結婚を促進するには身分制度復活しかない
婚活市場も、ここ20年でデジタル化へと大きな変貌を遂げた。その結果、就職の学歴フィルタの如く、相手のスペックに対して足切りを行いながら見合いをするということが当たり前になってしまった。
ここでの問題点は、自分のスペック偏差値を顧みず、自分より偏差値10程度高い相手を見合い相手として選ぶ傾向にあることだ。まさに男女ともミスマッチが常態化している
。
(結婚相手に求める普通の勘違い)
女性は、男性に一定以上の学歴と年収などの生活力を最低限の基準として求めながら、さらに一定程度の容姿スペックを求めてくる。
男性は、女性に対し若さと可愛らしさ、そして物事に対する従順な優しさを求めてくる。それだけでなく、自分自身の不安から共働きまで望んでくる。
双方の希望を満たす相手などそう簡単に現れるものでもない。しかし、双方ともそれを普通と勘違いしている。
単純にいうと、ドラマに出てくる脇役俳優や脇役女優レベルを求めている。それは美男美女が出演するドラマの中だからこその普通であり、一般人の中ではハイレベルになる事を認識していない。そして、いつかはそんな人と巡り合えるのではと願いを続けながらいたずらに年を重ねている。特に女性は、自分自身がドラマの脇役程度の容姿だと信じて疑わず、自分の容姿偏差値と相手側から見た女性の容姿偏差値に乖離があることを絶対に認めようとしない。
(年収に対する乖離)
そもそも、男女間で年収に対する認識の開きは大きい。この厳しいビジネス競争社会で多くの女性が希望する専業主婦、又はパートは、男性にとって金銭面や労働負荷という点でどれだけ重荷になるかという事を女性は理解していない。男性が人生をかけて相手を大事にして、守ってあげるという事は相当な覚悟が必要になる。ところが相手側の女性が、高度成長期の親世代を前例にそれを当たり前としか思っていない。もし、それを望むなら、男性側はその見返りとして、女性に若さと美貌を求めてくるのはある意味当然であろう。しかしながら、サラリーマンで標準以上の年収を得られる人は少ない。そもそも女性が望む年収に応えられる男性が少ないにも関わらず、それに容姿などの条件を付け加えたら、いつまで経っても成婚出来ないのは自明だ。
(エンターテイメントが浸透したことの弊害)
でも妥協できないのもわからないではない。テレビやネットを観れば、そこら中にイケメンや美女にあふれている。福山雅治、木村拓哉なども今となっては50代である。そして、50歳近い不細工なお笑いタレントでさえ20歳年下の美人な一般女性と結婚することも珍しくもない。これをスペック偏差値で例えたら、お笑いタレントなどは学歴、容姿も冴えない。強いて挙げるとしたら「芸能人の端くれ」であるという特典ぐらいである。だからこそ、それを見た同年代の男は、自分でもがんばれば若い女性と結婚できるのではと勘違いしてしまう。
それは女優も同じで、沢口靖子に至っては60歳に手が届く年齢でありがながら、いまだに20代と同じ輝きを放っている。そういった美魔女が、社会的ステータスのある年下のイケメンと結婚をしている。それを見て、自分もまだまだかわいいので、そういう人と巡り合えさえすれば、そういった幸運を入れることが出来ると勘違いしてしまう。まさにエンターテイメントを起因とした勘違いに他ならない。
(結婚を促進するには身分制度が必要)
江戸時代、敷いては戦前までは階級社会だったので、男女ともに自分の身をわきまえて相手を選んでいた。戦後も高度成長期までは戦前の階級社会の名残もあったのでそれに応じて相手を選択していた。つまり、今のような高望みが入り込む隙がなかった。
しかし、今の時代はそんな仕切りが人によっては全くと言っていいほど無くなってしまった。その代表例が小室圭の皇室との結婚であろう。さらに、前述の通り、エンターテイメントでもお笑いタレントなどの端くれ芸能人の結婚事情もそれに拍車をかけている。
このすれ違いを元に戻すには、エンターテイメントの廃止と身分制度の復活しかない。武士は武士。農民は農民どうしと割り切れば、現在のような救いようのないミスマッチは起こらない。
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映画「アリサ、ヒューマノイド」より |
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