AI革命が導く人類社会の変容

 AI技術が社会に深く浸透する昨今、この技術はこれまでの産業構造だけでなく、人々の生存や生活様式にまで根源的な影響を与えることが予想されます。本稿では、単なる技術投資の是非を超え、人類の未来という視点から考察します。

1. ヒューマノイド(AI)ロボットがもたらす人間関係の変質

 ヒューマノイド(AI)ロボットが実用化された場合、現代社会で既に進んでいる人間関係の希薄化にさらに拍車がかかるでしょう。現時点でも、昭和時代のような家族団らんのコミュニケーションは、SNSや動画配信サービスの普及により激減し、家庭内の会話は著しく減少しました。

 家庭内のコミュニケーションが希薄化すると、外部との関係構築にも影響が及びます。他者とのやり取りに対する寛容性が低下し、友人関係の構築も困難になるという問題が指摘されます。その一方で、ヒューマノイドロボットが一般化すれば、「自分好みに設定でき、自分の都合のよい存在となる」ため、友人といった外部の人間関係を必要としなくなる人が増加する可能性もあります。

 しかし、これは他者との関わりを通じて得られる成長の機会を遮断することにつながります。人間は、多様な他者と接し、紆余曲折を経験することで精神的に成熟していくものです。ロボットによる代替は、この成長の機会を、極端な場合永遠に奪うことになりかねません。

2. 生涯独身社会の加速とバイオ市場の成立

 人間関係を避ける傾向が強まる現代において、異性との交際という高度な情緒的コミュニケーションを必要とする関係性は、ますます困難になっています。ヒューマノイドの流通が一般化される時代は、恋愛や結婚といった関係性は、ごく一部の高い対人スキル保有者にしか得られない特権となる可能性があります。

 実のところ、恋愛は男女間の感情から生まれるものであり、政府の政策で容易に解決できる最も難題の一つです。科学技術の発展が、人々を恋愛から遠ざけ、そして結婚から遠ざけるという流れは、あたかもルビコン川を渡るように後戻りできない段階へと社会を追い込んでいると言えるでしょう。

 それでも社会は常に新たな需要に応じた構造を生み出します。恋愛が困難な人たち向けに、恋愛用のヒューマノイドが登場するでしょう。ヒューマノイドロボットは価格帯にもよりますが、高価なものは女優やイケメン俳優、アイドル並みの容姿に調整され、性格も自分好みの非常に従順な設定にカスタマイズされて出荷されることになります。これにより、多くの人が個人的な欲求を満たすようになり、生涯独身社会への突入は避けられないかもしれません。

 さらに、子を望む人々に対しては、高額な精子・卵子市場や代理出産市場が形成されるでしょう。これは、経済的に余裕のあるキャリア層や、経済力はあるものの対人関係に困難を抱える層などが主に利用すると考えられます。また、人口維持政策の一環として、政府がこれらの市場を利用する国が出現することも十分想定の範囲内となりえます。

 この市場では、代理出産でさえ、現行社会と同様に「スペック」によって価格が変動します。容姿端麗、高学歴、名家出身の女性の卵子や男性の精子、そして代理出産を担う女性も、その身体的・遺伝的グレードによって価格が上下します。単純に言えば、最高ランクであれば数千万から数億の価値で取引される巨大な市場が生まれるでしょう。その一方、人の根源的な欲望が変わらないため、詐欺事件や訴訟が多発することも容易に想定されます。

3. 社会構造の根本的変革と孤立化

 企業に属する以上、組織内でのコミュニケーションは不可避であり、そこでは友人関係とは異なる「大人の会話」が求められます。これらは社会人になることで半強制的に磨かれる能力ですが、ヒューマノイドが一般化する社会では、こういった能力を磨くための忍耐力や、自己犠牲的な精神力を養われないまま大人になる人が多数を占め、社会不適合者が増加する可能性があります。

 これは社会の機能不全を意味する側面もありますが、この時代になると、高度なコミュニケーション能力は会社の幹部層などに限定され、多くの社内・外部的な調整業務はAIに置き換わるでしょう。つまり、社員間の指示やコミュニケーションはAIを介して行われ、コールセンターにかかる不満や苦情すらAIに対して行い、AIがその解決策を模索してくれるという構造が実現します。

 これは技術革新というよりも、人のコミュニケーション能力の低下に伴い、賢明な企業がビジネスチャンスとしてこのような環境を整備するという見方もできます。

 それでも人間は誰かと繋がりたいという根源的な欲求を持ち続けます。しかし、私生活にまで煩わしい人間関係を持ち込みたくないという思いから、SNSがその受け皿となります。投稿へのコメント、ライブ配信への参加、投げ銭などを通じて、半一方通行の関係性の市場は活況を呈します。結果として生身の人間とは「踏み込まない距離感」を保つ人が増え、この流れは今後さらに加速していくと考えられます。

 そうして人は、外部の人との関わりの中での生活ではなく、自分の脳内にあるバーチャルな価値観に埋没しながら生きていくようになるのかもしれません。

4. 人間社会の永続性と技術の限界:生命の「多様性の設計図」

 旧約聖書には「バベルの塔」という説話があります。神に近づこうと傲慢にも塔を築こうとした人間に対し、神は罰として人々の意思疎通を困難にさせるために様々な言語を作りました。

 AIの発達、ヒューマノイドロボット、そして医療の飛躍的進化などの科学技術の発達は、このバベルの塔の物語と構造的に類似した側面を持っています。これらの技術は、生命が数十億年かけて試行錯誤して作り上げた生命の設計図に深く浸食し始めているのです。

 ここで言えることは、人間は賢いようでいて非常に不完全に出来ているということです。単純に、人は宗教や国が少し異なるだけで、お互いを深く理解するのは難しいのです。また、国内においても社会に出れば多様な人々がいます。賢者が集うはずの政治の場一つとっても、お互いの利権に基づいた闘争を繰り返しています。

 しかし、この複雑な多様性こそが、生命の設計における叡智であり、善良から極悪まで全てを網羅するよう人を輩出し、人類が滅びないように意図的にカオス化させているのです。特定のタイプに集約してしまったら、かつての恐竜のように滅んでしまうことを生命が危惧しているからでしょう。

 今後は、生命の設計図が、今の人類の技術的暴走を食い止めるべく、バベルの塔のような分断や混乱を再度引き起こす可能性もあります。例えば、SNS社会が生み出す妄想から一人の狂気的な独裁者を登場させ、紛争を起こさせ、最終的に自滅させる。あるいは、地球温暖化や強力なウィルスといった事態を引き起こすことです。そして、これらの原因は全て、人間が作り上げた現代文明が要因であるという皮肉を込めて。

 とはいえ、こうした壮大な終焉の懸念はまだまだ先の話で、21世紀は、これらの技術革新を純粋に謳歌し、金融市場では投資家がバブルを純粋に楽しむことが許された世紀なのかもしれません。

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