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人生100年時代に向けた健康への気配り

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 (ライフステージの「横ずれ」) 人類の寿命は、医療技術や生活環境の進化によりかつてないほど延びている。時代を遡れば、明治時代の平均寿命は約50歳。昭和の高度成長期には50歳は「老いの入り口」程度になり、令和の現代では50歳はまだ現役世代扱いである。今では高齢になっても仕事を続ける人や80歳代のフルマラソンを完走するなどアスリートやボディビルダーが登場してきた。音楽界でも、80歳を超えて現役でロックを演奏するシンガーが現れ、投資家ウォーレン・バフェット氏は95歳でも現役を堅持している、パートナーのチャーリー・マンガー氏も99歳まで活躍した。このように、ライフステージの「横ずれ」が起きており、私たちは寿命とそのライフステージにおいて未踏の領域に突入している。 (超長寿社会の到来)  人口問題研究所調べでは、日本の100歳以上の人口は、2020年:約8万人⇒2030年:約17万人⇒2040年:約32万人⇒2050年:約53万人と推定されている。ちなみに2050年の日本の人口は1億人強と推定されており、200人に1人は100歳以上という計算になる。 その多くは女性である可能性が高いとされている。これまでは、「100歳=ただ生きているだけ」という人が殆どだったが、100歳以上でも様々な分野で現役を貫く人たちが間違いなく続出するのは間違いない。吉永小百合は80歳とは到底見えない若々しさを保っている。2050年には100歳にも関わらず40歳~50歳にしか見えない外見の若さを保った女優が現れるのも絵空事ではない。さらに、医療技術や栄養学、予防医学の進歩によって、140〜150歳まで生きる人が登場する可能性も否定できず、様々な事に対する年齢(リタイア)の限界が再定義されつつある。 (職業と寿命の関係) とはいえ、実際には長寿を享受する人とそうでない人との格差も増々拡がっていきそうだ。その要因の一つは「健康意識」であり、職業の選び方も寿命に大きな影響を与える重要な要素になる。高齢になるにつれ体に悪い仕事内容を挙げてみると、①裁量権がない仕事②夜勤や昼夜シフト制の勤務③過重労働や重度な調整業務によるストレスを溜めやすい仕事④暴飲暴食、外食中心の健康を考えない食生活etcなどが挙げられる。実際、裁量の大きいオーナー経営者などはストレス管理がしやすく、長寿傾向が見られる。一方、IT...

二重価格が映し出す日本経済の歪み

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1. ニセコが映す「二重価格」の実態 インバウンド需要の急増を背景に、日本各地で「二重価格」とも呼べる現象が常態化しつつある。これは、一部の富裕層や訪日客が牽引する局地的な物価高と、長年のデフレに慣れた国内市場との間に生じた、深刻な歪みを浮き彫りにしている。 その象徴が、国際的リゾート地、北海道・ニセコである。天ぷら蕎麦が3,500円、ディナーコースが数万円という価格設定は、もはや日常の光景だ。地元スーパーでは高級食材が並び、高額な消費も珍しくない。地価も高騰を続け、数億円規模の不動産が流通する。この現象は、2010年以降の世界的な金融緩和で膨張した資金がインバウンド需要として日本に流れ込んだ結果であるが、その本質は、実質的な円安によって日本の購買力が相対的に低下したことに起因する、特殊な価格構造と言える。 2. 全国へ広がる二重価格の波 この動きはニセコに限らない。姫路城や富士山をはじめ、全国の観光地で訪日客を意識した料金設定の導入が進んでいる。これは、30年近くに及ぶデフレで停滞した国内価格と、バブル崩壊以降もインフレが継続した場合の「あるべき価格」との乖離に過ぎない。いわば、日本の物価は長い間、時間が止まってしまった。この乖離の是正が、「二重価格」として表面化している。 3. 企業行動の変化と一般消費への波及 当初、この特殊なインフレの影響は観光地や富裕層消費に限定されていた。しかし、企業はこの流れを価格転嫁の好機と捉え、2021年以降、コスト増を理由に広範な商品・サービスの値上げに踏み切った。これは、利益を削ってでも価格を維持せざるを得なかったデフレ時代の経営から脱却し、企業が適正な利潤を確保する「正常な経済活動」への回帰とも言える。 結果として、多くの国民が物価高に苦しむ一方、企業はインバウンドと富裕層の旺盛な消費を収益源とすることで業績を確保する、という二極化した構造が定着しつつある。この企業収益の安定が、現在の株式市場を下支えしている。 4. インフレが加速させる格差社会 現在のインフレは、一過性の現象ではなく構造的なトレンドとなる可能性が高い。その中で、価格転嫁や新たな需要を取り込める企業と、そうでない企業との業績格差は拡大するだろう。それは個人の所得にも直結し、高額な報酬を得る層と、賃金上昇が物価高に追いつかない層との分断を深刻化させる。 政府は課...

投資における複雑系「エントロピー増大の法則」

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〇宇宙の根源的法則:エントロピー増大の法則とは エントロピー増大の法則は、宇宙を司る最も基本的な定理の一つです。これは「孤立した系(外部からの影響を受けないシステム)では、時間の経過とともに無秩序さが増していく」というもの。簡単に言えば、何もしなければ、物事は自然に乱れていき、秩序は失われるということ。私たちの日常生活、社会の動き、そして生命活動のすべてにおいて、この普遍的な法則が根底にあります。 〇企業経営におけるエントロピー増大:成長の罠と「恐竜化」 このエントロピー増大の法則は、企業経営にも明確に当てはまります。企業は成長期を過ぎて安定期に入ると、組織内に無秩序の種が芽生え始め、やがて衰退の兆しを見せます。 このような過程で、企業はさらなる成長軌道を維持しようと、次々と新たな事業に手を広げ、**コングロマリット化(“恐竜化”)していきます。当初は事業間の補完が機能するものの、ある臨界点を超えると逆回転を始め、崩壊への道を辿ることになります。そして、巨大になりすぎたがゆえに時代の変化に追いつけなくなり、かつての成功体験が足かせとなって、組織全体に「制度疲労」**を引き起こします。これにより、最終的には長期的な低迷、あるいは崩壊へと至るのです。 geminiで描画 〇「時代と寝るな」:常に脱皮し続けることの重要性 その時代に輝く人物や企業は、確かに魅力的に映るものです。しかし、たった10年も経てば、かつての栄光が跡形もなく消え去ることは珍しくありません。この現象が示唆するのは、「時代と寝てはいけない」ということ。つまり、継続的に脚光を浴び続けるためには、常に自らを“脱皮”させ、次なる方向へと変化し続けなければなりません。変化を拒み、現状に安住してしまえば、待っているのは「崖からの転落」だけです。「安定」を求める行為こそ、実は自滅への道と言えるでしょう。すべての物事は、時間とともに変化し続ける運命にあるのです。 この考え方は、現代の企業経営にも強く当てはまります。例えば、今注目されている「マグニフィセント・セブン(Magnificent Seven)」と呼ばれる米国の巨大テクノロジー企業群は、次なる成長分野を積極的に切り開くことで、新たな脱皮を図ろうとしています。彼らは、変化を怠れば時代に淘汰されることを誰よりも理解しており、未来に向けて進化し続けることで、持続的な...

老人ホーム化する日本企業

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少子高齢化の影響は、単なる人口減少にとどまらない。企業に目を向ければ、従業員の高齢化が急速に進んでいることが見て取れる。特に、スーパーなどのサービス業、建設業や測量といった現場職、個人向け商品を扱う営業職などでは、その傾向が顕著だ。一部上場企業の多くで平均年齢が40歳を超え、中には50歳を超える企業も増えている。さらに、2025年4月からは厚生労働省による高年齢者雇用安定法に基づき、65歳までの雇用確保が義務化される。これにより、年金行政への貢献という側面も考慮すれば、企業の従業員高齢化は今後一層加速していくことは避けられないだろう。 企業の従業員構成の変化 かつて一部上場企業のホワイトカラーでは、課長が40代前半、部長が50代前後で、55歳で役職定年となるのが一般的だった。一方、中小企業では詳細な人事制度が整備されておらず、50代後半の管理職も珍しくなかった。 しかし、今後は大企業においても、現場系の部署の役職は従来の年齢より5歳から10歳引き上げられ、50代後半の現場管理職が一般的になるだろう。さらに、65歳を超えてもシニアアドバイザーとして精力的に活躍する人も珍しくなくなるに違いない。 では、本社部門はどうなるのか。欧米企業を見ても明らかなように、グローバル競争を勝ち抜くには知力と体力が不可欠だ。そのため、役員の平均年齢は50代前半、社長は50代後半がターゲットとされる。本社系のスタッフ部門もこれに合わせ配置され、これまで以上に若返りを図り、経営に臨むことが求められるだろう。 老人ホームに変貌する企業 政府は定年を65歳に引き上げた。さらに、政府と厚生労働省は、日本人の平均寿命の延伸を考慮し、定年を70歳まで引き上げることも視野に入れている。年金受給開始も70歳からが標準となるだろう。これは年金財政に苦慮する政府にとって、まさに好都合な話である。 一見理不尽に思えるかもしれないが、会社に居続ける高齢者の多くは、独身者、あるいは世帯持ちでも子供が既に独立しているなど、自宅にいても特にすることがない人々だ。要するに、彼らは時間に余裕があるのだ。そのため、会社にいることが楽しくて仕方がない。まさに、サラリーマンの「老人ホーム化」と言える。それに伴い、在職中に亡くなったり、身体機能が低下したりする人も増えてくる。会社を退職して数年で亡くなるケースも珍しくなくなるだろう...

検体検査分野で優位性を示すシスメックス

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 (ニッチ市場での優位性) シスメックス株式会社は、血液分析装置において世界トップクラスのシェアを誇る医療機器メーカーである。現在、190か国以上で事業を展開しており、海外売上高比率は80%以上に達している。グローバル市場における検体検査分野では、世界シェア第9位の規模を持ち、特に以下の3つのニッチ分野で圧倒的な競争力を発揮している。 ①ヘマトロジー(血球計数)分野 ②血液凝固検査分野 ③尿沈渣検査分野 これらの分野では、世界シェア50%以上を獲得している。 さらに、同社製品の代替には高いスイッチングコストが伴うため、既存顧客が他社製品へ乗り換えることは容易ではなく、加えて、医療分野という高い品質と信頼性が求められる領域であることから、現時点では中国企業などの新規参入による脅威は限定的と見られている。 (ビジネスモデルの強み) 1990年代以降、シスメックスは高収益なビジネスモデルを構築し、検体検査装置の販売を中心に事業を拡大してきた。2000年代に入ると、装置を導入した顧客が継続的に試薬や関連製品を使用するようになり、これらの売上高は装置の売上高を上回るまでに成長した。 さらに、同社は事業を展開する各国・地域に自社拠点を設立し、販売からサポートまでを一貫して提供できる体制を整えた。これにより、顧客のニーズに迅速に対応することが可能となり、検体検査装置のトータルソリューションを提供できる企業としての地位を確立した。こうした直販体制の構築や現地企業との提携を通じて、シスメックスは欧米企業が市場を支配する検体検査分野において、世界規模で展開する稀有なアジア企業となった。  こういった成果もあり、自己資本比率は70%~80%、売上高純利益率は10~16%台を続けている。強固なビジネスモデルを散財せず、強固な財務内容を築いている。 (実質オーナー企業)  シスメックスの家次恒会長は、東亞特殊電機の創業一族と配偶者関係にあることから、義母からの説得もあり、1986年、37歳でシスメックスに入社し、取締役に就任した。この経緯は、HOYA株式会社の鈴木哲夫氏のケースと類似しており、家次氏も同様に企業の成長を牽引する立場となった。1996年に社長に就任して以降、家次氏は海外展開を加速させ、血球計数検査分野で世界トップの地位を築くなど、売上高を約10倍以上に伸ばした。 現在、...

株式投資の不確実性を考える

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  株式市場の不確実性の本質を語る上で、野村克也の人生訓 「勝ちに不思議の勝あり、負けに不思議の負けなし」を噛みしめながら、株式の不確実性を考えたい。 (ビギナーズラックは「勝ちに不思議の勝あり」の代表例)  ビギナーズラックは初心者が受ける幸運ということだが、初心者に絞ると意味が狭くなるので、一般的には「嬉しい誤算」「棚ぼた」「偶然の産物」等にも言い換えができる。つまり、期待していた以上の幸運が得られたという意味になる。人生には、こういった嬉しい誤算で人生が思わぬ方向に好転した人もいる。しかし、ビギナーズラックは、いい意味で使われるのではない。実際、このような運に対して、気持ちを引き締めて物事に打ち込めるのか、それとも自分の実力と勘違いしたり、強運の持ち主だと感じるのかでその後の人生は大きく変わってくる。 (織田信長による運のコントロール)  織田信長は戦国時代を終焉に導き、天下統一の礎を築いた名将である。そのキャリアをスタートするのが「桶狭間の戦い」の奇跡的な勝利で、まさに「勝ちに不思議の勝あり」であった。織田信長の凄いところは、これ以降の戦いにおいて「桶狭間の戦い」の二番煎じはしなかった。織田信長本人の資料は少なく、彼がどういった思想や知的水準で天下取りをしたかは学者によって意見はバラバラになる。しかし、一見破天荒な逸話や豪快な手法を用いている割には、用意周到に勝利の道筋が見えてから相手に攻め込んでいる。美濃(岐阜)の斎藤道三を負かすのに7年近い歳月を費やした。武田信玄の存命時は信玄を怒らすことはしなかった。運任せのような事は最小限に抑えていた。彼は天才であったが、自分の運に胡坐をかいて、「勝ちに不思議の勝あり」を何度も実践しようとはしなかった。 (投資における「勝ちに不思議の勝あり」)  今度は本題である投資の世界に話を移すと、相場の流れや企業のファンダメンタルに造詣のない投資初心者が購入した銘柄が、プロを凌駕する好成績を収めることがある。「勝ちに不思議の勝あり」を得た投資家は、二番煎じのように同じ投資手法で購入し更なる利益を得ようとする。しかし、大抵の場合はそれが裏目にでて相場の洗礼を受けてしまう。なぜこのようなことが起きるのか。相場の流れは常に上下右左と常に変転するからである。例として、①1980年後半の日本の不動産バブル、②2000年のITバブ...

ロボット業界の今後

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 (安価な製造拠点の枯渇)  安価で程よい品質の製品というのは、安い賃金で長時間労働いわば植民地主義的な構造に行き着く。先進国は、高い労働賃金だけでなくワークライフバランスが浸透し長時間労働を前提とした就労も望めない。どうしてもコスト面で割高になるので、安い賃金の国での製造に依存しなくてはいけない。しかし、今の時代は植民地時代と異なり製造を請負った国が繫栄し富を蓄える。実際、中国は製造工場になることで世界第二位の経済大国になった。製造拠点はより安価なベトナムやミャンマー、インド、バングラデッシュなどに移転し始めている。しかし、そういった安価な製造拠点も近い将来には底をつく。 (人手不足社会がロボット産業を誘発)  世界中で少子高齢化が進行している。人の寿命は年を追って長くなり、人口動態における体力のある若年層の比率が低下している。先進国では、製造業が担い手不足に陥り、サービス業や3K職場は、年齢不問で雇用を確保するか、移民に代替してもらっている。しかし、移民は安易に頼りすぎると深刻な民族問題に陥ってしまう。それ以外に、最近の深刻な温暖化により真夏に外で仕事をすることも身体的に厳しい時代が到来している。今後、その代替としてロボット導入が期待されるのは当然の流れだ。 (ロボットの登場スタイル)  ロボットは人間の代替であるが必ずしも人間の形状をしなくてもよい。要は機械が人間の作業を代替する延長でよいのである、特に、工場の無人化構想はこれから一つの革新的なテーマになるのは間違いない。 実際、①工場の作業員を代替するロボットから始まり、 ②危険な作業を代替するロボット、③コンビニ スーパーなどの従業員ロボット ④家庭用ロボットというふうに、それぞれの段階でのノウハウを高めていく事になると推測される。まさにロボット自体が用途別の提供となり、それぞれの分野でそれぞれの強みを発揮するという形態に集約するのであろう。 ロボットは当然高価なものになり、短期的に見れば人件費の方が安くも見えるが、人件費はと年齢に応じて上昇し、福利厚生費など副次的費用もかかる。一定年数勤務したら役職や部下を付ける必要があるなど動機付けなどのインセンティブも必要になる。ロボットは永遠の作業者でいてくれる。そうなると先進国の場合、ロボットの技術革新がすすめばロボット導入でコストメリットが上がる時代も先...

人生100年時代のFIRE(セミリタイア)論

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 この100年での人々の寿命は大きく伸びて、人生100年時代が現実味を帯びてきた。このため、FIRE(セミリタイア)をするにしても、人生100年時代を念頭におく必要があるようだ。 1.実感年齢の著しいシフト 人の寿命は、日を追うごとに伸びている。たとえば、50歳という年齢は、わずか百数十年前の明治時代ならば人生の終盤に差し掛かった老人であり、生ける時間も残り少なかった。しかし、100年以上を経過した現代で、50歳でも見た目は30代という人はざらにいる。60代は年金給付年齢のスライドにより何らかの仕事に就く人が大半となり、最近は70代でも元気に働いている人たちが増えた。ローリングストーンズなどは80歳近くになってもライブツアーで不良極まりない激しいロックを歌い続けている。一般人でも80代になると体力は落ちるが、旅行などのレジャーなどを楽しんでいる人達も増えてきた。人生100年時代と言われる中、自由に体を動かせる年齢、いわば健康年齢の閾値が上がっている。 2.給与年齢と生活年齢の乖離  健康年齢がこれだけシフトすると60歳でも20年から30年近くは様々な事を楽しめる。そうなると、人生を楽しむためにはお金とどのように向き合っていくのかは非常に重要なテーマになる。当然であるが、年をとるにつれ条件の良い仕事は名誉職など以外は殆どない。60歳以降になれば、現役時と比べたら惨めなくらいに半分又はそれ以下の収入しか稼げなくなる。このような状況にも関わらず十分な貯蓄を出来ないまま60才を迎えている人は多い。そうなると、遊びたくてもお金がなく、いくつになっても不足分を補うために条件の良悪に関わらず仕事をしなくてはいけない。それではあまりにも悲しい。 給与年齢と生活年齢の乖離を冷静に見すえた人生設計は非常に大切である。 3.FIREやセミリタイアの適齢期  現役時にFIREやセミリタイアなど考えることは明らかに人生における重大な機会損失である。もし、仕事が合わなく尋常ではないストレスに苛まれるなら、給与などの条件をいく分下げても自分の居心地の良い会社を見つけるまで転職を繰り返し、60歳まで持ちこたえ資産を貯めて、次のフェーズに備えるのも立派な人生設計の一案である。 4. 50代までの蓄財  適切な人生設計という点では、現役時は給与の5割以上は貯蓄に回すことを死守する。この目標は修...

21世紀的幸福論(地方生活、3世帯家族)

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日本では。より収入の高い職業についてより良い生活が叶えられるように、馬車馬のように競争社会で闘い続ける人生を多くの人が強いられている。その結果、医師や総合商社マンのような高収入な職業に就いた者が人生の勝ち組として憧れの的になる。一方、大多数の人たちは、十分な収入が得られず、日々お金と格闘し老後不安を抱える人生を強いられている。しかし、そういった現状の価値基準を少し発想を変えれば、違う世界が表れてくる。例えば、両親のリソースを借りられるならそれを最大限に利用すればお金に対する束縛から逃れられる。都会に未練がないなら地方で豊かに暮らす。21世紀にはそんな発想転換も必要なのである 1 地方過疎化の裏側にある豊かさ  少子高齢化による地方過疎化は、産業衰退や街のゴーストタウン化など深刻な問題を生じさせている。しかし、下記は総務省のデータである。これを見る限り、地方都市の世帯当たりの平均収入はそれほど低くない。信憑性の高い統計から読み取れる事として、過疎化は進んでいるものの、物価面などを考慮すればば都会と地方間での収入格差はそれほど著しいものではない。一部の県においては都心より明らかに裕福であるという実態すら浮かび上がってくる。 これの意味する事は、地方では製造業中心に海外移転が進み市街地が衰退している。とはいえ、地元でそれなりの仕事に就いている人たちの生活水準はそれなりに高いということだ。 2 地方の知られざる現実   これら統計値において特筆すべきは富山県であり、都道府県の世帯当たりの所得ランキングで4位という順位を記録している。日本海側の北陸という過疎地にも関わらず、首都圏と同等の所得を得ているのだ。富山県のホームページには、これら理由として富山県は地元を地盤とする中小製造業が多い事。3世帯同居し、嫁、両親(祖父、祖母)も一緒に働くことで世帯収入を膨らましている。地方は都会に比べて不動産や生活費が安い。それなりの収入が得られれば、高い生活水準を得られることも可能だ。 3 地方での生活を逆手に取る  核家族世帯では、これまでは夫が働いて、妻がパートや専業主婦のスタイルで家計は夫の収入の一本足打法のようなものであった。このため、夫の会社へのしがみ付きは相当なものとなる。都会では、一生かけて購入したマンションも2世帯が住むには狭すぎて、子供はゼロベースで人生を歩むことを延々と...

米国株投資の選定戦略

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前回更新日:2024/05/25 1.米国市場の弱肉強食の非情さ ここ40年間、ダウは右肩上がりを続けている。このため、米国株に投資をすれば無条件に儲かりそうなイメージを持たれやすいが、米国株は日本以上に企業業績と株価が連動している。このため、たとえ米国市場が上昇相場でも、企業業績が振るわなければ非情なまでにその銘柄の株価を奈落その底に突き落とす。このように甘えの許さない米国市場では、長期間に渡って インデックスと連携している銘柄など殆どない。 2.銘柄分析 ①ファンダメンタル分析の無意味さ 株価が上昇しやすい銘柄は未来に輝くような期待値のある企業であり、投資家は無意識に企業における現在および数年後の企業業績を逆算している。こういった期待値は、①企業が販売する商品の将来性 ②増収増益を繰り返すことでの投資家からの安心感 などにより投資家からの高い評価の蓄積から始まる。そういった期待を獲得した銘柄には投資家から多くの資金が流れ込んでくる。たとえ、決算が一時的に振るわなくても株価は下がらない。一方、現状の業績が良くても未来の業績が尻すぼみになると判断される場合は低PERで放置される。このように株価は投資家の期待値という非定量的な信用具合の評価基準で上下に変動し、そのブレ幅は、PERは10倍以下から30倍後半まで約4倍近くに及ぶ。これだけの開きがあれば収益や財務分析などのファンダメンタル分析で株価を予想しても期待通りの結果など得られない。 ②IT業界の超高収益モデルが時価総額を天空にした 2010年中頃から、GAFAM等がIT分野で独占的なシェアを獲得したことで、製造業が到底太刀打ちできない高収益率ビジネスが可能になり、時価総額を天空の領域に導いた。さらに、コカ・コーラやマクドナルドなどの国際優良企業はフランチャイズのような形式を取り入れて、低収益の事業分野を最大限に切り離して高収益を実現している。昨今の時価総額上位銘柄はこういった高収益ビジネスでかつ独占的な地位を築いた企業に集中している。 ③「成長性」が株価上昇の根源  株価は常に現況におけるすべての材料を織り込んでいる。現状のPERや高収益ビジネスだけで上昇軌道を描けるものではない。市場が嫌うのは飽和であり成熟であり、いつでも市場は、企業側にさらなる好材料か更なる成長期待を求めてくる。 こういう要求に応えて成功した例...

遺伝子が人間の未来を支配

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 1.人は常時面白可笑しく、そして楽天的に生活できない  人は、常に不安に駆られることで未来に対する不確実性や周辺から身を守るようにできている。これは人というより生命が地球上で40億年に渡って絶滅しないように培ってきた知恵であり、1万年程度の進化しかない人間の遺伝子にはどうしようもできない本能(機能)でもある。この本能の厄介なところは、科学技術が著しく向上し、安全に生活できるようになった現代人にとって、不安が日常生活におけるリスクテイクと重なり、不必要な事に対して異常なくらい振り回されている。しかし、この機能を取り外したら人間は間違いなく絶滅に向かう。それだけ細菌などのウイルスや地球上の森羅万象は人の叡智を遥かに超えたところにあり、不安というものに駆られなければ人は適切な防御ができないからだ。こういった事情を垣間見れば、遺伝子は不安を煽る機能を取除くことは決してしない。人間は常時面白可笑しく、そして楽天的に生活することは不可能であることを理解しなくてはいけない。 2.オスとメスのそれぞれの生存戦略 ①オスによる弱肉強食戦略  政治家の縄張り争いは、猿山のボスザル争いと大きく変わりない。動物のオスは優れた遺伝子を誇示しようと争いをし、それに勝ったものだけは遺伝子を残すことができる。つまり、メスと交尾をすることができる。そうでない遺伝子を持つオスは、子孫を残すことができない。オスにはそういった弱肉強食がオスの行動原理であり、つい最近まで、争いに勝ったオスの一族は王族などの支配者になり、その周辺の貴族などの既得権益層と共に酒池肉林の贅沢な生活をする一方、圧倒的多数の民衆は過酷な労働を余儀なくされるだけでなく、ろくな食べ物を得ることも出来なかった。 ②メスの戦略による能力平準化作用  一方、メスは優秀なオスを誘惑するフェロモンをどれだけ出せるかで勝負する。オスはメスの能力よりもそのフェロモンに騙されるといって良い。このフェロモンと動物的な優秀さは比例しない。例えたら、超高収入のビジネスマンや医者を目当てにモデル並みの超美人が近づいて結婚することは多い。その場合、母親の遺伝子を継いだ子供は総じて優秀ではなくドラ息子になってしまう。逆に容姿は劣るが頭の良い女性は競争社会で優位性を獲得していない男と結婚することが多いが、母親の血を引き継いで子供がとてつもなく優秀になること...

ヒューマノイドとの恋愛の現実味(近未来予想)

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  1 . 結婚が遠くなり果てた SNSの普及によって、若い層になればなるほど、コミュニケーション能力も低下し、男女の恋愛がそもそも困難になった。会社や公の場所での求愛行動も一歩間違えばセクハラになってしまう。昭和と違い私生活において男女の交際のチャンスは激減している。  そもそも男女の恋愛はロマンチックとは程遠く、お互いの見栄と社会的な拘束の側面が強い。恋愛における「付き合う」という行為は、双方がとにかく異性と付き合いたいという衝動にすぎず、いわば恋愛をしていることに対する他人へのマウンティングや自己陶酔の側面が強い。ところが今の時代は、 ただひたすら 自分本位な気持ちが先行し恋愛がスムーズに出来なくなった。結婚相手に対しては、スペック偏差値、容姿、自分の性格の合う人などの要求を臆面もなくしてくる。これでは、相手側も疲れ果てて、途中で頓挫する。 そういった点では、スポーツやなんかで成功した者や総合商社などの超一流企業に勤めている人は、相手側からみた基礎的なスペック条件が満たされるので、純な気持ちでの交際に発展し、結婚までスムーズに進む可能性が高い。 2.「一生独身」という選択肢  ほんの50年前なら30歳前の女性が独身でいると、それだけで世間的に非常に肩身の狭い生活をおくったものだ。このため、適当な人をみつけてとにかく結婚しなければいけない社会的圧力が強かった。男の方は、40歳近くなって独身でいるとどこかに問題や欠陥があるのではと勘繰られたりした。結婚するということは、適齢期になったら当たり前にしなければならない儀式に近かった。ところが今の時代、女性が社会進出化したことで結婚が社会通念上の義務ではなくなり、選択肢の一つに変化した。このため、男女とも自分の理想の相手を求め続けてしまい、かつてのような妥協を忘れてしまった。そのようなミスマッチのまま年齢を重ねていくうちに結婚を半分あきらめ、一生独身でも良いという気持ちに変化し、独身が増え続けている。 3 . ヒューマノイドによる恋愛革命  男女とも本当はいつの年齢になっても恋愛や結婚はしたいのである。ただし、それは自分自身に都合の良い条件つきだが。そんな事が近未来では現実のものになってしまうかもしれない。それはヒューマノイドロボットの誕生である。自分好みの顔、スタイル、そして性格にカスタマイズする。そうなると、...

家系消滅の時代と「Die with Zero」

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 (家系消滅の深刻さ) 由緒ある家系とそうでない家系。かつて人々はそんなことでマウンティングをしていたが、今の少子高齢化によって家系の良悪に関わらず子供がいない事で自分の代で家系が途切れる危機にさらされている。どんなに社会的に優越的な立場にいても自分の血を引き継ぐ子孫がいないのは深刻な問題である。これは人生後半になればなるほど当事者に重くのしかかって、「土から土に戻る」境地に苛まれてしまう。そういった意味ではすさまじい勢いでの少子化の進行により、あと10年、遅くても20年もすれば、次世代に子孫を残せない老人が大半を占める現状を踏まえ、次世代に向けて子孫を残せている人達が本当の意味での勝ち組であると称される日もそう遠くもない。 (「Die with Zero」時代の到来)  生物である限り、永遠はなく、全ては線香花火のように寿命の制限下で踊らされている。人生の後半になれば自分自身の残してきた財産の後始末が必要になってくる。自分自身のお金を引き継ぐ子孫がいないなら、お金だって残しても意味がない。自分自身の貯めた資産は命が尽きるまでに使い切ろうという事になり、瞬間風速で億越えの富裕層に到達しても、しまいには有名な「Die with Zero」で人生の終焉を迎えることになる。そういった人たちが徐々に増え始め、多数派になることも否定できない。 逆に、子供や孫がいれば、自分の家系が末永く繫栄するための頑張りができる。だからこそ、子孫のために資産を残さなければならない気持ちにもかられる。そういった点では資産の残し方という点でも二極化された社会に突入する。 (「金持ち3代、貧乏5代」も消滅)  中国には「金持ち3代、貧乏5代」の諺がある。科学的にもこの循環説はまちがっていないと想定されるが、これだけ少子化が深刻化した昨今においては、この過程の中で家系が消滅することを心配しなくてはいけない。 「一代目が財をなし金持ちになると、その子ども(二代目)は親の姿を見て育つので努力の価値を知っている。しかし、自分の子(三代目)にはそんな苦労をさせたくないと過保護に育てるし、また、三代目は生まれながら金持ちの子どもでスタートするので努力することを知らない。それが災いして家を潰す。その子どもは家が没落しているので貧乏で育つ(貧乏初代)、次の子は生まれながらの貧乏(貧乏2代目)。その子どもも...

日本に漂う閉塞感の正体(その2) 不安遺伝子の呪縛

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 日本に漂う閉塞感の正体 ( https://investment-v3.blogspot.com/2022/04/blog-post_16.html )を書いているうちに、日本人のこのような行動を促しているのは別の要因があるのではないかと感じた。日本人の行動はあくまでも結果であり、原因ではないという事である。 (遺伝子学からの考察)  不安感を直接抑制する物質はセロトニンであり、人はセロトニンを多く持つ(L(ロング)型楽観遺伝子)と、少なく持つ人(S(ショート)型不安遺伝子)に分かれる。 「S」型遺伝子保有は、日本人80%、韓国79%、中国人75%、台湾人70%、スペイン人47%、アメリカ人45%、南アフリカ人28%という調査報告があり、人種で不安の許容度が大きく異なる。さらに、不安遺伝子「SS」型を日本人は68%で、アメリカ人は5人に1人、逆に、アメリカ人は楽観遺伝子「LL」型遺伝子を3人に1人が保有し、日本人は2%弱に留まっている。日本人は遺伝子学的にも不安を抱えやすい民族であることが言える。この事は同じ出来事に遭遇した場合、日本人は「深刻」に考え、米国人が「偶然の出来事に過ぎない」と考え、アフリカ人は「これが悪い出来事なの?」程度の開きがある事を示唆している。 (単一民族の島国であるがゆえに強制される空気感) 日本人は、とかく空気感を重視する。それは、単一民族国家であることに要因があるのであろう。つまり、国全体は村社会でどこに逃げても同じ考えの人達しかいない。海外と異なり逃げ場に苦慮するのだ。さらに、諸外国のように自分達と全く異なる言語や習慣を持つ民族と常に争いごとを繰り返し、他民族の支配下におかれたこともないので自分たちの意見をはっきりいう事の大切さを奥のほうに追いやった。しかしながら、日本人のような単一民族が、これまで他国に攻められることが殆どなく、国の統治者が同一民族であることを踏まえると、本来ならおおらかな性格になるべきであるがそうなっていない。村社会の掟が他国と比べて想像以上に酷であったことの証であろう。 (不安遺伝子の多い理由) 日本人が不安感を強く抱くのは、遺伝子学から見れば古代の日本人の祖先のつらい記憶であり、それが現代人に引き継がれていると言える。では、このつらい記憶はいつの時代のものだろうか。今の人類の原型はアフリカで生まれ、そこ...

ビルゲイツの珠玉の名言から学ぶこと

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 (初版 2021/06/17) 1.名言に万人向けはない  ビルゲイツといえば、マイクロソフトの創業者として、世界有数のソフトウエア会社に導き上げた世界有数の経営者であり、世界有数の資産家でもあります。  しかし、彼のこういった成功は彼の天賦の才能だけによるものではありません。ここまでに至るには彼のけたたましい努力と苦闘の連続がありました。ビルゲイツは世の中の理不尽さを示唆するように、「人生は公平ではない。そのことに慣れよう」という名言を放っております。 これは高校生のスピーチの一節であり、人生における様々な理不尽に自分の意思で打ち勝っていけと説いています。 2.名言のそれぞれ  ビルゲイツの名言と言われるものとして以下があります。 〇「毎日毎日「勝ちたい」という気持ちで出社しなければならない。切羽詰まったときにこそ、最高の能力を発揮できる」 「一心不乱に働くこと、ベストを尽くすことが嫌だというなら、ここは君のいるべき職場ではない」 これは、マイクロソフトという事業を成功させるためにはこれだけのパワーは必要という裏返しです。 〇「しばしば、直観が頼みの綱になる。」 コンピュータを大家であるビルゲイツでもそう思うことがあるのですか。テレパシーとか以心伝心などは、ビルゲイツでさえ信じている。でも、ビルゲイツ以外の成功者も同じように、努力や戦略の上に直感があるという事を述べていることが結構あります。 〇「人生は、誰も助けてくれない」  自分の人生は自分で切り開きなさいといいたいのでしょうが、うがった見方をすれば、ビルさんも孤独なのかもしれません。結構寂しい人なのかもしれません。 4. ビルゲイツが事業の成功について話す珠玉の名言 「成功するまでやるのだから、失敗などありえない」( 失敗や負けは短期的な結果にすぎないということ。それが本当の意味で確定するのは本人が諦めたときだけである。あきらめずに前に進んで、その後に成功を勝ち取れば、これら短期的な敗北や失敗はすべてその後の成功の向けたプロセスに過ぎなくなる。}  正直、この前向きな思考こそ成功者に求められる事だろう。成功の過程で他人から見たら想像を絶する苦しみ、他人からの罵倒、そして信じている者の裏切りなど、、まともに考えたら自分自身がぶっ壊れてしまうほどのつらい経験をものともしない精神力。そして常にある前進する...

情報社会の代償 隣の芝生という厄介な存在 

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  初版 2023.3.11 (旧名:隣の芝生に振り回されない生き方こそ最良の生き方) 1.隣の芝生は人間の本能 人はなぜか、隣の芝生が青く見えるようである。どうもこれは人間の本能のようである。人は常にどこかで桃源郷があると信じて疑わない。だから他人に対して勝手というべき様々な妄想を抱いて喜怒哀楽を繰り返している。ドラマや週刊誌、映画,そしてインフルエンサーが煽り立てるような装飾され、誇張されたカッコ良い生活をしている人が常にどこかにいると信じて疑わず、そういった人たちへの憧れや羨望を抱こうとするように出来ている。        2.隣の芝生の幻想例  ①政治家  政治家は社会的には上流階級に位置する職業で、まさに隣の芝生である。しかし、そんな隣の芝生も今となっては、はっきりいえば苦労の割には見返りが少ない。一昔前なら、貴族の位を得られ、豪邸に住み様々な利権から得る膨大な富を得ることができたが、今では億ションにすら住めない、逆に豪華な生活をしていると賄賂を疑われお縄!となってしまう。仕事面では、4方から様々な意見を集約し意見調整を図りながら一つの指針を作り上げるという相当な労力と精神的な負荷を強いている。もはや、政治家という職業が好きでないとやってられない。 ②旧来型のエリート 大企業社員、医者、官僚、外資系金融や大手弁護士事務所の幹部等などのエリート職業もアッパーミドルの代表的な職業で庶民とは一線を画している。一昔前まではエリートとして大企業に入れば、それなりに出世し、それなりの報酬も得て、さらには子会社で役員級の役職に就いて会社人生の余生をおくる。まさにアッパーミドルの典型例のような人生であるが、今はこのような天下りが出来なく、給与面でも、天下りが減った分、人生後半の高給生活が遮断され、年を追って旨味が享受できなくなった。 ③セレブと言われる成功者  セレブと言われる超高所得者(芸能人やスポーツ選手、ベンチャー企業の創業者)なども隣の芝生の典型例である。これら人たちの共通点は実力主義の環境下で自分の力量を頼りに成功者と言われる地位まで上り詰めた事である。私たちは、雑誌やテレビで芸能人やスポーツ選手、事業の成功者などのセレブ生活や豪邸報道に対し羨望のまなざしを抱いてしまう。しかし、そこには成功者ならではの魑魅魍魎とし...

富裕層分析  庶民富裕層の増殖

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  1.資産格差の度合  日本は格差社会に入って久しいと言われるが、世界的に見れば平等社会である。今世界では、上位1%の資産総額が全体の4割弱を占めている。逆に下位50%の資産は全体の2%と言われている。これは貧富の差が激しい発展途上国を含めての数値だが、先進国だけに絞ったOECD資料では、上位1%の国内の富に占める比率は、 米国42%、ドイツ24%、英国20%、フランス19%、日本11% 上位10%の比率は、 米国79%、ドイツ52%、英国52%、フランス51%、日本41%  となる。  この数字を見る限り、米国の資産格差が際立っている。それは、4月の米国相場の暴落時にベンセント財務官が言った言葉に表れている。「米国民の上位数%が米国株式を88%保有し、残りの50%までが12%を保有している。下位50%は負債だけしか保有していない。このため、株価が下がっても一般庶民への財布に影響しない。」まさに、米国の格差社会を象徴する発言であり、 国の分断化についてもあながち誇張したものでもない。とは言え、米国の場合、下位50%でも他国から見ると十分に良い生活をしているというオチはつくので、その辺は相殺して考えていくべきではあるが。。。。。 2. 社会的勝組=富裕層という誤解  マスコミは一般的な富裕層像をビジネスエリートに焦点を当てることが多い。挙句には大企業社員や公務員を上級国民としてこき下ろしている記事もある。この構図の原型は、受験戦争の勝者→一流大学⇒一流企業→幹部社員→上級国民であり、庶民を犠牲にわが世の春を謳歌しているプロパガンダ像である。こういったプロパガンダの変遷は、ドラマや小説などで垣間見ることができる。  昭和初期までの富裕層像は華族等の有閑階級を題材にした優雅な生活の描写であった。戦後は、財閥解体や華族制度の廃止などもあり、超一流企業幹部や官僚、医者などのエリートを題材にアッパーミドル層を描写していた。特に、医師は高所得者ランキングの常連であり、それが大学受験にまで波及し、偏差値では医学部がダントツの難易度を誇っている。人々は医学部入学を上級国民入りの登竜門と信じているからだ。  そして、最近は外資系金融やコンサルティング、そしてベンチャー企業のIPO創業者などが浮上してきた。  これらに共通するのは「高学歴=社会的勝組=富裕層」というステレオタイ...

今後20年後を見据えた大学(辛口)戦略 その2

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 (都心一極集中が学生にもたらしたもの)  東京一極集中が1世紀に渡って続いている。これは地方の秀才を東京に呼び寄せて定住させる政策を100年に渡って行ってきたことにほかならない。それら人々の子供は都心の中高等学校に通い、都心の大学に通い、都心の企業に就職する。このサイクルを雪だるまのように100年近く続けてきた。優秀な子供は年を追って都心に集中することになり、これは大学偏差値の長期推移にも表れている。戦前、戦後に渡って名門かつ高偏差値であった地方大学の中には、過疎化とともに没落し、過去の栄光を忘れ去られている。 (都心に立地する大学の高偏差値化)  これは長年における偏差値分布の推移を見れば一目瞭然である。都心への一極集中の最大の恩恵を被った大学は早慶、そして次に続くのがたいした格を有していない中堅国公立(千葉大学や東京都立大学など)、そしてMARCHクラスの有名私立大学であろう。早慶などは高度成長期前までの中堅クラスの難易度から東大や一橋をあと一歩に迫るくらいに偏差値が上昇した。早慶おこぼれの受け皿になるMARCHも驚異的に上昇した。戦後において地方の金持ちが通うFランとも見間違える程度の大学のはずが、時が経つにつれ地方国立を追い越し、難関国立一歩手前の位置までの地位を確立した。千葉大や東京都立なども同じように、単に都心に大学を構えているから地方旧帝大と拮抗する偏差値を有している。 (「旧帝大」の横綱級の格式) 地方の過疎化により、地方国立大学の地盤地下は目に余るものがある。しかし、旧帝国大学はその影響を受けにくい。地方旧帝大は、東北なら東北6県の盟主(東大)であり、それは九州地方の九州大学、中部地方の名古屋大学においても同様である。これら大学の偏差値は旧帝大という冠に守られて難関大学の一角を維持し続けている。首都圏の国立である横浜国立大学、千葉大学などは偏差値では地方旧帝大と同ランクであるが、首都圏の進学校では、東京科学大学に届かなく、これら国立大学を合格できそうな学生に対しては地方旧帝大を進めるケースもある。格式という点では「旧帝大ブランド」はエバーグリーンであり、この先の少子化が深刻化しても、首都圏一極集中がこれ以上に進んでもMARCHクラスや都心部の中堅国公立が格式において地方旧帝大を切り崩すことは難しい。「 (社会人から見た大学序列)  高校卒...

2040年頃に迎えるであろう日本社会における本当の二極化

(日本経済黄金期(1985-2005年)が二極化の認識を歪ませる。)  最近感じてきたこと。それは現40代~70代前半が歴史上稀に見る日本の黄金期を体現した世代ということだ。海外旅行を例にとれば、最も安価で豪華なツアーを体験できたのはこの世代だ。実際、日本での生活に余裕はなくても、10万円あれば東南アジアで比較的裕福な旅行を満喫できた。西欧旅行も20万円あればそれなりに楽しめた。こういった比較的裕福な海外旅行もコロナ以降のインフレ・円安により困難になった。さらに深刻なのは若い世代が海外旅行に行かなくなったことである。これは興味がないという事ではなくお金がない若者にとっては海外旅行が贅沢品にグレードアップしたからにほかならない。  Louis Vuittonなどの高級品も1985-2005年まではお金を持っていない層まで購入できた。海外の高級品が簡単に手に入るほど日本円は海外通貨に対して強含んでいた。車においても、新卒の新入社員が彼女とのデート等を目的にプリウス並みの高級車を躊躇なくローンで購入し、長時間労働による多額の残業代で返済をしていた。さらにデフレが進行し、あらゆる商品が安く購入できた。この時期はバブル崩壊という経済的な負の側面による社会的な不安が蔓延し「失われxx年」と呼ばれる暗黒時代で表現されるが、安定的な収入を得られている層は、相当裕福な生活を享受できた。歴史的に見れば日本経済力の黄金期であったのは間違いなく、この認識ギャップこそが、日本における格差問題の本質を歪ませている。 (1憶総中流の幻) 間違いなく、日本は一時的に1億総中流を体現できた。しかし、その裏で日本経済はステルス格差を拡げることになり、2010年代後半から表面化し始めた。このころになると、女性の高学歴化と社会進出が定着し、パワーカップルが登場する。さらにネット経済が台頭し、有能な人たちは起業や投資で一定の財産を獲得できるようになった。これら層が新たなる消費を誘発し、タワマンなどの億近い案件すら購入している。今の日本は高度成長期のように真面目に生きていれば報われるのではなく、才能のある人たちが恩恵を被る社会に変貌した。 もう一つは世代間の格差である。団塊世代と現在の若者では同じ能力(スペック)でも、人生における恩恵の享受具合が全く異なってしまった。団塊世代は、難なく大企業や優良企業に入社し...

インデックス投資の黄昏も近い?(「FANG+信託の低迷」日経記事)

 日経に面白い投信記事がアップされていたので、それについての感想を書いてみた。 (FANG+保有継続は是か 類似投信へ乗り換えも選択肢) https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUB26BVR0W5A320C2000000/ 投信商品「FANG+」はなんと、米国大型テック株たった10銘柄で運用する投信らしい。この投信は、構成銘柄をここ10年近くに渡って米国の上昇相場を牽引してきた銘柄群に絞ることで、投資家により直接的な恩恵を被れるようにした商品である。   (GAFAMの怪物的な企業経営力)   GAFAM、そして広義にはマグ二セントセブンは長期にわたって成長の限界を裏切り続け、「現在においても投資家に対して更なる夢や期待を与え続けている。」。一生懸命に投資を勉強し続けている投資家に対しては、まさに過去の経験則を裏切り続けていることになる。あのウオーレン・バフェットも過去の経験則に当てはまらないIT革命の本質について、優良テックを中心に研究し続け、IBM、ORACLE等に投資する等の試行錯誤をしてきたが、事業という側面から見たGAFAM銘柄の歴史的革命性、そして時代の変化を見抜いて最終的にはアップルに巨額投資することでこの巨大な果実をもぎ取った。  このため、今の米国相場は、マグニセントセブンと周辺の超一流優良企業にさえ投資すれば何も考えなくても相当な利益を得られる仕組みが出来上がり、これがなんと10年近く続いている。まさにこれら銘柄の絶頂期に違いない。これの言わんとすることはS&P500などの堅調な上昇とは裏腹に、投資対象としての分析に値する銘柄は1割未満いやその半分にも満たないということである。今の米国では、それくらい利益創出力が一部の企業に集中しすぎてしまった。 (歴史的な割高感?) 記事では、「こういった投信の構成銘柄は今、非常に割高でリスク大」と指摘。とあるが、テック株は大抵において将来性が期待されるので概ね割高で推移する。その割高の評価範囲は今後の成長性に依存し、成長性が高ければPER100でも容認されることになる。成長性が鈍化すれば投資家は収益力から株価を測ろうとし、大抵の場合、PER10~20のレンジまで株価が調整することになる。こういった記事については、企業がどのような成長を辿っていけるのかの両刃の...

金利のある世界の投資行動

 私は、「元本保証商品の運用利回りは壊滅状態」 https://investment-v3.blogspot.com/2021/07/blog-post_15.html でゼロ金利のトホホな利息事情を書いた。しかし、その後3年で日本の金利事情は大きく変化した。私は2021年時点では、金利の上昇は膨大な政府債務への悪影響から実現性に乏しいと思っていたが、日本にインフレ基調が根付き始めた事でその流れが変わった。日銀はインフレ率と符合するように政策金利を調整する姿勢に方向転換した。僅か数年で日本の金利トレンドがこれだけ変わってしまう事に驚嘆するばかりである。 (デフレの再来はない)  コロナ禍により世界中で深刻なインフレを経験する一方、日本は長らく続くデフレの余波からインフレは軽微であった。しかし、海外輸入の材料高と円安が重なったことでインフレ基調に転換した。さらにインバウンドの外国人はラーメン1杯2000円など価格の上限を気にせずに消費してくれることから、企業側はかつてのデフレ圧力に悩まされなくなった。日本のデフレは日本経済が世界的に見て圧倒的に強かったからであり、その時は日本円も強かった。そして、今のようなインバウンド消費をできる外国人は少数だった。こういった要素を勘案すれば、日本にはデフレになるだけの強い経済力は持ち合わせていない。日本がいまだに世界一の債権国であるものの、産業競争力の著しい低下というという点の側面を見過ごすべきではない。 (日銀の政策金利引き上げ状況) 日銀は、インフレ率と国内景気を勘案しながら政策金利を引き上げている。2024/3(0.1%)⇒2024/7(0.25%)⇒2025/01(0.5%)。これに付随して国債金利も上昇し、3月には1.5%を記録するまでになった。大手銀行の普通預金の金利が0.2%、1年物定期預金が0.275%まで引き上がった。欧米諸国と比較すると政策金利はまだ低いままだが、長期10年もの国債で比較すると、もはやスイス(0.7%)を大きく引き離し、韓国(1.7%)、中国(1.8%)とは射程圏に到達し、西欧諸国2%台まで近づき始めている。このままだと西欧諸国とは長期金利で肩をならべ、その後政策金利で近づいていくという方向に流れていくものと見込まれる。そしてトランプ政権は間違いなく強制的に政策金利の引き下げをFRBに強制...

トランプ政権が目論む新たな世界スキーム

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 トランプ政策については、オールドメディアなどが非常に偏った報道をしているため、トランプ政策の本質を理解しづらい。しかし、これを放置すると、今後の米国株投資を大きく見誤ってしまう。  私は、トランプ二期期政権に関して、以下の投稿をしているが、 トランプ大統領1988年インタビューから読み取れること(2025/01)   https://investment-v3.blogspot.com/2025/01/1988.html トランプ政権後の金融市場を占う(2024/11)   https://investment-v3.blogspot.com/2024/11/blog-post_23.html トランプ政権誕生による世界経済への影響(2024/07)   https://investment-v3.blogspot.com/2024/07/blog-post_20.html  トランプ政策については、今後も試行錯誤を繰り返しながら考察をしていきたい。 ①第二次世界大戦後のスキームからの脱却  トランプの主張は、「アメリカを世界一の大国として維持をさせるが、世界の警察官からは脱退する。」という第二次世界大戦後のスキームからの脱却である。これまでのスキームは、第二次世界大戦後の東西冷戦を念頭に、世界の過半の経済力を持つ西側陣営のリーダーとしての米国の立ち位置があった。それは東側陣営のリーダーであるソ連についても同様である。日本においては、日本の再軍備阻止等の観点から日米安保を締結している。しかし、今の米国の世界GDP比率は20数%程度にすぎず、中国に肩を並べられるまでに低下した。このため、米国が世界の警察官を維持できなくなっているのは明白である。  まさに、自国の領土は自国の資金で、かつ自国の軍隊で守る時代に突入しなくてはいけなくなったのである。日本においても、第二次世界大戦のトラウマを払しょくし、新たな防衛政策を打ち立てる必要性が出てきたのだ。 ②米国の再構築の試み  トランプは、MAGA( Make America Great Again)を掲げている、トランプ政策で誤解されているのは、米国は再び強力な覇権国家を取り戻すということであり、これの意味する事は、中国との覇権国家争いにほかならない。このまま自由貿易を続けたら、いつかは中国に国力を追い抜かれ、覇権...

富裕層分析 「いつの間にか富裕層」の誤謬

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 (世界有数の平等国家)  日本の税制は世界でも類を見ない社会主義的な性質を持っており、日本政府はそれをさらに強く推し進めている。そのおかげで日本には、他国のような一部の大富豪が国の大部分の富を占めるようなことにはなっていない。しかしながら、富の格差というのは雑草と同じように想像以上に強い。日本においても現実問題として格差はそれなりに拡がっている。例えば、東京都心部で一軒家を持つことはサラリーマンである限り不可能に近いと言えるが、実際にはそれなりのサラリーマンが一軒家を購入している。国の平等政策にも関わらず、そのズレはどこから出てくるのだろうか。 (旧富裕層の没落)  富裕層のイメージとして、古くからの資産家や名家を思い浮かべる人も多い。しかし、今の日本では代替わりにおいて膨大な相続税を課せられるので、次世代まで富は続かない。これは戦前から続く名家だけでなく、一般人であるが高度成長期に成功してそれなりに贅沢な生活をしてきた層でも言える事であるが、高級住宅地において代々に渡って住み続けている例はそれほど多くない。著名人をみても、かつては超一等地に豪邸を構えていた森繁久彌、加山雄三、そして梅宮達夫、石原慎太郎etcなどそうそうたる面々の屋敷は今や売払われている。さらに、多額の金銭面での相続は意外と少なく、残された立派な屋敷や骨董品は売却しても大した額にならないのが実情である。社会的成功者はその人の活躍に応じてセレブな生活を体現しても、その人の没後は過酷な相続税などの要因で子供や孫の代まで引き継がれるということは今の日本においては非常に困難である。 (新富裕層の出現) 旧名家や社会的成功者が没落する一方、賢い一般人から富裕層が生まれている。その実態として、バブル崩壊以降は賃金水準の高い大企業ほど頻繁に早期退職者制度を実施し、社会に不安を与えているにも関わらず、超多額とも言える割増し退職金(一時金)が得られ、かつ賃金水準をそれほど下げずに転職できた人。それ以外に、IPOによる持ち株の成金。勤務先株価の暴騰による莫大なストックオプション。高賃金の外資系企業を渡り歩くビジネスマン。最後は、企業の大小関係なくアベノミクス相場で資産を増やせた層の中から、自らの不安解消のために大きな支出を控えながら蓄財し、不動産や株式などの投資に積極的な一部の人達が該当する。 (高度成長期の...

「メキシコの漁師」に見る人生と労働の皮肉

 (ファーストリテイリングの入社式)  ファーストリテイリングの入社式に関する日経記事があった。柳井正会長兼社長は「新しい報酬体系で初の新卒社員になる。世界中で活躍してもらい、付加価値のある高い利益を生むビジネスを作り出す。そのフロントランナーになっていただきたい」とエールを送った。この会社は2025年より新卒社員の初任給を33万円にした。全体の新入社員数は約1300人を予定しており、新入社員の代表は、「プレッシャーもあるが、その分期待をしてくれているということだと思う。その期待をモチベーションにして頑張っていきたい」と意気込みを話した。  この会社に勤めるということは、会社の好業績を支えるための歯車になることを意味している。この激務な会社で働いている間は、この会社に全てを捧げるような生活になるのは間違いない。つまるところ、社員は柳井指揮官が率いる軍隊と相違ない。  こういったものを見ていると、リベラルが平等平等と叫んでも、こういった会社への奉仕は、厳しいビジネス競争の打ち勝つためというお題目の合法的な奴隷制度なのかもしれない。  しかし、こういった企業があるから日本の国富は先進国に留まれるのだ。だから、日本に取っては、一定数以上、このような企業は存在しなくてはいけない。 (「メキシコの漁師」にみるビジネス社会への皮肉) 「とても魚釣りが好きな漁師がいた。漁師は好きな時間に起き釣りをし、子供や友達と楽しく遊ぶ毎日を過ごしていた。そこに、アメリカの観光客を運ぶ小さな漁船がメキシコの小さな島に着いた。船から下りると、旅行者人の一人がメキシコ人漁師に尋ねた。「すごいね、どれくらい漁をするとこれだけ大量に釣れるの?」「いや、昼のちょっとした時間、海に出て漁をしただけだよ」  それを聞いた旅行者はビジネスの好機ととらえ「漁をする時間をもっと増やして、もっと多くの金を稼いだらどうだい」というと、漁師は「なんでそんなことしなくちゃいけないの?。これで十分生活が成り立っているよ」と言った。すると旅行者は、「それなら、余った時間は何しているんだい?」と聞いた。漁師は「朝はゆっくり起きて漁に出る。その後は子どもと遊んで、女房とシエスタする。 夜になったらバーで友達とギターを弾きながら歌をうたって。これで一日は終わる」と説明した。 今度は旅行者がビジネスマンの立場から漁師に言った...

AI革命は両刃の剣

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 (目まぐるしい科学技術の進歩)  科学技術の飛躍的な発展により、人々の生活はより高度にそして快適になった。しかし、これら発展は人間の作業を簡便化する役割が大半だ。例をあげれば、車や飛行機、テレビ、ラジオ、コンピュータなどで、さらにこれら製品を作るための画期的な大量生産方法や生産設備、農業においては食糧増産の化学肥料となどで,大衆の均一性に対し生産性を高めるものである。 (科学技術は人類の感情コントールにまで踏み込んでいない)   これから更なる発展を促すためには、人のもつ闘争本能や感情などの多様性制御を促すツールが必要になる。  そもそも人の才能は均一ではない。例として、教育において40人クラス全員に東大目指した学力をつけさせる。スパルタな練習でプロ野球選手やサッカー選手を目指させる。こういった取組のもとで、どんなに頑張ったとしても東大合格、プロ野球選手になれるわけではなく、才能格差に対する社会の答えは曖昧なままとなっている。  さらに能力が均等であっても、パーレートの2:8法則に従って活躍できる人と出来ない人に分かれてしまう。蛇足だが、組織内では上り詰めるためには、大抵の場合、実力ではなく、特定の人に気に入られる裁量の側面が大きい。そこには実力とは異なる世界が横たわっている。 (AIによる人の管理という革命)  AIの発展は著しい。2030年を超える頃には、AIは産業のあらゆる箇所で活躍するようになるだろう。企業活動にもAIが活躍する時代が来て、はじめは人の仕事を代替することからスタートするが、これらが一段落するとAIが人を管理する時代に到達するであろう。これによって人の好き嫌いで決まっていた人事に対しメスが入る可能性もある。初めからうまく行くわけではないが、会社という組織の在り方に革命を起こす潜在性を秘めている。具体的には、各個人の作業報告をAIが評価し、さらには昇進候補者もAIが素案を作り、関係者の評価を組み合わせながら決めていく。社長人事も株主からの要望でAIが候補者を選定する時代も同じだ。。  ただし、小学校の学業評価などは難しく、子供の成長を考えるとあいまいな評価も必要な場合もある。 AI機能の弱点  AIを教育するのは人間である。AIが判断する物事の善悪は教育者の思想に基づく。AIに判断をさせた場合、教育の仕方が偏向的だと、人間以上に精巧に判...