株式投資と馬券購入に違いがあるの?

 電車の中で隣に座っているおじさんがスポーツ新聞を真剣に読みながら馬券の購入を検討している。記事には馬の健康状態(コンディション)、馬の性格、過去レースの実績、そして馬を乗りこなす騎手の実績、最後に評論家の総合的なコメント、雑誌側の独自の順位予想



 では株式購入はというと?

投資家は四季報などを読みながら。会社の直近の経営状況、提供している商品や技術の強み、景気又は産業動向、そして会社の社風と経営陣の評価、最後に評論家のコメント、想定される株価のレンジ。投資家はそんな情報をくみしながら投資有無を判断する。

 この二つに何が相違があるのか?形は違へど構図に大きな相違はない。

「競馬新聞に書かれている内容」と「経済誌に書かれている内容」は形は違えど著者の恣意的な表現や判断が入っており、客観的な情報とは限らない。伝えるものにフィルターが入っている。

 さらに株式投資で最も難しい所は、各々銘柄の価値(株価)が、どの程度先までの情報や見通しを織り込んでいるかであり、残念ながら誰にも分からない。さらに銘柄ごとに織り込み具合は異なっている。

実のところ、株価は日々のニュースや評論家のコメントを既に織り込んでおり、株価は織り込んでいない情報や見通しに反応しているにすぎない。この事は期待以上の好決算を発表しても株価に織り込んでいる決算内容より低ければ株価が下がるし、想定より悪い決算でも悪材料出尽くしと判断されれば反転することに表れてくる。

 これは投資家にとって、ネットや書店からの情報など役に立たないことを示唆している。そのため、勉強熱心な投資家ほど投資成績が振るわない。さらにエコノミストが有能な投資家になれない理由もそこにある。

 

投資家にとっては、どこの雑誌に書かれていない想定を探し出すことが本当の意味での調査分析となるが、そんなことは並大抵の話ではない。

 そう考えると馬券と同じように株式投資も当てずっぽの域を超えていない。

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