富裕層分析 「いつの間にか富裕層」の誤謬
(世界有数の平等国家)
日本の税制は世界でも類を見ない社会主義的な性質を持っており、日本政府はそれをさらに強く推し進めている。そのおかげで日本には、他国のような一部の大富豪が国の大部分の富を占めるようなことにはなっていない。しかしながら、富の格差というのは雑草と同じように想像以上に強い。日本においても現実問題として格差はそれなりに拡がっている。例えば、東京都心部で一軒家を持つことはサラリーマンである限り不可能に近いと言えるが、実際にはそれなりのサラリーマンが一軒家を購入している。国の平等政策にも関わらず、そのズレはどこから出てくるのだろうか。
(旧富裕層の没落)
富裕層のイメージとして、古くからの資産家や名家を思い浮かべる人も多い。しかし、今の日本では代替わりにおいて膨大な相続税を課せられるので、次世代まで富は続かない。これは戦前から続く名家だけでなく、一般人であるが高度成長期に成功してそれなりに贅沢な生活をしてきた層でも言える事であるが、高級住宅地において代々に渡って住み続けている例はそれほど多くない。著名人をみても、かつては超一等地に豪邸を構えていた森繁久彌、加山雄三、そして梅宮達夫、石原慎太郎etcなどそうそうたる面々の屋敷は今や売払われている。さらに、多額の金銭面での相続は意外と少なく、残された立派な屋敷や骨董品は売却しても大した額にならないのが実情である。社会的成功者はその人の活躍に応じてセレブな生活を体現しても、その人の没後は過酷な相続税などの要因で子供や孫の代まで引き継がれるということは今の日本においては非常に困難である。
(新富裕層の出現)
旧名家や社会的成功者が没落する一方、賢い一般人から富裕層が生まれている。その実態として、バブル崩壊以降は賃金水準の高い大企業ほど頻繁に早期退職者制度を実施し、社会に不安を与えているにも関わらず、超多額とも言える割増し退職金(一時金)が得られ、かつ賃金水準をそれほど下げずに転職できた人。それ以外に、IPOによる持ち株の成金。勤務先株価の暴騰による莫大なストックオプション。高賃金の外資系企業を渡り歩くビジネスマン。最後は、企業の大小関係なくアベノミクス相場で資産を増やせた層の中から、自らの不安解消のために大きな支出を控えながら蓄財し、不動産や株式などの投資に積極的な一部の人達が該当する。
(高度成長期の富の成功モデル崩壊)
一方、高度成長期の成功モデルともいうべき、一流大学を卒業し一流企業に入って、それなりに出世することが富裕層の登竜門であった。この頃は年を追って会社の規模が拡大したことから比較的容易に出世を重ねることができたた。そして事業部長から子会社役員、本社役員から子会社社長などの要職を50歳後半から10年くらい続けることで、本社から多額の退職金、子会社で多額の給与、そして多額の退職金を得ることで、必然的に億の資産は到達できた。さらに、若い時に購入した一軒家の土地が購入時の数十倍に跳ね上がっていることも珍しくなかった。まさに理想的な人生であった。しかし、バブル崩壊後はこのようなサクセスストリーのハードルは高くなり、子会社への天下りのハードルも高くなった。今となっては、現役時代の給与はそれなりに高いが、50代後半からの名誉職を転々とすることは出来なくなり、富裕層到達への一部の役員以外は難しくなってしまった。
(野村総研の新富裕層分析)
野村総研では、増え続ける富裕層に対し、「いつの間にか富裕層」と「スーパーパワーファミリー」の存在を挙げている。
前者は、まさにインデックス投資をしてお金が増えた層を指しているのであろう。インデックス投資は投資知識などそれほど必要としない。まさに他人の言われるままに投資をしているにも関わらず、この10年間に限っては日本や米国のインデックス上昇を最も的確に享受した。私のようなズブズブの企業分析をベースとした投資家からみたらコペルニクス的な革命のような「赤信号みんなで渡れば怖くない」に近い投資法である。かの有名な格言「人の行く裏の道あり。花の山」を見事なまでにぶち破った投資法で財産を築いた層である。
そして後者であるが、机上ではこれら層は共働きのフル収入でもあり、二人合わせて2000万円以上の世帯も増えてきたが、実際はそれに応じた税金、そして過剰なまでの子供に対する教育や習い事への投資、高めの住宅ローン、さらには一定以上の生活水準の全てを満たそうとするため、収入のほとんどは支出にかわる。インテリなので投資にも手を出すが、著名知識人のアカデミックなセオリーを信じる傾向が強く。間違いなくインデックス投資の積み立てが中心となる。こういった夫婦は「スーパーパワーファミリー」という言葉に酔いしれて、アッパーミドルの生活を実演しようともがいている。
(「いつの間にか富裕層」の誤謬)
野村総合研究所の定義する金融資産1億円は非常にあいまいな定義である。1億円という試算は、給与収入だけだと相当なハードルの額である。5億以上の資産になると、社会的成功者と財産額がセットになる。しかし、東京で土地の評価額1億円クラスの家に住んでも貯蓄額が数千万ならマス層になる。逆に年収500万のサラリーマンがGAFAMなどの投資で保有銘柄が1億円を超えても、生活面で潤すことができず、質素な生活を送っているというのはよくある。このため、1億~2億の富裕層でありながら富裕層ではない人も多く、その逆もしかりになる。立派な豪邸を建てたり、高級な車を購入したり、セレブのようなキラキラ生活したら湯水のようにお金は出ていき、収入がどんなに多くても手元に残るお金は限られてしまう。しかし、そういった人は資産額の有無にかかわらず富裕層の片割れと言えなくもない。
そうなると野村総合研究所のグラフは、1億円以上に富裕層と定義づけるのではなく、多額資産保有者にでも名称を変えたほうが適切で、収入や家有無まで合わせて提示した方が富裕層の実態を知る上で適切な資料になるであろう
「いつの間にか富裕層」は、平凡だがお金の使い方に厳しい節約大好きな地味なサラリーマンである。キラキラ経歴や生活とは程遠い。だからこそ目につきにくい。6畳一間の安いアパートに住み食費のケチっているような貧乏生活を敷いている人を富裕層と定義づけるのはちょっといただけないからである。。
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