情報社会の代償 隣の芝生という厄介な存在
初版 2023.3.11 (旧名:隣の芝生に振り回されない生き方こそ最良の生き方)1.隣の芝生は人間の本能人はなぜか、隣の芝生が青く見えるようである。どうもこれは人間の本能のようである。人は常にどこかで桃源郷があると信じて疑わない。だから他人に対して勝手というべき様々な妄想を抱いて喜怒哀楽を繰り返している。ドラマや週刊誌、映画,そしてインフルエンサーが煽り立てるような装飾され、誇張されたカッコ良い生活をしている人が常にどこかにいると信じて疑わず、そういった人たちへの憧れや羨望を抱こうとするように出来ている。
2.隣の芝生の幻想例 ①政治家 政治家は社会的には上流階級に位置する職業で、まさに隣の芝生である。しかし、そんな隣の芝生も今となっては、はっきりいえば苦労の割には見返りが少ない。一昔前なら、貴族の位を得られ、豪邸に住み様々な利権から得る膨大な富を得ることができたが、今では億ションにすら住めない、逆に豪華な生活をしていると賄賂を疑われお縄!となってしまう。仕事面では、4方から様々な意見を集約し意見調整を図りながら一つの指針を作り上げるという相当な労力と精神的な負荷を強いている。もはや、政治家という職業が好きでないとやってられない。②旧来型のエリート大企業社員、医者、官僚、外資系金融や大手弁護士事務所の幹部等などのエリート職業もアッパーミドルの代表的な職業で庶民とは一線を画している。一昔前まではエリートとして大企業に入れば、それなりに出世し、それなりの報酬も得て、さらには子会社で役員級の役職に就いて会社人生の余生をおくる。まさにアッパーミドルの典型例のような人生であるが、今はこのような天下りが出来なく、給与面でも、天下りが減った分、人生後半の高給生活が遮断され、年を追って旨味が享受できなくなった。
③セレブと言われる成功者 セレブと言われる超高所得者(芸能人やスポーツ選手、ベンチャー企業の創業者)なども隣の芝生の典型例である。これら人たちの共通点は実力主義の環境下で自分の力量を頼りに成功者と言われる地位まで上り詰めた事である。私たちは、雑誌やテレビで芸能人やスポーツ選手、事業の成功者などのセレブ生活や豪邸報道に対し羨望のまなざしを抱いてしまう。しかし、そこには成功者ならではの魑魅魍魎とした見栄の世界が見え隠れし、実際は他人を羨ましがらせるための演出に過ぎないことも少なくない。だからこそ、これら人たちは落ち目になると豪邸を売り払ったりするのだ。
3.隣の芝生の限界 1流企業に勤めれば親戚や友達に自慢できるし、名刺を配るときの優越感、そしてたくさんの関連企業の頂点に立つ優位性。それは、芸能人もスポーツ選手も同じだが、そこに到達すれば桃源郷があるというわけではない。自分自身が努力して隣の芝生に到達しても、実は青い芝生と思っていたものが青い芝生ではなかった事がよくある。そこに到達するみんな思っているのと違う世界だったというのがほとんどである。 4.隣の芝生の裏にあるもの 憧れの世田谷や杉並の広い家に住んでいる人が社会の成功者だらけかと言えばそうではない。しかし、マスコミやSNSなどの世間はそういった例を無視して、ひたすら社会の成功者像を幻想として描こうとする。 人間ってばかだから、目の前の優位性と隣の芝生を結び付け、一流大→一流企業の出世競争を追い求める。その大半はさしたる名誉も財産も得られないのだが、世間はそれを無視して、ひたすら成功美談を作り上げようとする。逆に、宝の山が隠れているような事でも世間が冷たい目を向ければ近寄らないものである。これを助長するのが、世間体を気にする親や友達の言動、マスコミやSNSの与太記事である。(隣の芝生は百害あって一利なし) 人生にとって隣の芝生は有害の何物でもない。人生で大切なのは、隣の芝生に振り回されないことである。 つまるところ、無駄なプライド持たない。目前の結果に右往左往しない。物事は好きで楽しむことに徹する。他人に対する優位性や承認要求を抱かない。そういった事に喜びを感じられたら金の延べ棒を獲得したのと同じだ。 隣の芝生を羨むのは「百害あって一利なし」なのだから。
初版 2023.3.11 (旧名:隣の芝生に振り回されない生き方こそ最良の生き方)
1.隣の芝生は人間の本能
人はなぜか、隣の芝生が青く見えるようである。どうもこれは人間の本能のようである。人は常にどこかで桃源郷があると信じて疑わない。だから他人に対して勝手というべき様々な妄想を抱いて喜怒哀楽を繰り返している。ドラマや週刊誌、映画,そしてインフルエンサーが煽り立てるような装飾され、誇張されたカッコ良い生活をしている人が常にどこかにいると信じて疑わず、そういった人たちへの憧れや羨望を抱こうとするように出来ている。
2.隣の芝生の幻想例
①政治家
政治家は社会的には上流階級に位置する職業で、まさに隣の芝生である。しかし、そんな隣の芝生も今となっては、はっきりいえば苦労の割には見返りが少ない。一昔前なら、貴族の位を得られ、豪邸に住み様々な利権から得る膨大な富を得ることができたが、今では億ションにすら住めない、逆に豪華な生活をしていると賄賂を疑われお縄!となってしまう。仕事面では、4方から様々な意見を集約し意見調整を図りながら一つの指針を作り上げるという相当な労力と精神的な負荷を強いている。もはや、政治家という職業が好きでないとやってられない。
②旧来型のエリート
大企業社員、医者、官僚、外資系金融や大手弁護士事務所の幹部等などのエリート職業もアッパーミドルの代表的な職業で庶民とは一線を画している。一昔前まではエリートとして大企業に入れば、それなりに出世し、それなりの報酬も得て、さらには子会社で役員級の役職に就いて会社人生の余生をおくる。まさにアッパーミドルの典型例のような人生であるが、今はこのような天下りが出来なく、給与面でも、天下りが減った分、人生後半の高給生活が遮断され、年を追って旨味が享受できなくなった。
③セレブと言われる成功者
セレブと言われる超高所得者(芸能人やスポーツ選手、ベンチャー企業の創業者)なども隣の芝生の典型例である。これら人たちの共通点は実力主義の環境下で自分の力量を頼りに成功者と言われる地位まで上り詰めた事である。私たちは、雑誌やテレビで芸能人やスポーツ選手、事業の成功者などのセレブ生活や豪邸報道に対し羨望のまなざしを抱いてしまう。しかし、そこには成功者ならではの魑魅魍魎とした見栄の世界が見え隠れし、実際は他人を羨ましがらせるための演出に過ぎないことも少なくない。だからこそ、これら人たちは落ち目になると豪邸を売り払ったりするのだ。
3.隣の芝生の限界
1流企業に勤めれば親戚や友達に自慢できるし、名刺を配るときの優越感、そしてたくさんの関連企業の頂点に立つ優位性。それは、芸能人もスポーツ選手も同じだが、そこに到達すれば桃源郷があるというわけではない。自分自身が努力して隣の芝生に到達しても、実は青い芝生と思っていたものが青い芝生ではなかった事がよくある。そこに到達するみんな思っているのと違う世界だったというのがほとんどである。
4.隣の芝生の裏にあるもの
憧れの世田谷や杉並の広い家に住んでいる人が社会の成功者だらけかと言えばそうではない。しかし、マスコミやSNSなどの世間はそういった例を無視して、ひたすら社会の成功者像を幻想として描こうとする。
人間ってばかだから、目の前の優位性と隣の芝生を結び付け、一流大→一流企業の出世競争を追い求める。その大半はさしたる名誉も財産も得られないのだが、世間はそれを無視して、ひたすら成功美談を作り上げようとする。逆に、宝の山が隠れているような事でも世間が冷たい目を向ければ近寄らないものである。これを助長するのが、世間体を気にする親や友達の言動、マスコミやSNSの与太記事である。
(隣の芝生は百害あって一利なし)
人生にとって隣の芝生は有害の何物でもない。人生で大切なのは、隣の芝生に振り回されないことである。
つまるところ、無駄なプライド持たない。目前の結果に右往左往しない。物事は好きで楽しむことに徹する。他人に対する優位性や承認要求を抱かない。そういった事に喜びを感じられたら金の延べ棒を獲得したのと同じだ。
隣の芝生を羨むのは「百害あって一利なし」なのだから。
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