常識という名の幻想 — 市場における経験則の脆さ
私たちは「常識」という名の縛りに絡め取られて生きている。しかし、その常識は意外にも脆く、しばしば偽善的だ。以
前私は「投資家にとって最も危険なのは、時代のトレンドに陶酔することである」
https://investment-v3.blogspot.com/2022/06/blog-post.html
と書いた。人は、ほんの数十年程度の事象を「永遠に続くトレンド」として捉える傾向があるが、そのトレンドは時代ともに変化する。これには、人の一生という一世代の短さが影響しているのかもしれない。
(「少子化の常識」を疑え)
世の中には「常識」という幻想に縛られた事例が数多くある。その最たるものが、少子化問題だ。一般的に少子化の原因は、女性の高学歴化や共働きの増加にあるとされる。しかし、歴史を俯瞰すれば「女性は結婚したら専業主婦になる」という考えこそが特異なものだと気づく。
かつて女性は農家や商家における重要な労働力であり、欠かせない存在だった。豪農や士族の家庭でも下女の需要は多く、そもそも「専業主婦」という概念自体が存在しなかった。強いて言えば、それは上流武士や貴族といった特権階級に限られた姿だったのである。
専業主婦という概念が一般化したのは、戦後のわずか20〜30年に過ぎない。しかもその短期間でさえ、夫の収入だけで家計を賄うのは困難で、多くの女性がパート勤務で支えていたという事実を人々は忘れているのに、人々は専業主婦という概念を昔の当たり前の家族形態だったと錯覚している。。
そして少子化の本質は、女性の高学歴化や社会進出も一因ではあるものの、人類の急激な「長寿化」による遺伝子の適応ではないだろうか。かつて人生50年と言われた時代から、今や「30代のような50代」「50代のような80代」のようなと異常とも言える若返りが実現した。人の活動期間がこれほど劇的に延びれば、種として多くの子を産む必要性は低下しただけである。仮に天変地異や疫病で人口が激減すれば、遺伝子は種としての危機感を感じ、生物学的本能として再び出生率は高めて、種としての生き残りを図るようになるはずだ。つまり、子供を産むのが常識的な家族形態ではなく、種としての生き残りを図るために遺伝子が子供を産むように仕組んでいたにすぎない。
(株式市場に「常識」はない、あるのは「癖」だけだ)
経済の根幹には、成長を渇望する人の欲望がある。国もまた、通貨を供給し名目成長を維持し。「年数とともに給与が上がり、生活水準の上昇を図る」構造を持続さなければならない。このような適度なインフレを維持することで社会の平穏を保つようにしている。株式市場は、そういった人々の心情に呼応するように緩やかな右肩上がは図られていく。
しかし、時に人の欲望は暴走し、実体経済を無視した暴騰を引き起こす。風船が許容範囲を超えて膨らめば、実体経済規模と市場規模が釣り合わなくなりバブルが発生する。大抵の場合、実体経済との乖離が容認できなく成るまで膨れ上がり風船が破裂する。
その後は数年の冷却期間を経てもとに戻るが、しっかりとケアしないまま放置すると、暴落の後遺症が社会全体に浸透し、政府がいくらお金を刷っても市場は反応しなくなる現象を引き起こしてしまう。1980年代後半の日本の不動産バブル後の「失われた30年」がその代表的な例である。
(これらは理論ではなく、人間という生き物が持つ「行動原理の癖」に過ぎない。)
投資の世界では、わずか数十年のデータを切り取り、それが未来永劫続く法則であるかのように語る者が後を絶たない。だが、近代株式市場の歴史はせいぜい100年程度だ。法則化できるほどの蓄積はなく、アノマリー(説明のつかない不規則な動き)の多くは根拠のない迷信に過ぎない。だからこそ、市場は常に私たちの「常識」を裏切り続ける。
現在、日米の株価時価総額は、未曽有の金融緩和を経てGDPの2倍にまで膨らんでいる。この膨張をバブルと呼んでよいのか、そしてこのような状況がいつまで続くのか、崩壊後には、不況とインフレによって実体経済規模と市場規模の乖離が縮小されるのか、それとも底なし沼による長期停滞を強いられ投資家の世代交代を待つべなのか、その答えを知る者はいない。
一人一人の投資家の知見などは、せいぜい50年程度の経験に基づく限定的なものに過ぎない。そこで起きた様々なことを咀嚼し、「常識」も「法則」を唱えている過ぎないなのだから。
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