遺伝子の生存戦略と、マネー資本主義社会の渡り術
(人の多様性と生存本能)
人は社会という仕組みに猫やペットのように「飼われている」存在だ。だからこそ、社会に対して愛想よく振る舞うことは、ある意味で自然な行動だ。道徳は社会生活を円滑にするためのルールだが、人間はそれ以前に「遺伝子による生存本能」に支配されている。
この生存本能は、画一的な行動を避けるよう人間を多様化させる。なぜなら、もし人類が一様な性格や行動様式に染まってしまえば、未知のウイルスや環境の激変といった予期せぬ危機に対応できず、絶滅リスクが高まるからだ。遺伝子はそのリスクを回避するために、人間を意図的に多様化させる。
(社会の常識と遺伝子の戦略)
人は道徳や宗教を通じて行動の指針を学ばされ、それに沿って日常生活を送っている。そして、社会の指針から外れる人々に対し、村八分のようにはじき出すような排他的な行動を起こしてしまう。歴史を振り返れば、宗教戦争に代表されるような考え方の異なる人たちに対すしての深刻な対立や残虐性であろう。一方、私たちの生命の設計図である遺伝子は生存戦略の観点から画一的な人間を作り出すような設計はしない。様々なタイプの人を意図的に登場させる。その代表例がサイコパスやADHDであり、こういった人たちが旧来の価値観や凝り固まった画一性な人たちに対して破壊的な力を行使する。実際、社会的権力者や成功者にはサイコパスやADHDが多い。とはいえ、遺伝子レベルにとってもこれら人々は異端であり、増殖をさせる事はしない。このような人は子孫という点では決して恵まれたものではなく、最悪は、家系図の消滅すら起こりかねない。
(嘘をつけるサイコパスは知能犯)
嘘をつけるサイコパス的な人は、そうでない人よりも社会的に有利な立場を築きやすい。
会社生活を例にとれば、常識人が目を背きたがるような経営陣からの無理難題な要求に対しても上層部に正論を交えながら心地よい発言を終始し、虚飾を交えた報告を繰り返す。当然であるが、本人自身も無理難題を解決できるとは思っていないから、役員の興味が薄れるのを待ち、プロジェクトが上手くいかない理由を巧妙に作り上げ、時には人に転嫁して逃げ切ってしまう。まさに、自分の都合の良い「劇場」を作り上げる能力に長けている。
特に大企業のような矛盾を多く抱える環境では、業務遂行能力そのものよりも、いかにトラブルを回避し、円滑な人間関係を維持するかが重要視される。そうした環境は、善悪は別として「嘘をつける人」にとって格好の活躍の場となる。
しかし、嘘をつくには高度な認知能力が必要とされることも理解しなくてはいけない。相手の心理を読み、状況に応じて言動を調整するには、想像力・記憶力・感情制御などが求められる。その能力が中途半端なサイコパスだと「うさん臭さ」がにじみ出るが、卓越したサイコパスだと、卓越した人物の場合は、不思議なほど完璧で魅力的に見えてしまうのです。
(サイコパスに支配される組織)
企業は売上や利益という厳しいノルマを追求する場であり、常識的な感性ではこれらノルマを継続して維持することが不可能である。このような状況下でADHDのような特性を持つ人は、常識にとらわれない発想で会社経営の土台を築いてしまう。しかし、サイコパス的な人は巧みにADHDな上司に取り入って、人当たりの良さを武器に周囲を魅了し、しまいにはADHDに変わって会社の経営権を握ってしまう。
しかし、それ以降は性格が180度変わる事も多い。知能犯であるから、自分の立場を脅かすものに対して容赦なく鉄拳を下して、長期にわたって権力の座に居座ろうとすることも多い。その結果、一般的に見て道徳に反する行動が目につきやすくなる。
(社会の多様性もお金の力にはかなわない)
人は多様であり、完全にコントロールすることはできない。統制が取れているように見える組織も、実は強い圧力にさらされているだけで、少しの緩みであっけなく崩れてしまう危うさを秘めている。
企業も放っておくと官僚化し、利権化し、やがて崩壊する。これを防ぐには、ADHDやサイコパスのような特性を持つ人に既得権益を破壊してもらう必要がある。つまり、この過程で起きる様々な惨状や理不尽をまじめに捉えても意味がない。これは、遺伝子レベルで多様性を維持しようとする自然の摂理が、人間社会に「混乱」と「創造」をもたらしているのと同義だ。。それが結局、人間社会に対する「無茶苦茶」を誘発する。宗教の教えのように現世では救世主は現れない。映画のように悪者が対峙されることもない。
そのような残酷な自然の摂理に対して、ダメージや不利益を回避したいなら、お金持ちになることだ。資産を築く技術を身に着けることで、社会システムへの過度な依存からの脱出が図られる。そうなれば、社会に対して不本意に愛想を振りまく必要もなくなり、さらに社会の矛盾に対して俯瞰した目で向き合う余裕が生まれるようになる。
かつては権力が富を生み出していたが、人権意識が確立された現代では、権力よりも「お金の力」が優位になった。総理大臣であっても、豪邸に住み豪遊するのは容易ではない。今や、真の自由と安定は「資本」によって得られる時代である。
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