投資家視点の戦後経済(14) 日本のバブル処理終結とイラク戦争(2001-2004)

 1.貿易センタービルのイスラムテロ

西欧諸国は少子化に伴う人口減少を抑えるために、イスラム移民を多く受け入れるようになった。その一方、イスラム過激派によるテロが西欧諸国で頻発していたことから、「21世紀はイスラム教、キリスト教のイデオロギー対立の世紀になる」とまで言われていた。2001年9月11日にはイスラム過激派によるアメリカ同時多発テロが発生する。米国相場はその動揺を抑えるために5日間市場を停止したが、市場が再開するとNYダウは8千台を割りこみ、NASDAQ指数は1500ポイントを割り込んだ。ブッシュ大統領は首謀者であるビンラディン率いるアルカイダを攻撃することで米国民の同時多発テロに対する愛国心の高めることに成功し、不況に対する国民の不満をかわそうとした。その後は、イラクのサダムフセイン大統領に焦点をあて、周辺国からサダムフセインを叩く大義名分が欠けていると非難されているにも関わらず2003年3月にイラク戦争に突入する。

米国経済は統計上では、2001年11月に底を打って回復局面に向かっていたが、12月に大手エネルギー会社エンロンが破綻するなど先行きへの不安が強く株式市場は低迷し、翌02年4月頃から下値を伺うようになり、7月にワールドコムも破綻したことで下げ足を速めて、NYダウは7,400台までに落ち込んだ。NASDAQ指数も2000台にとどまって重苦しい展開が続いた。

こういった暗い雰囲気のなか、歴史的な低金利による余剰資金が住宅市場に流れるようになり、ロサンゼルスなどの一部地域ではバブルと思われるような高騰を見せるようになる。


2.日本のバブル処理終結

2002年 年初からの下値圧力で日経は1万円を再び割り込んだ。その後、2月に政府が相場の悪化を食い止めるべく空売り規制したことで株価は持ち直し、5月に1万2千円をつけるなど小春日和を呈した。それと同時に上場企業の収益性が改善しPERも少しずつ欧米水準に近づいてきた。それでも、相場は再度下降トレンドに向かった、7月には9千円台に割り込み、一度消えたかに思われた製造業と建設業の過剰債務問題、その主力取引先であるメガバンクの不良債権問題が再燃した。日銀は10月に日銀当座預金残高目標を15~20兆円程度に大きく引き上げたが相場は反応しなかった。市場はひたすら不良債権処理の最悪のシナリオを織り込もうとしていた。

構造改革を訴えた小泉政権は,不良債権処理を最優先課題に位置づけ,竹中平蔵金融担当大臣が作成した主要銀行の再生を目指した政策案「金融再生プログラム」(2002年10月)に基づく不良債権の最終処理を進めた。その際,銀行財務に著しい資本不足の発生や企業倒産,失業者増加を想定し、前者には金融システムの安定維持に向けた公的資金, 後者には企業再建の仕組み(民事再生法の制定や整理回収機構,産業再生機構  のスキームを用意した。

秋になると一部の不振企業が倒産価格まで下落する。これら企業は、倒産を免れようと必死になって経営再建策を発表し、市場の評価を得ようとするが、市場はそれを不十分だと言わんばかりに売りのポジションを崩さず企業をギリギリまで追い詰めた。そうしているうちに日経は8千円台を伺うようにすらなった。


3.りそなHDへの公的資金投入

市場の圧力はそれだけで収まらず、今度はこれら不良債権企業を資金面で支えているメガバンクを叩き始めた。みずほ、UFJに至っては、独力での不良債権処理は不可能という判断され、国有化すら現実味を帯びてきた。さすがに、その状況を見かねた政府は公的資金の再投入を打診したが、今度は銀行側がこれを拒否。それに対抗するように、みずほは1兆円の資本増強策と2兆円の不良債権処理を宣言し、他のメガバンクもそれに追随し経営再建策を打ち出したが、市場は、東京三菱を除けば、この程度の改善策で不良債権処理の解決は程遠いと判断し、売り姿勢を崩さなかった。まさに信用不安である。

2003年初頭には、4メガバンクは、経営再建策に基づいて、不良債権に苦しむ企業に大胆な構造改革、貸し倒れ引当、債券放棄、合併などを仕掛けていた。そして毎週のように不振企業の再建計画が新聞を賑わすようになった。市場はそのニュースでさえ、不安材料にすり替える始末で、経営に不安のある企業を片端から売りを浴びせ、それが相場の不安を増長させ、今まで優良と言われる企業でさえ売り込まれ、しまいには市場全体が売りの対象となった。底値の見えない市場は3月には、ついに7千円台まで割り込んだ。

4月初旬には、りそな決算に対し、公認会計士の監査拒否が表面化したことで破綻の噂が市場を駆け巡り、市場はさらなるパニックを起こして、そのあおりで次のターゲットとされているみずほ、UFJは額面額まで売られた。その1週間後、政府はりそな銀行に公的資金2兆円で救済することを発表する。市場は、「政府がいかなることがあっても4メガバンクを守り抜く」というメッセージであるとポジティブに捉えられ、上昇基調に反転した。

日銀総裁は、速水総裁から福井総裁にバトンタッチをした。福井総裁は金融緩和に積極的な姿勢を見せ、日銀当座預金残高目標を17~22兆円程度に引き上げ、翌月には 22~27兆円程度、5月にも27~30兆円程度と3か月連続で引き上げた。さらに10月に27~32兆円程度、翌2004年1月にも30~35兆円程度に引き上げた。


4.超低金利政策(米国)

 IT(ドットコム)バブル崩壊による弱い需要は、日本を筆頭に、香港、中国、台湾、シンガポールでデフレ色を強くさせた。米国でも家電製品に価格低下傾向が強く、米国にもデフレが波及することに懸念を生じていた。米国では、幸い住宅価格の堅調で適度なインフレを維持できる見込みとなっていたが、バブル崩壊後の政策の失敗から重度のデフレに悩まされている日本を念頭にデフレ対策を練っていた。グリーンスパンFRB議長は2001年11月以降も利下げを続け2003年6月までに、合計3回、利率にして1.0%を引き下げ、FF金利誘導目標を史上最低の1.0%にした。さらにブッシュ大統領は2003年5月に11年間で総額3500億ドルに渡る追加減税を実施した。米国政府は景気低迷とデフレに対し断固たる態度で臨んでいた。これに対して株式市場は、主たる反応はなかったが、2003年3月のイラク戦争を境に上昇波動を描くようになる。大方の見方はイラク戦争で株式市場の更なる低迷を余儀なくされるというものだったが、軍需関連産業が市場を賑わしたこと。消費意欲の回復が見られたことからNYダウは堅調に推移していく。


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