「持たざる者」の資産形成と、節約という名のパラドックス

 


「お金を貯めなければ資産は増えない」。 凡人が資産を築きたいのであれば、お金に対する強い自制心を持たなければならない。資産形成の初期段階において節約マインドは不可欠であり、支出を徹底的に抑えて種銭を積み上げていく以外、有効な手段はほとんど存在しないからだ。 つまり、節約は資産形成における最強のツールであり、これなくして資産を膨らませることはできない。節約とは、現状を打破し自由を掴むための「第一歩」なのである。

FIRE挑戦という「ストイックな我慢」の日常

普通の会社員が30代後半から40代にかけて億単位の資産を築くには、驚異的な節約力が必要となる。中には収入の50%以上を貯蓄に回す猛者もいる。これは近年のFIREブームに伴う「後付けの成功解釈」という側面もあるが、一定の説得力を持つ。 例えば、年間300万~400万円を積み立て、インデックス運用(年利5%想定)を継続した場合、10年後には資産は約4,000万〜5,000万円に達する。さらに10年継続すれば、運用益の複利効果も相まって1億円の大台が見えてくる。 ここまでくると、日常生活はもはや「節約という名の修練」と化す。

節約癖が抜けなくなるという代償 

しかし、この成功には「人生の機会損失」という側面も孕んでいる。 20代から30代という、感性が豊かで人間関係が広がる時期に、修行僧のような生活を貫くのは一種の才能だが、周囲からは「変人」と映りかねない。過度な節約は、人間関係や恋愛、自己投資の機会さえも奪い去る。 さらに深刻なのは、億単位の資産を築いた後でさえ、お金を使うことに強い恐怖を覚えるようになる点だ。節約という名の「蟻地獄」から抜け出せなくなるのである。 画面上の資産残高を眺めて安堵する一方で、生活そのものは度を越した倹約に支配され続ける。これは決して珍しい悲劇ではない。

「不安からの脱却」という報酬の皮肉 

とはいえ、目に見えない同調圧力の中で「社畜」として摩耗する人々にとって、資産がもたらす安心感は計り知れない。「何が起きても困らない」という精神的自由こそが、節約の最大のご褒美である。 しかし、ここに凡人のパラドックスが生じる。 資産を築いた凡人は、節約を貫くあまり死ぬまで金を使えず、質素なまま人生を終える。一方で、今を謳歌しようとする人は、資産を築けず老後や雇用の不安に怯え続ける。 まさに、どちらを選んでも一長一短の二択を迫られるのだ。


人生は「人間万事塞翁が馬」

独身者が血に滲む思いで貯めた資産も、使い道がなければ最終的には国庫に帰属する。実際、2024年に相続人不在で国庫に入った金銭等は1,292億円に上り、10年前の約3倍に急増している。 不安を消すために必死に貯め、節税に励んだ金が、最終的に国への「ご奉納」となる。これほど皮肉な結末があるだろうか。 親族が相続する場合でも、倹約家の資産が放蕩な親族によって一気に消費されるのは世の常であり、結局は形を変えて社会へ還元される運命にある。

お金を貯めること自体は悪ではない。しかし、自分の人生を十分に彩ったうえで、なお残った分を後世に託す。その程度の「緩やかなバランス」こそが、凡人が到達しうる最も幸福な着地点ではないだろうか。

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