見えざる富裕層「棚からぼた餅長者」の実態
(世の中には正体不明の富裕層は数多くいる)
世の中には、にわかには信じがたい現象が溢れています。都心では、ごく普通のサラリーマンには手の届かない数億円のマンションが瞬く間に完売し、高額な入居金が必要な高級老人ホームも満室だといいます。一体、どのような人々がこうした高額な商品やサービスを手にしているのでしょうか?
書店に並ぶ富裕層に関する本を読んでも、現実の街中で起きている現象との間には、大きな隔たりがあるように感じられます。そこで見えてくるのが、一般的なイメージとは異なる、「棚からぼた餅富裕層」とも呼べる人々の存在です。
(「棚からぼた餅富裕層」とは?)
彼らは、人生のあらゆる局面で勝利を収めてきたようなエリートではありません。自らの才覚や努力で富裕層になったというよりは、時代の追い風を受け、まるで宝くじに当たったかのような幸運に恵まれた人々です。具体的には、主に2つのパターンが考えられます。
パターン1:幸運な「従業員長者」
自分が勤めている会社の株価が、時代の波に乗って予期せず高騰し、その恩恵を従業員として享受できた人々です。
ケース①:優良中小企業での出世
いわゆる有名大学出身ではなかったため大企業には進めなかったものの、経営が堅実な中小企業に入社。そこで実直に働き、経営の中枢にまで上り詰めてストックオプションで巨額の富を得た。
ケース②:IPO(新規株式公開)の恩恵
アルバイトの延長のような形で、勢いのあるベンチャー企業に入社。その後、会社がIPOを果たし、社員として大きな利益を手にした。
ケース③:アベノミクスと従業員持株会
大企業に勤め、アベノミクスによる株価上昇の波に乗って自社株の価値が5倍、10倍に。従業員持株会を通じて保有していた資産が、予期せず大きく膨れ上がった。
このように、ここ十数年で自社株によって資産を大きく増やした人は決して少なくありません。ただ、彼らは積極的に株式投資などの資産運用を行ったわけではなく、真面目に会社に勤めていただけで、給与以外の莫大な報酬を手にしやに過ぎません。
その一方で、誰もが羨むような日本の伝統的な大企業(いわゆるJTC)に入社しても、株価の上昇は限定的で、従業員持株会だけで資産を大きく増やすことは難しいのが現実です。
パターン2:時代が味方した「不動産長者」
世の中には、普段その姿が見えにくい不動産長者も数多く存在します。
ケース①:都心の土地価格高騰
戦後間もない昭和20年代から30年代にかけ、まだ土地の値段が安かった世田谷、杉並、大田区などに100〜200坪程度の土地を購入。その後の地価高騰により、莫大な資産価値が生まれた。
ケース②:地方の郊外開発
先祖代々受け継いだ土地が「負動産」としてお荷物になっていた地方在住者が、突然その土地が郊外開発の対象エリアに。二束三文だと思っていた土地を高値で売却できた。
ケース③:商業施設への土地賃貸
ケース②の土地の周辺に大手ショッピングモールなどが進出。そうした企業に土地を貸し出すことで、毎月数百万円もの安定した賃貸収入を得るようになった。
(財産を築くのも「運」次第)
これらの「棚ぼた富裕層」は、自らの才能で資産を築いたわけではなく、単に運が良かっただけと言っても過言ではありません。株価が大きく上昇する会社に勤めていたことも、その会社の株価動向を逐一チェックせず、いわば「ほったらかし」で持ち続けたことも、結果的に幸運に繋がりました。
こうした事例を考え合わせれば、冒頭で述べた「不可解な富裕層」の正体も見えてきます。彼らの存在を考慮に入れれば、現代日本で起きている数々の現象も不思議ではなくなるのです。メディアでは日本の先行きを不安視する論調が目立ちますが、その裏ではIPOによって新たな富裕層が生まれ、株価の高騰が新たな資産家を生み、公共事業が新たな土地成金を生み出しているのです。
(「常識」の裏に眠る富と、その不確実性)
日々の生活で、世間で「有用」とされる情報に振り回されることは、別の見方をすれば「慌てる乞食は貰いが少ない」と変わりません。短期的な情報に踊らされるほど、かえって本質から遠ざかってしまうのかもしれません。
株式投資においても、相場の流れや企業業績を徹底的に研究し、テクニカルな売買を繰り返すよりも、有望な企業の株を10年、20年と「ほったらかし」にした方が、結果的に大きな利益を得られるケースは少なくありません。経済情報に精通した専門家ほど、かえって相場では「器用貧乏」に陥りがちなのです。
世間で語られる成功法則は、長期的な視点で見れば、むしろ成功を阻む要因にさえなり得ます。逆に、何もしない「ほったらかし」が大きな成果を生むことがあるという事実は、世の中がいかに個人の努力ではどうにもならない「運」の要素に支配されているかを示唆していることの証です。
「世間の常識の裏側に、宝の山が眠っている」。しかし、その宝の山は、狙って掘り当てられるものではなく、宝くじのように極めて不確定なものであることも、また事実なのです。
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