドラマに出てくる俳優や女優の容姿スペック偏差値が65以上であるということを認識せず、どこにでもいる普通の人と勘違いしてしまっている。  そして、いつかはそんな人と巡り合えるのではと勘違いを続けながらいたずらに年を重ねているのである。 自分自身ぼスペック偏差値を客観的に見ることが出来ない。  そもそも、サラリーマンで標準以上の年収を得られる人は少ない。自分が標準以下の年収なら、男性の方も相手のスペック偏差値を下げるべきである。しかし、スペック偏差値を下げても実際は60程度までしか下げていない。このため、いつまでたっても相手側の女性から拒否され続けることになる。それは女性も同じで、自分自身が思っているスペック偏差値と相手側から見たスペック偏差値に乖離があることを絶対に認めようとしない。  その一例として、この厳しいビジネス競争社会で女性側が希望する専業主婦が男性にとってどれだけ重荷になるかという事を理解していない。男性が人生をかけて相手を大事にして、守ってあげるという事は相当な覚悟が必要になる。ところが相手側の女性が、高度成長期の親世代を前例にそれを当たり前としか思っていない。  もし、それを望むなら、男性側はその見返りとして、女性に若さと

(マグニセントセブン研究)GAFAMが辿るであろう終着点

イメージ
初版 22.02.13 加筆 22.12.29 旧名 GAFAMの株価上昇終焉の兆し GAFAMは、売上規模、そして株式時価総額において世界有数のスーパーメジャー企業である。かつ、インターネット環境における独占的な地位を乱用することで他社が太刀打ちできない強力なビジネスモデルを強固なものにするだけでなく、周辺企業の利益を貪欲に吸い上げながら企業規模を恐竜化させている。その手法はかつての盟主IBMの強固なる独占状態を彷彿させるに留まらず、S&P500やNASDAQ指数などの米国主要指標ですらGAFAMの経営状況に依存するようになってしまった。 〇株式市場におけるGAFAMの巨大なる存在感  資料は古いが21年度末のGAFAMの株式時価総額は、Apple 2.9兆ドル Microsoft 2.5兆ドル Alphabet1.9兆ドル Amazon 1.7兆ドル Facebook 0.9兆ドル であるのに対し、20年度の世界GDPランキングは 米国 20.8兆ドル 中国 14.9兆ドル 日本 5.05兆ドル ドイツ 3.84兆ドル イギリス 2.71兆ドル  インド 2.66兆ドル フランス 2.62兆ドル イタリア1.88兆ドル カナダ1.64兆ドルである。両者を比較するとAppleは世界第5位、MicrosoftとAlphabetは世界第8位、Amazonは世界第9位と超巨大な存在であることが判る。  さらに、GAFAMのPERを検証してみると、 Apple 28倍 Microsoft 31倍 Alphabet 24倍 Amazon 31倍 47倍 Facebook 16倍 であり、これだけ巨大な時価総額であるにも関わらずPERが調整されていない。通常、時価総額が1兆ドルを超えた辺りから市場シェアが上限に達することで成長余力が枯渇してくる。それに併せてPERも次第に低下して株価上昇を抑制していくものだが、GAFAMはいとも簡単に2兆ドル、Appleに至っては3兆ドルにまで上昇した。これだけのガリバーであるにも関わらず市場はいまだに成長性を織り込んでいる。これは、彼らが如何にビジネス上の既得権を独占して、世界中からどん欲に利益を貪りつくした事を物語っている。とはいえ、彼らが投資家の期待に沿った決算を長年に渡って出し続けていたこと、アナリストが危惧する成長の壁を何度