投資家視点の戦後経済(13) IT(ドットコム)バブル発生と崩壊(1999-2001)
1. IT(ドットコム)バブル(米国)
IT 業界では、1996年のWindows95ブームにより個人やオフイスでのパソコン普及が加速し、Windows95に搭載される周辺のソフトウエアの需要が増加した。さらにWindows95を搭載したパソコンとサーバを組み合わせてビジネス用途のアプリケーションを安価に構築することが可能になり、メインフレームからのリプレースも急増した。それと同時にネットワーク環境の急速な発展がインターネット普及を促してネットワーク機器を専門とする企業が潤うことになる。このような背景によりIT産業は空前の好景気となり、IT関連企業が多いNASDAQ指数は1996年の1000前後から1999年には2000を突破し、米国市場を大きく盛り上げた。さらに、アジア通貨危機を食い止めるための金利引下げが過剰流動性のマネーを生んだ。それがIT産業に流れ込んだ事でIT(ドットコム)バブルを発生させ、NASDAQ指数は5048を記録するまでに爆騰する。マイクロソフト、インテル、オラクル、シスコシステムズなどの大手新興IT企業は、米国の時価総額ランキング上位を占め、エクソンモービル、GE、コカコーラ等と肩を並べるようになる。投資家は未来のマイクロソフトやシスコシステムズを発掘しようと、赤字続きで経営に問題のあるベンチャー企業、さらにはIT技術者やベンチャー起業家が未来の夢をだけを説いた荒唐無稽なプレゼンテーション資料にすら多額の資金を投入した。人々は、そういった異常な状況を「ニューエコノミー」とか「IT革命」呼んで持てはやす一方、この相場は異常であると警報を発するエコノミストも少なくなかったが、いつ弾けるのかについては誰もが口をつぐんだ。
2.IT(ドットコム)バブル(日本)
米国発の「ドットコム・バブル」は、不良債権に苦しむ日本経済に一時の好景気をもたらすことになる。99年の春ごろになると、日本市場は米国相場の影響下に組込まれるように「ドットコム・バブル」銘柄の暴騰が始まる。米国NASDAQ市場と同じようにソフトバンク、光通信、Yahooなどの新興IT企業の株価が異常なくらいの値を記録する。YAHOOは、2000年1月には上場当初から保有すると時価1億円を超えるまでの評価額となった。ソフトバンクは2月15日に19,800円を記録する。時価総額でも21兆円とトップのトヨタに拮抗する。光通信は同日ザラ場に241,000円を記録し、時価総額は7.5兆円まで膨れ上がった。このような新興IT系企業を保有していた株主のなかには、多くの株長者が出現し新富裕層として社会的に脚光を浴びることになる。
大手企業では、NTT3社、富士通、NEC,ソニーなどIT関連銘柄に投資資金が集中し、春ごろまでに1万7千円、夏には1万9千円を突破する。しかし、日経平均採用銘柄でもITに関連する銘柄だけが上昇し、日本株式会社というべき重厚長大企業はこの上昇に無反応であった。その一方、不良債権で苦しんでいる金融機関や建設などは自律反射的に上昇した。日経平均は2000年2月には2万円を回復し、人々の景況感も幾分和らいだ。
4月には日経新聞社が日経平均構成銘柄をIT銘柄中心に30銘柄の入替をした途端、日経平均は機械的に2万から1万8千円台に下がったことで相場関係者から指数の継続性に対する辛辣の批判を受けた。
一方、日銀は景況感の改善が続いていることを根拠にゼロ金利政策の解除を検討する。一部エコノミストは米国のIT(ドットコム)バブル崩壊の兆しを懸念し、ゼロ金利政策の解除に懸念を表していたが、日銀は同年8月にゼロ金利政策を解除し、公定歩合を0.5%に引き上げた。
3.IT(ドットコム)バブル崩壊(米国)
グリーンスパンは、アジア通貨危機の影響を軽減させるために1998年9月~11月の3か月間に0.25%ずつ引き下げて、FFレートを4.75%にした。今度はIT(ドットコム)バブルの発生で加熱した経済を調整するために1999年6月から金融引き締めに着手する。99年6月から0.25%ずつ5回、翌00年5月にはNASDAQ市場がピークから23%下落しているにも関わらず、経済指標が依然として強含みだったことを受けて0.50%を引き上げFFレート6.5%にした。NASDAQ市場は、5月以降も下落基調を崩さす12月にはピーク時の半分まで落ち込んだ。このようにして1991年3月から続いた景気拡大局面は終了することになる。
日本でも、3月頃からIT関連銘柄の株価が暴落し、光通信は最高値から1/270の895円、ソフトバンクは1/50の4000円を割るほどに大暴落する。
4.セロ金利解除と量的緩和政策(日本)
日経平均は、日銀がゼロ金利を解除した翌9月には下降トレンドに変調し、12月には一時13,182円まで落ち込んだ。日銀はITバブル崩壊による景気悪化を懸念し、公定歩合を翌01年2月に0.5%から0.35%、3月に0. 35%→0. 25%と引き下げるとともに、日銀当座預金の目標残高を5兆円程度に増額して「量的緩和政策」に舵を切りなおす。この金融緩和政策と小泉首相就任の期待感から、日経平均は3月に11,433を底に5月に14,556まで上昇し、小春日和の様相を呈した。しかし、その後は下落基調に戻り、9月には同時多発テロで下げ足が速まり、一時9,382円を記録する。日銀は相場下落にさらなる拍車がかかったことを受けて、金利を0. 25%→0. 10%に下げるだけでなく、12月には日銀当座預金目標残高を10~15兆円程度まで引き上げた。それでも、不良債権問題の再発も重なって、日経平均は1万割れを定着させ、新たな下値を模索していく。
市場は大型公共投資を切望したが、小泉政権は、公共投資による景気浮上は不良債権問題の根絶に繋がらないと判断し、景気対策に打って出ることはなかった
5. ITバブル崩壊後のFRB金融緩和政策(米国)
FRBは、ITバブルが崩壊するのを見極めた後、バブル崩壊による逆資産効果の景気への悪影響を懸念し、今度は金利を下げる方向に舵を切り、2001年1月6.5%⇒6.0%、
2月6.0%⇒5.5%、3月5.5%⇒5.0%、4月5.0%⇒4.5%、
5月4.5%⇒4.0%、6月4.0%⇒3.75%、8月3.75%⇒3.5%、
9月3.5%⇒3.0%、10月3.0%⇒2.5%、11月2.5%⇒2.0%
とわすか11カ月で4.5%引き下げをする。また財政面でも、ブッシュ大統領は、8月には10年間で1兆3500億ドルに上る大型減税を実施する。しかし、これら施策を打っても、株式市場の下落基調は止まらなかった。こういった状況下でグリーンスパンFRB議長は、「バブルは崩壊して初めてバブルとわかる」と言う名言を残した。
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