アザケイ小説から日本社会の疲弊を読み取る(世界の潮流)

 

この小説は、人々が薄々感じているがあまり語らないことを赤裸々に描いていると短編小説です。この小説から読み取れることは、普通に生きることのハードル年を追って高くなってしまい、意識高い系の高い人たちにまで及んでしまっているという日本社会の深刻な疲弊である。あざケイ文学から、こういった競争社会の負の歪を見せつけられたような気がしてならない。

 

☆「ふぞろいの林檎たち」の現代版

  この小説の前提にあるテーマは、一見社会的な勝者に見える人たちの虚像というべきものである。これは明らかに作者のレトリックで、40年前に「ふぞろいの林檎たち」というドラマと比較すると面白い。「ふぞろいの林檎たち」では学歴競争敗者の社会的な抑圧や挫折感を描いて反響を呼んだ。アザケイ文学は、「ふぞろいの林檎たち」の勝ち組の変遷を描いたと言えるであろう。そこには、バブル崩壊以降の日本株式会社という名門企業群の衰退によるエリートサラリーマンの幸福度の激減が描かれている。日本の子供たちは、旧来型のエリート像を追い求めるように受験競争をさせられる一方、その後は大学入学時と卒業時のイメージの乖離、一流企業に入社時とその後の生活イメージの乖離が続き、いつまでたっても思い描いていたイメージ像に届かず絶望する。そんな実態が浮かび上がってくる。

 

☆必要条件を十分条件に勘違い。

 人生100年時代にたかが18歳の受験の結果で人生の結果が決まるなんてナンセンスなのだが、これら優等生は一流大学に入ればその後の人生も悠々自適に送ることができると、特に地方出身の受験勝者は信じている。実際、一流企業などの就職数や役員も大学ランキングではトップクラスである。そんな情報を得て自分達もいつかはこのような地位まで上り詰められると思って社会に出る。まさに必要条件と十分条件を勘違いしているのだ。十分条件である泥臭さ、それは会社で奴隷のように重労働し、学歴云々隔たりなく周りにはいい人を演じ、上司に好かれるような態度を貫いていくことで少しずつ役職の階段を上り続けていく結果でしか役員昇進への光は差してこない。まさに苦労に苦労を重ねたうえでつかむ勲章なのだが、これら優等生は、まるで「課長島耕作」のような漫画タッチの軽さで人生を謳歌できると信じ込んでいる。そして社会に揉まれて十分条件というもの存在が分かるようになるが、その時には人生が詰んでいる。

そういう点から考えるとアザケイ小説はまさに痛々しい。しかし、今の日本においては、毎年数多くの痛々しい人を大量に作りあげている社会構造が出来上がっているの事実である。。


☆全日本人不幸化の深刻な進行

 アザケイ文学の対象者は、本来なら中流を謳歌できるマス層でもあるにも関わらず、不幸感が漂っている。ここに日本社会の疲弊が読み取れてならない。これら中流層は、戦後経済構造の既得権益を剝ぎられ、実力社会に放り出されている層であり、その苦しみを真っ先に受けている対象がアザケイ文学の共感層ともいえる。

 それでも、世間的に見れば一流企業に勤め、ほどほど給与は保証されている。それでも幸福感は高くない。つまり今の日本全体に不幸感が充満していることの裏返しである。今の日本で満ち足りた生活を送るためには、本当の実力競争の勝者でしか得ることができないのだ。


☆自分の世界観で幸福を構築できる本当の勝ち組

 こういった人たちに共通するのは、誰かからの承認要求と他人からの評価でしか価値基準を見いだせないという心理構造である。それは高校や大学名から始まり、大学では学部にランク付けし、そして就職企業をランク付け、企業内の部署をランク付けし、出世の仕方をランク付けし、さらには、伴侶の選び方。住むエリアな、子供の学校と様々なところでランク付けや偏差値の視点で物事を判断する癖が染みついている。

アザケイ層が幸福になるにはこういった価値観の放棄から始めなくてはいけない。他人からの承認要求など気にせず、自分が幸せになれる世界を探して構築していけるようになることである。つまり世間常識と惜別し、いらぬプライドで空回りさせられる人生とはサヨナラするのである。

 

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