投資家視点の戦後経済(1) 1950年前後 東証再開と朝鮮特需
1.戦後復興と強烈なインフレ(1945~1949)
日本は敗戦による経済混乱で極端な物不足におちいり、日本中で強烈なインフレを引き起こした。このような中で日本政府は、国内基幹産業を復興させることを第一優先とし、1946年には石炭や鉄鋼などの国内主要企業に対して、資材、資金、労働力を重点的に配分する傾斜生産方式を実施した。しかし、その財源は復興金融金庫の復興債の大量発行による援助金(融資)に頼らざるを得ず、これが国内市場の資金をダブつかせ、1947年にはインフレ率が120%に達した。
2.ドッジライン不況(1949)
政府は、ハイパーインフレ化した日本経済を鎮静化させるために、1949年3月にドッジラインを施行した。ドッジラインでは、戦時統制(価格統制)の緩和、米国からの補助金の廃止、復興金融債権の廃止、国家予算を超均衡予算等の超緊縮財政を行った。税制面では、ショウウブ勧告により間接税から直接税にかえ、広く公平な税徴収体制に切り替えた。このような劇薬とも言える一連の施策は強烈な需要激減を引き起こし、深刻な不況(ドッジライン不況)となった。中小企業を中心に1100社の倒産、および国鉄10万人、電電2万人などの大規模な人員整理が行われた。トヨタ自動車や松下電器などの新興優良企業ですら倒産寸前の状態に追い込まれた。この結果、日本国中で資金の流れが停滞し、ハイパーインフレは収束に向かった。その一方、ドッジラインでは、国際貿易の整備にも着手し、実効レートよりはるかに割安な1ドル=360円の為替レートを設定した。これは、高度成長期を通して国際競争力が強くなっていく日本企業の輸出促進に大きく寄与した。
3.朝鮮特需景気(1949~1951)
終戦から5年目の1949年5月16日に東京証券取引所が再開した。初値こそ176円でスタートしたが、ドッジライン不況の影響で株価は徐々に下値を切り下げ、翌年7月には半値(85円)まで落ち込んだ。しかし、朝鮮戦争が6月に勃発したことで、米軍向け資材供給特需が発生した。これによって、ドッジライン不況により極度に減少した需要が補われ日本経済は再び息を吹き返した。株式市場は、この特需を支えに上昇基調に反転し、1950年末には100円の大台にまで回復した。尚、朝鮮戦争の特需を最も享受したのは繊維業界で、1951年の法人税上位10位を独占した。重工業メーカーも朝鮮特需により米国の製造技術等を吸収し、その後の発展の礎を築いた。
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