「学歴」より「生存戦略」。社会を勝ち抜く力
(社会の本音と建前)
JX金属執行役員が語る「生意気だけどチャーミングな人材」という記事がある。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC08A720Y6A100C2000000/
しかし、こうした言葉を額面通りに受け取ると、企業社会の現実を見誤り、結果として手痛い損失を被りかねない。
採用現場において、役員の示す理想像に沿った人材が一定数採用されるのは事実である。人事部としては、組織の同質化を避け、変化に耐えうる多様性を確保したいからだ。しかし、現場配属後は様相が異なる。率直な意見をぶつける「生意気なタイプ」ほど上司や周囲と衝突しやすく、結果的に数年で職場を去る例は枚挙にいとまがない。
実際、一般社員の評価権を握るのは、役員ではなく直属の課長や部長である。彼らに敬遠されれば、実力以下の評価を下されることも珍しくなく、昇進の機会も損なわれる。大企業で管理職に登り詰める人物の本質は、「生意気さ」よりもむしろ、上司との調整能力や組織運営の巧みさにある。理不尽な要求に対しても、矛盾を飲み込みながら組織としての落としどころを探れる人間でなければ、出世の階段を上り続けることは難しい。
(経営層の語る建前)
こうした記事に見られる言葉には、企業側の本音と建前が混在している。例えば、多くの社長が新入社員へ贈る「現状に満足せず、改革精神を持て」という訓示や、成功した経営者が語る「若い頃は上司とぶつかった」という美談がそれだ。 しかし、後者の多くは成功後に加えられた物語としての「装飾」であり、現実の大企業で“暴れ馬”のような人物が順調に昇進するケースは、極めて例外的といえる。大企業の社長が語る理想論は、従順な社員ばかりになりがちな組織に対する「アンチテーゼ」として機能しているに過ぎない。
(企業ごとに求める人物像は異なる)
しかし、こうした「社長の言葉」が全くの的外れというわけではない。未上場の中堅企業や中小企業、ベンチャーにおいては、周囲との“調整力”よりも、仕事の実力と実績を出せる人材こそが必要とされるからだ。 これらの企業は大企業と異なり、経営基盤が脆く、取引先からの厳しい要求に応え続けなければ生き残れない。つまり、実力のない人間が社内政治に終始して出世できるような「余裕」がないのだ。そのため、指示を待たずに自ら仕切り、リーダーシップを発揮する「生意気な」タイプこそが重宝される。
こうした二律背反な現実は、個人のキャリア選択に決定的な差を生じさせる。社長の言葉を真に受けて行動するような「気骨ある人材」は、大企業では冷遇されるリスクが高いが、中小・ベンチャーという戦場を選べば、会社の成長とともに役員まで登り詰める可能性を秘めている。
(生存戦略を左右する「育ち」と適性)
こうした適応の成否は、本人の資質以上に、育った環境に依存する側面が大きい。 例えば、父親が自営業者で豪放磊落、母親も気風が良いという家庭で育った子は、親の背中を見て「自立心」を養う。しかし、その性質のまま一流企業に入れば、前述の通り組織の壁にぶつかることになる。一方で、能力が伴わないのに自己主張だけが強く育った人材は、組織の規模にかかわらず、どこへ行っても馴染めず「生きづらさ」を抱えることになるだろう。
(地場ヤンキーが示す、もう一つの生存能力)
人生の選択におけるもう一つの興味深い例が、地方に根を張る「ヤンキー層」の存在だ。彼らの多くは学業成績こそ振るわないが、家庭環境を通じて「社会を生き抜く戦略」を無意識に学んでいるケースが少なくない。彼らの親もまた自営業者である場合が多く、子供には会社勤め以上に「事業主としての生き方」を背中で示しているからだ。 彼らは地元の強いコミュニティを活かし、建設現場などで経験を積みながら、下請けの立場からビジネスの種を拾い上げる。自ら小さな会社を興して成功し、40歳頃には地元の国立大や旧帝大出身者よりも高い生活水準を実現している例は珍しくない。子育てにおいても、学業だけに執着せず、我が子の「やんちゃさ」を、かつての自分と重ね合わせ、自立へのエネルギーとして穏やかに見守るのである。
人生の成否は学歴だけで決まるものではない。社会の構造を見抜き、自分の気質に合った場所で「生き抜く力」を備えられるか。その「生存戦略としての能力」こそが、最終的な人生の充足度と、社会的・経済的な優位性を左右するのである。
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