ファイザー 株価低迷からの脱却は期待できるのか?(個別銘柄:米国株)

 1.ファイザーの低迷

 ファイザーは、コロナ禍で最も活躍した企業である。コロナワクチンのおかげで売上高は2倍以上に膨れ上がるなど空前の享受を被ることになった。普通なら株価はこの流れに沿って爆騰するものだが、コロナ禍前の30ドル台半ばから60ドル弱まで上昇したに過ぎず、さらに配当も1セント増配に抑えるなど株主にとっては満足いく結果ではなかった。これの示すところは、投資家はファイザーのコロナ禍以降の業績に対しそれほど期待をしていない。実際、コロナ禍が沈静化した23年秋には、株価が30ドル近辺までに低迷する始末である。

2.ファイザーCEO:アルバート・ブーラによる事業構造改革

 コロナ禍前のファイザーは、主要な医薬品の多くが特許切れを迎えていた。このため有力なパイプライン発掘が責務となっていたが、思うようにことは進んでいなかった。それに呼応するかのように企業の売上高は横ばいを推移し、特許切れに伴う利益率の低下から配当性向が100%近くにまで上昇し、投資家からは減配すら懸念されていた。そういった状況下で就任したアルバート・ブーラは、利益の見込めない大衆薬をグラクソ・クライン。そして特許切れの医薬事業部をマイランと統合させた。こういった事業分離により、ファイザーは革新的な新薬開発・販売に会社の資源(リソース)を集中させていった。しかし、この政策は、主力製品がおぼつかない中でいたずらに売上高を減らしてしまうだけだと判断され、株主からは賛同を得られなかった。さらにダウ30リストからも外されてしまい、製薬メーカーとしては後塵を拝するかに見えたが、そこに神風が吹くことになる。それがコロナ禍だ。

3.決算及び財務内容の推移

 ファイザーは、convid-19の予防ワクチンをいち早く提供することによって、2021年~2022年にわたり莫大な売上と利益を計上する。それによって得られた莫大な資金を株主還元に振り向けずに、アルバート・ブーラの目標とする革新的な新薬販売の源である新パイプラインの拡充に充てた。実際、米グローバル・ブラッド社を54億ドル、英バイオヘイブン社を116億ドル、米アリーナ社を67億ドルと矢継ぎ早に買収し、極めつけは、がん治療薬のシージェンを430億ドルで買収する方向で動いている。さらに自前開発パイプラインのいくつかが芽を出し始めた。これにより、ファイザーはコロナワクチンに頼らなくても、十分に安定的な経営ができる素地を固めつつある

4.10年タームでは相当な期待も

ファイザーは2030年の売り上げ予想を提示している。その内容は根拠のない絵空事にはなっておらず、ほぼ近似値で達成できる見込みがありそうだ。さらに、2030年までの間に更なる買収を掛けてくる可能性も否定できず、業績の上振れすら予想できる。一方、競合他社の多くは2030年までに主力製品の多くが特許切れになってしまう。ファイザーは、そういった状況をしり目に投資家からの評価を得られる可能性も否定はできない。

5.株価は今後の株主還元次第

 現時点のファイザーは、増配幅を1セントに抑えているだけでなく、自社株買いも行っていない。そのため株価はアナリストからの評価にだけ依存をしている。これが冴えない株価で利回り4~5%の高配当株に成り下がっている理由である。事業内容と株価をリンク付けるには、一定数の自社株買いをして銘柄の投資環境を良くする必要がある。このため、シージェンを買収し、新規パイプラインに一区切りがつけば経営環境も安定的に推移することが期待できるので、積極的な株主還元に舵を切ることを期待したい。

逆なことを言うと、ファイザーの経営幹部が意識的にそのような方向に誘導していかない限り、ファイザーの株価は30~40ドル台で一進一退を続けていくことになる。とはいえ、長期的な視点で見れば、30ドルを切ることは間違いなく安値で放置されていると言えなくもない。たとえこの判断が間違ったとしても、利回り5%で減配懸念のない銘柄であること、少額だろうと確実に増配をしてくれることを考慮すると、優良な配当貴族銘柄であり続けられるであろう。

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