「メキシコの漁師」に見る人生と労働の皮肉

 (ファーストリテイリングの入社式)

 ファーストリテイリングの入社式に関する日経記事があった。柳井正会長兼社長は「新しい報酬体系で初の新卒社員になる。世界中で活躍してもらい、付加価値のある高い利益を生むビジネスを作り出す。そのフロントランナーになっていただきたい」とエールを送った。この会社は2025年より新卒社員の初任給を33万円にした。全体の新入社員数は約1300人を予定しており、新入社員の代表は、「プレッシャーもあるが、その分期待をしてくれているということだと思う。その期待をモチベーションにして頑張っていきたい」と意気込みを話した。

 この会社に勤めるということは、会社の好業績を支えるための歯車になることを意味している。この激務な会社で働いている間は、この会社に全てを捧げるような生活になるのは間違いない。つまるところ、社員は柳井指揮官が率いる軍隊と相違ない。

 こういったものを見ていると、リベラルが平等平等と叫んでも、こういった会社への奉仕は、厳しいビジネス競争の打ち勝つためというお題目の合法的な奴隷制度なのかもしれない。

 しかし、こういった企業があるから日本の国富は先進国に留まれるのだ。だから、日本取っては、一定数以上、このような企業は存在しなくてはいけない。

(「メキシコの漁師」にみるビジネス社会への皮肉)

「とても魚釣りが好きな漁師がいた。

漁師は好きな時間に起き釣りをし、子供や友達と楽しく遊ぶ毎日を過ごしていた。

そこに、アメリカの観光客を運ぶ小さな漁船がメキシコの小さな島に着いた。

船から下りると、旅行者人の一人がメキシコ人漁師に尋ねた。

「すごいね、どれくらい漁をするとこれだけ大量に釣れるの?」

「いや、昼のちょっとした時間、海に出て漁をしただけだよ」

それを聞いた旅行者はビジネスの好機ととらえ「漁をする時間をもっと増やして、もっと多くの金を稼いだらどうだい」というと、漁師は「なんでそんなことしなくちゃいけないの?。これで十分生活が成り立っているよ」と言った。

すると旅行者は、「それなら、余った時間は何しているんだい?」と聞いた。

漁師は「朝はゆっくり起きて漁に出る。その後は子どもと遊んで、女房とシエスタする。 夜になったらバーで友達とギターを弾きながら歌をうたって。これで一日は終わる」と説明した。

今度は旅行者がビジネスマンの立場から漁師に言った。

「私は、ビジネススクールでMBAを取得した身としてアドバイスしよう。もっと漁をしてもっと多く魚を釣るべきだ。そうすれば、大きな漁船が買えるようになる。そして水産品加工工場を設立して、沢山の授業員を雇ってマンハッタンのオフィスビルから指揮をとる」

「どれくらいの時間がかかる?」

「20年か25年ぐらいかな。そして、上場した株を売って、億万長者にもなるのさ」

「その後は?」

「引退して、海の近くの小さな島で、朝はゆっくり起きて、趣味の釣りをして、その後は子どもと遊んで、女房とシエスタする。 夜になったらバーで友達とギターを弾きながら歌をうたう人生を楽しむのさ」


(苦労の先にしか極楽はない)

この話の面白さは、アメリカ人旅行者が精神をすり減らしながらビジネスの成功を目標にして、その後はたくさんのお金をバックにのんびりした余生を夢見ることの行き着く先が、そもそも競争社会とは無縁で、お金がなくても自由気ままにストレスなしに生きるメキシコ人と何の変わりがない事のウィットで、そんなことを皮肉にしたのであろう。とはいえ、現実の社会情勢からみるとこの話はメキシコ人を美化しすぎている。そんな幸せな生活を送れるのなら、これらの国の大量の人が不法移民にまでなってアメリカや西欧に流れてくるわけがない。また、社会主義国家で実証されたように、全ての人間を平等にしたら人は向上心がなくなり、この世の楽園どころか地獄行きの切符になってしまったのだ。つまりのんびりくらすといっても初めからのんびりではなく、いろいろな苦労を重ねた結果でないとのんびりする事の極楽性を噛みしめることはできず、逆に地獄に向かって突き落とされてしまう。

この話に哲学的な意味はない。あるのはアメリカンジョークに過ぎない。要は、ビジネスの競争社会の成功者をちょっと皮肉っただけである。


(「晴耕雨読」にみる幸せの神髄)

晴れた日には田畑を耕し、雨の日には家で読書するというように、 世の中のわずらわしさを離れて自由気ままに生活することで、悠々自適に生きるさまを「晴耕雨読」で例えることもある。まさに都会で闘って生きてきた知的層の桃源郷である。

日本、いや世界中で、様々なビジネス教本が書店などに溢れている。ビジネスに勝つために日夜勉強に励み、四六時中仕事に励んだり、仕事を効率化するためにヨガやマインドフルネスに打ち込んだりと人生の大部分に仕事に対する労力を費やしている。その先にある桃源郷は些細な幸せにしかすぎない。ファーストリテイリングで資本主義の先兵となって激務をこなし切ったビジネスマン達は、その後は疲れた子事を癒すように「晴耕雨読」で人間本来の姿に移行していくのであろう。

これの言わんとしていることは、人というのは苦しみを経験しなければ目の前にある些細な幸せを本当の意味で味わうことができない悲しい生き物である事を示唆しているようだ。


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