「疑似弱者」という社会の「真の」勝ち組
21世紀に入り、民主化の進展と基本的人権の尊重は著しいものがある。政治家は「弱者(負け組)」の保護を訴えなければ、国民からの支持を得ることが難しくなった。特に日本においては、戦前のように富める者は富み、困窮する者がますます困窮するような事態を放置することを国民が許さない。その結果、「勝ち組」には、「負け組」の生活を支援するため、多くの税金が課せられている。 しかし、そこには「疑似弱者」という、法や制度の網の目をかいくぐる「勝ち組」が存在するのも忘れてはいけない。 (弱者保護の盲点を突く) 政治家は、票を投じる有権者が巨大な組織になればなるほど、その意向に逆らいにくくなる。結果として、団体票を持つ組織に利益をもたらす政策を打ち立てざるを得ない。そこには、結果として「富める者が(さらに)富む」という要素も含まれ得る。 また、有権者の中には、自らの権利を確保するため、自身を「弱者」と位置づけ、既得権益の維持や新たな利益を得ようとする人々もいる。一見弱者のように見えても、実態はそうではない「疑似弱者」の存在だ。票によって成り立つ政治家は、理想と現実、そして様々な既得権益と「疑似弱者」の狭間で、政策を打ち出さざるを得ない状況に置かれている。 21世紀の政治は、こうした「疑似弱者」の影響力が強い時代とも言える。既得権益層は社会から批判されやすいが、「弱者」は社会的に同情を受けやすい。さらに、彼らは表向き社会的な「勝ち組」ではないため、社会への不満を表明しやすい立場にある。 さらに、「弱者保護」という観点から打ち出される法案は、与野党問わず反対することが難しい。そしてそのツケは、旧来の「勝ち組」への増税という形で跳ね返ってくる。「疑似弱者」は、そういった政治構造の盲点を突き、様々な恩恵を最も享受しやすい層と言える。 (「勝ち組」が損をする時代) 現代の日本社会においては、制度面で「勝ち組」に様々な負担が強いられている。特に税金面で苦しい立場に置かれがちなのが、サラリーマンの「勝ち組」である。彼らの収入は正確に把握されているため、政府はそこから確実かつ安定的に税を徴収することができるからだ。 つまり、サラリーマンに限らず「勝ち組」になるということは、「強者税」とでも言うべきものを支払っているのに等しい。年収が上がるにつれて責任と仕事量は膨れ上がるにもかかわらず、手取りで...