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投資家視点の戦後経済(15)  中国の躍進と郵政選挙(2004-2006) 

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  1.中国の大躍進 改革開放以降、中国政府は沿海地域に特区を設け、繊維業を中心に海外企業を誘致したことで、中国で製造された製品が徐々に国際市場に流通することになった。1990年代からは、安価で豊富な労働力を求めて欧米・日本企業が中国に生産拠点を置くようになったことで、中国内企業は先進国の様々な製造ノウハウを蓄積していく事になる。 2001年には、米国の後押しでWTOに加盟し、自由経済圏の商業取引の仲間入りを果たす。その結果、「Made in China」は世界市場を席巻し、世界の製造工場としての地位を獲得した。ハイテク製品でも、欧米、日本、韓国、台湾などから取り寄せた部品を中国で組み立て欧米に輸出する流れが構築された。 2,世界における中国経済の存在感の高まり 中国経済の躍進は、膨大な設備投資と産業用機材の需要を創出し、世界中の特に重厚長大系企業に大きな恩恵を与えた。日本の重工長大産業も莫大な恩恵を享受し、史上最高の経常利益を計上する企業が続出した。 上海指数も、これまでは急速な経済発展を外目でみているような静かさだったが、共産党が株価市場の強化策を打ち出したことで、上海指数は2005年7月の1017元から、2007年10月にはその6倍になる6124元まで上昇した。世界経済での中国の存在感は年を追って高まり、2007年2月の大暴落(上海ショック)では、その影響が世界中に波及し。一時的な世界同時株安を引き起こした。 中国のGDPは常に10%の高成長を続けていたことから、GDPの世界ランキングもイギリス、ドイツを抜いて、日本も目前に迫るほどになった。さらに、様々な研究機関からは、2030年までにはアメリカを抜き世界第1位の経済大国になる予測も報告されるようになった。ゴールドマンサックスは、中国同様に台頭著しい5大国をBRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)と名付けた。これら国々には世界中の投資資金が集まった。 3.郵政民営化と日本株の暴騰 03年以降、欧米市場の株価は上昇トレンドに描いていたが、日本平均は、企業業績が増収増益にも関わらず、1万円前後の穏やかな小動きに終始していた。 しかし、05年夏に小泉首相が郵政民営化を問う衆議院選挙がスタートすると、日経平均は第2の上昇軌道に転じ、年末に向けて1万5千円を記録する。特に重厚長大系と金融関連銘柄はバブル

仮想空間という不動産市場の黒船 

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  1.仮想空間の時代 ①我々の生活はネットに吸い込まれている  IT技術が私たちの生活に欠かせなくなりました。今や様々なものがネットを経由する時代。証券や銀行取引だけでなく、飛行機、電車、宿などあらゆる手配がネットで済ますことができるよういなった時代。これまで物理的な店舗でしか取引できなかったものが仮想空間に取り込まれて、渦を巻くようにその対象範囲は年々拡大しています。さらに、最近はオンライン飲み会など人々の交流すらオンラインに移行しています。 これからはメタバースの普及も見込まれ、我々はネット上の仮想的な人物を作って生活をおくるようになります。 ②商業用施設の減少 今までは、どこの街にもたくさんの商業用ビルやテナントで溢れていました。週末になると街に出てショッピングなどはお決まりのコースでしたが、これら商業用テナントはネットに拠点を構えるようになっています。そうなると街中の商業用不動産の用途は減ります。これは不動産価格の下落を示唆します。 実際、地方都市にいけば、シャッター商店街だけでなく、空きビルや銀行などの支店もかなり減っています。 仕事場も、コロナ禍によってテレワークが可能になり、かつてのように従業員の作業場所としての広いオフィスも必要でなくなりました。 このように、街の商業用の物理的スペースがどんどん必要なくなってきています。 ③コロナ禍によって人々のライフスタイルが変換  コロナ禍によって、人々はいままで以上にネットに頼るようになりました。実際、仕事、買い物、娯楽、友達とのコミュニケーションの全てがネットで完結できます。そして人々は、多くの人が集まって騒ぐよりも、自分の世界を大切にするようになりました。人々は、自然と生活空間における物理スペースをネットに移行しています。このように、コロナ禍は、人々の生活様式の変化を10年近く早めたといっても過言ではありません。 2.金融緩和が引き起こす不動産価格の怪  これから、世界中で人口減少が深刻化し、商業用不動産の空きテナントで膨れ上がる事が予想されます。世界中で不動産価格の停滞が予想されます。少子高齢化によって不動産の利用用途も縮小します。特に、地方郊外の場合、空き家問題は深刻ですが、都会のマンションの空き室問題も意外と深刻です。不動産価格とは不思議なもので、多量の空き室がありながらも都心に近づけば近づくほ

投資家視点の戦後経済(14) 日本のバブル処理終結とイラク戦争(2001-2004)

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  1.貿易センタービルのイスラムテロ 西欧諸国は少子化に伴う人口減少を抑えるために、イスラム移民を多く受け入れるようになった。その一方、イスラム過激派によるテロが西欧諸国で頻発していたことから、「21世紀はイスラム教、キリスト教のイデオロギー対立の世紀になる」とまで言われていた。2001年9月11日にはイスラム過激派によるアメリカ同時多発テロが発生する。米国相場はその動揺を抑えるために5日間市場を停止したが、市場が再開するとNYダウは8千台を割りこみ、NASDAQ指数は1500ポイントを割り込んだ。ブッシュ大統領は首謀者であるビンラディン率いるアルカイダを攻撃することで米国民の同時多発テロに対する愛国心の高めることに成功し、不況に対する国民の不満をかわそうとした。その後は、イラクのサダムフセイン大統領に焦点をあて、周辺国からサダムフセインを叩く大義名分が欠けていると非難されているにも関わらず2003年3月にイラク戦争に突入する。 米国経済は統計上では、2001年11月に底を打って回復局面に向かっていたが、12月に大手エネルギー会社エンロンが破綻するなど先行きへの不安が強く株式市場は低迷し、翌02年4月頃から下値を伺うようになり、7月にワールドコムも破綻したことで下げ足を速めて、NYダウは7,400台までに落ち込んだ。NASDAQ指数も2000台にとどまって重苦しい展開が続いた。 こういった暗い雰囲気のなか、歴史的な低金利による余剰資金が住宅市場に流れるようになり、ロサンゼルスなどの一部地域ではバブルと思われるような高騰を見せるようになる。 2.日本のバブル処理終結 2002年 年初からの下値圧力で日経は1万円を再び割り込んだ。その後、2月に政府が相場の悪化を食い止めるべく空売り規制したことで株価は持ち直し、5月に1万2千円をつけるなど小春日和を呈した。それと同時に上場企業の収益性が改善しPERも少しずつ欧米水準に近づいてきた。それでも、相場は再度下降トレンドに向かった、7月には9千円台に割り込み、一度消えたかに思われた製造業と建設業の過剰債務問題、その主力取引先であるメガバンクの不良債権問題が再燃した。日銀は10月に日銀当座預金残高目標を15~20兆円程度に大きく引き上げたが相場は反応しなかった。市場はひたすら不良債権処理の最悪のシナリオを織り込もうとしていた。

2022年9月時点の投資スタンス(米国株の見極めを意識)(運用状況)

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 FRBの金融引上げにより米国株は軟調に推移しています。普通なら、ダウ指数が3万を割り込めば、米国株の購入も視野に入り、1~2銘柄の米国株を購入するのですが、あいにくの円安のため、円資金での米国株購入は安易にできません。  そう思うと運用利回りが低くても外貨MMFについては、500万円程度の残高維持をしていればよかったと後悔するこの頃です。 1.予想される当面の株価推移  私の個人的な見解では、インフレが収束するまで米国ダウの調整は続くと想定し、今時点ではどこが底になるかは見当がつきません。 ただし、これらを占う上でGAFAMの決算状況がカギとなります。GAFAMが発表する9月、12月、3月決算でどこまで安定的な決算を出せるかであり、 〇安定的な決算を継続していけば、今後の金利上昇局面でもダウの調整は限られたものになるでしょう。 〇逆に、決算と成長性が思わしくないとなれば、ダウは大幅な調整をすることになり、2万5千ドルも視野に入るかもしれません。  そういう意味ではアップル、マイクロソフト、アルファベットの決算概況を注意深く見ていかなくてはいけません。 2.債券投資の優位性  私は、この株価調整の本当の要因は、以前も書いたように時価総額がGDPに比べ、あまりにも膨れ上がっていることへの調整であると睨んでいます。インフレは、膨れ上がった金融資産と実物貨幣価値の乖離を調整しているのであり、この仮定を踏襲すると最低でも数年間は、株価は右上がりに向かいにくいと推測できます。さらに、この調整局面で銘柄間の下剋上が生じて、下落する銘柄はどこまでも下落するかもしれません。  つまるところ、そんな動きに左右されず、金融引き締めで金利が上昇している債券投資はとても優位な投資先となっています。 3.当面の投資スタンス  今のダウ銘柄を見ると、連続増配の優良銘柄であるスリーエムやベライゾンの株価は長期的に見て、狙い目の価格帯になっています。ドルベースで見れば、実質5%~7%の配当利回りを長期間安定的に享受できる状況下にあります。私は円安でなければ、すぐにでも購入したいと思う水準です。結構、おいしい状況です。  しかし、この円安基調を黒田日銀総裁在任中に転換するのは期待薄であり、当面この状況が続きます。そう考えると円安は相当に憎たらしいと思うのは私だけでしょうか。  それ以外のスタンスとし

投資家視点の戦後経済(13) IT(ドットコム)バブル発生と崩壊(1999-2001)

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  1.  IT(ドットコム)バブル(米国 ) IT   業界では、 1996年 の Windows95ブーム により 個人やオフイスでのパソコン普及が加速し、 Windows95に搭載される周辺のソフトウエアの需要が 増加した 。さらに Windows95を搭載したパソコンとサーバを組み合わせてビジネス用途のアプリケーションを安価に構築することが可能になり、メインフレームからのリプレース も 急増した。 それと同時に ネットワーク環境の急速な 発展が インターネット普及 を促して ネットワーク機器を専門とする企業 が 潤うことになる。このような背景により IT産業は空前の 好景気 となり、 I T 関連企業が多い NASDAQ指数 は 1996年 の 1000前後 から 1999年 には 2000 を突破し、 米国市場を大きく盛り上げた。さらに、 アジア通貨危機 を食い止めるための 金利引下げ が 過剰流動性のマネーを生んだ。それが IT産業に流れ込 んだ事で IT(ドットコム)バブル を発生させ、 NASDAQ指数 は 5048 を 記録するまでに爆騰する。 マイクロソフト、インテル、オラクル、シスコシステムズなどの大手新興 I T 企業は、米国の時価総額ランキング上位を占め、エクソンモービル、 GE、コカコーラ等と肩を並べるようになる。投資家は未来のマイクロソフトやシスコシステムズを発掘しようと、赤字続きで経営に問題のある ベンチャー 企業、さらには IT技術 者やベンチャー起業家 が 未来の 夢 を だけを説いた荒唐無稽な プレゼンテーション 資料にすら 多額の資金 を投入した 。 人々は、そういった 異常な 状況を「ニューエコノミー」とか「 IT革命」呼んで持てはや す一方、この相場は異常であると警報を発するエコノミストも少なくなかったが、いつ弾けるのかについては誰もが口をつぐんだ 。   2.IT(ドットコム)バブル(日本 ) 米国発の 「ドットコム・バブル」 は、不良債権に苦しむ日本経済に一時の好景気をもたらすことになる。 99年の春ごろになると、 日本市場は 米国相場の影響 下に組込まれるように 「ドットコム・バブル」銘柄 の暴騰 が始まる。 米国 NASDAQ市場と同じようにソフトバンク、光通信、Yahooなどの新興IT企業の株価が異常なくらいの

投資家視点の戦後経済(12)不良債権問題の深刻化とアジア通貨危機(1997-1998)

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  1.日経平均バブル崩壊後最安値更新と史上空前の経済対策 1998 年になると不良債権問題のマグマは日本経済全体に重くのしかかり、株式市場を再び直撃する。日経平均は 97 年 12 月に 1 万 5 千を割り込んだ後、翌 98 年 4 月には 1 万 7 千円まで回復したが、その後は一直線に下落し、 8 月にはバブル後最安値である 1 万 4 千円をあっさりと割り込んだ。政府は、 98 年 4 月に第 7 回総合経済対策( 16.7 兆円)を打ち出すが効果らしい効果は得られなかった。株式市場は不良債権の重圧にアジア危機が加わったことで底値感は全く見られず、 10 月には 1 万 3 千円すら割り込んだ。又、ドル=円の為替レートは、 95 年から続いている米国が打ち出した「強いドル政策」だけの要因に留まらず、不良債権問題の膨らみを不安視した円売りも加速し、今度は 140 円の為替水準まで切り下がり、違った意味で経済を冷やす要因となった。経団連は、こういった底なし沼の円安基調に対し、その対策を政府に要望した。この事態に、宮沢大蔵大臣が借金大臣と揶揄しながら 11 月に第 8 回総合経済対策( 23.9 兆円)と大手銀行への 8 兆円の公的資金投入を実施することになる。 物価面においても、以前から日本はデフレに陥っているとささやかれていたが、この 頃から日本政府もデフレによる物価下落の深刻さを表明するようになった。これを受けて日銀はデフレの悪循環を断ち切るために 、 1999 年 2 月に 「 デフレ懸念を払しょくするまでゼロ金利を継続する 」 と宣言し 、 「ゼロ金利政策」 に踏み切った。 このデフレ・スパイラルは、バブル経済崩壊による不良債権に伴う不用設備、雇用過剰、巨額債務などの問題に加え、中国などの安い輸入品の増加などが複雑に絡んでいた。 2.不良債権問題 の深刻化 バブル崩壊により発生した不良債権は、次第にその規模をスノーボール化するように膨れ上がらせ、日本経済に影を投げかけるようになる。 1996 年には、住専問題が深刻化したことで政府は国会での度重なる議論の結果、なんとか 6850 億円の公的資金を投入することで決着をつけた。政府はこれで不良債権問題は解決したと発表したが、それは氷山に一角にすぎないことは明白であった。マスコミは、次の住

投資家視点の戦後経済(11)急激な円高と米国経済の復活(1995-1997)

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  1. 急激な円高 日本国内はバブル崩壊による景気低迷に悩まされる一方、日本は依然として世界最大の貿易黒字国かつ世界一の債権(金持ち)国であり、アメリカと並ぶ世界有数の大国であった。さらに、日本の科学技術レベルの高さは、 欧米各国を凌駕しており、これら国々 にとっては脅威に映った。そういった日本の世界有数の国力と膨大な貿易黒字は、国内経済の低迷をよそに ドル=円レート を上昇させ、 94 年には1ドル 100 円を割り込む円高で日本経済を苦しめた。さらに、同年 12 月のメキシコ通貨切り下げが発端で円高がさらに加速し、翌 95 年 4 月には 1 ドル= 79.7 円をつけた。日本のGDPは、この円高による嵩上げで、米国GDPの8割強までに猛追する。ドル円レートが 70 円を切ると日米GDPの逆転すら視野に入ってきた。 2 .日米包括経済協議 そんな最中、日米は包括経済協議を行い、自動車、金融・保険調達などについて協議を 行った 。米国は日本政府に対して、自動車のより一層の輸出自主規制、日本市場への米国自動車の販売促進等、保険については海外保険会社の日本市場への開放を迫った。 しかし、日本企業は 20 年 近く続く 貿易摩擦 からの ダメージを回避する ため、 生産拠点の 海外移転を進めた結果、 移転先 である中国、韓国、台湾企業の技術力を向上 させることにな る 。これら企業は、日本製品ほどの 品質の 安定性はないが、 低価格 を武器にして欧米市場に乗り込んでいく。 その一方、米国は 95 年以降になると、 Windows95 でパソコンブームを 牽引する マイクロソフトを筆頭に IT 産業が飛躍的 に成長する。 これら IT 業界では 、 高価格かつ高品質である メインフレーム に対し、品質面では劣るが価格面での優位性を武器に、小規模システムをターゲットにした ダウンサイジングを 展開するようになる。 中国、韓国、台湾企業 はこういった流れを 上手に取り入れ ながら、 IT 産業の 市場規模の急拡大に比例するように成長していく。そのことが 米国側の日本への脅威 を 薄 めてい き 、 これ以降、 日本への執拗な自由化協議は影をひそめていく。 3 . 米国経済の復活 米国では、 1980 年代半ばから の 財政赤字拡大 で 経常収支 が 大幅 に 悪化し ていた